第50話 模造紙の上の幾何学、妖しく美しい曲線
翌日……。
魔法陣研究課に初出勤した。
最初の仕事は、魔法陣の清書だった。
机の上に置かれたのは、小さな用紙に描かれた転送陣の設計図。それを、模造紙ほどの大きさの紙に拡大して写す。
沙弥には内容がまったくわからないので、写し間違えないか心配だったが、レオンは大体理解しているようだ。興味深そうに眺めている。
「新型の転送陣です。魔力の消費を抑える構造になっています」
アロイス課長が静かに説明する。
(転送陣……。人ではなく物を送る魔法陣か……)
大きなコンパスのような道具を手に取り、円を描く。
紙の上に、正確な曲線がゆっくりと現れていく。
「この二重円の大きさの比率は重要ですか?」
「そこは、あまり気にしなくていいです。円の間に描かれている文字や模様は正確にお願いします」
(文字と模様が重要……)
つまり、意味を持つのは「中身」だ。外枠ではなく、その内側。
(……なんだか、人間みたいだな)
そんなことを思いながら、鉛筆を握る。まずは慎重に下書きを重ね、清書へ向かうことにした。
線を引く。円を重ねる。細かな記号をひとつずつ写し取っていく。
魔法陣の曲線は、妖しい美しさを湛えていた。無機質なはずなのに、どこか生きているような、昏い躍動感を宿している。
(少しでも間違えたら……)
その先は考えない。ただ、指先に集中する。
(とんでもない場所に飛んでいってしまうのかな……)
ふと浮かんだ考えに、わずかに背筋が冷える。
だが……
(この緊張感、嫌いじゃない)
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昼休み……。
食事をとりながら、沙弥はレオンに尋ねた。
「レオンさんは、魔法陣が読めるんですね」
「大体な。だが、自分で一から描くのは難しい」
「そうですか……」
改めて、研究課の人々を思い出す。
「皆さん、『職人』って感じですよね」
「ああ。好きじゃないと続かない仕事だ」
前回の勇者とは違って、今回は自分の国に帰れる。魔法陣課の人たちが進化させてくれたおかげだ。
だが、アロイスの話によると、勇者召喚は一往復できればいいだろうということで、何度も行き来できる転移陣の開発は止まっていたそうだ。それよりも、使用頻度の高い転送陣や省力化に力を入れていたらしい。
勇者の姉が護衛騎士と恋仲になって、何度も行き来したがるなどというのは想定外なのだから仕方がない。
今の作業が終わったら考えてみてくれるとは言っていたが、自分たちが帰るまでに完成することはないだろう。
午後……。
下書きを終え、アロイス課長に提出する。
彼はしばらく黙って見つめ……目を丸くした。
「……驚いたな」
「え?」
「これほど綺麗に魔法陣を描ける人間は、うちの課にもそういません」
思わぬ評価に、言葉を失う。
「できることなら、ずっとここにいてほしいくらいですけど……」
その言葉は、穏やかだった。無理だとわかっているからこその、控えめな願い。
沙弥は、少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
誇らしさが胸に広がる。
同時に……静かな痛みも、広がる。
(「ここにいてほしい」って言われる場所ができた)
それが、嬉しい。でも……
(私は、ここにいられない)
その現実が、同じだけ重い。
(この仕事が好きだと思えるほど、ここから離れる未来が現実になる)
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部屋に戻ると、沙弥は海辺の町へ行くための費用をレオンに渡した。
「今月はまだ給料が出てないだろう?」
「出てから準備するのでは間に合わないので、先に」
「また三泊か?」
「そうですね。片道に丸一日かかりますし」
馬車で丸一日は、日本なら高速道路で一時間もかからない。
この国の人が日本に来たら、その忙しなさに圧倒されるかもしれない。
「海以外にも何かあります?」
「洞窟があるらしい。それと、沖に小島があって船で渡れるそうだ」
「行ってみたいです」
素直にそう答える。
未来の予定を当たり前のように話している。
その未来は限られているはずなのに。
「この時期は空いているかもな。あまり行ったことのあるやつがいなくて、詳しい情報がない。あまりいい宿はないかもしれない」
「たまには鄙びた宿というのも、いいものですよ」
むしろ、そのほうがいいかもしれない。
静かな場所で、ゆっくり過ごす。
(最後の旅行になるかもしれないし)
その考えを、口には出さない。
「レオンさん、海は初めてですよね?」
「ああ。サーヤは何度もあるのか?」
「日本は島国ですから」
海の話をする。クラゲのこと、ウニのこと。
何気ない会話。だけど……
(こういう時間も、あと少しなんだ)
その事実が、ふとした瞬間に顔を出す。
今回も、手配はレオンに丸投げだ。いつもながら、頼れる人だ。
(こうやって何でも任せてしまっていいのだろうか)
と、ふと思う




