第48話 元日の森、騎士の料理番
元日の朝……。
目を開けると、すぐ隣にレオンがいた。距離が近い。
昨日の夜の延長のような静けさが、まだ部屋に残っている
「レオンさん、あけましておめでとうございます」
「ん? あけまして?」
「日本の新年の挨拶です。ルーキスでは、新年にはどういう挨拶を?」
「特にないかな……」
ルーキスでは、新年は特に重要なことではないのかもしれない。
朝食前……。
「森に行くか?」
「はい」
温暖なルーキスだが、さすがにこの時期の早朝はかなり冷える。
森の入口で、レオンは上着を整えながら言った。
「結界を張るか?」
「森の香りも、なくなります?」
「ああ」
「じゃあ、やめましょう」
そのまま歩き出す。
(こういう時間が、ずっと続けばいいのに)
ふと、そんな考えが浮かんだ。
振り返ると、うっすらと霧に包まれたかつての離宮は、より幻想的な佇まいとなっていた。
冬の森は静寂に包まれ、落葉樹は葉を落とし、枝には枯葉だけが残っている。
二人で手をつないで森の小道を歩く。足元には落ち葉が敷き詰められている。
常緑樹は青々としていて、研ぎ澄まされた空気の中に清涼感のある爽快な香りが漂っている。
「ルーキスはどこも空気が綺麗ですけど、森の中は格別ですね」
「ああ、冬じゃなければもっと青々としているんだが」
こんなことなら、冬になる前に来ればよかった。春になる頃には、自分はもうここにいないだろう……。この手をつないで歩くことも、もうないのかもしれない。
ホテルに戻り、ダイニングルームに向かう。
そこは、晩餐会が今にも始まりそうな空間だった。壁には大きな絵画が飾られ、床は重厚な木材でできている。
長いテーブルや小さな丸いテーブルがいくつも並んでいるが、沙弥たちの他には二組しかいなかった。
「ずいぶん人が少ないですね」
「部屋数もそう多くないし、こんなものだろう」
「でも、そのわりにダイニングルームは広いですね」
「パーティ会場になることが多いからな」
「経営は成り立つんでしょうか?」
「国営だからな」
(なるほど、利益は度外視なんだ……)
「壮行会のときの晩餐会に昨日の令嬢たちはいなかったと思いますけど、あのとき来ていた令嬢たちはどのような方たちなんですか?」
「上級貴族と、あとは騎士たちの関係者だ」
(アデリーナ嬢は上級貴族枠だったのか)
食事が運ばれてきた。宿泊客が少ないので、ビュッフェ形式ではなくセットメニューになっているらしい。
数種の焼き立てパンに、卵料理、厚切りハム、チーズなどが盛られている。デザートにフルーツとスイーツも出てきた。朝食にしては量が多かったが、おいしかったのですべて食べてしまった。さすがにパンのお代わりは遠慮したけれど……。
「今日もよく食べたな」
「おいしいと食べ過ぎちゃいます。でも、運動不足なので太ってしまうかも。最近、体重を測っていないし……」
「だいぶ前に買ったドレスが着られたんだから大丈夫だろう」
「そうですね。着られなかったら困るところでした。レオンさんに、剣の稽古でもつけてもらおうかな」
「その細腕で剣を振れると思えないが……」
「……ですよね」
剣の稽古は諦めよう。
「そういえば、討伐が終わったら、また晩餐会があるぞ」
「そうなんですか。さすがに、また同じドレスというわけにはいかないですね。でも、まだだいぶ先ですよね?」
「そうだが、ドレスは早めに用意しておいたほうがいいな。俺に用意させてほしい」
「えっ?」
一瞬で拒否しようとしたが……
レオンの目が、いつもより少しだけ真剣だった。
「頼む」
それは、初めて聞く種類の声だった。
(この人、本気だ)
そのことだけはわかってしまった。
「……わかりました。お願いします」
結局、そう答えてしまう。
明日、ドレスショップに連れて行ってもらうことになった。
朝食が終わり、部屋に戻って少しのんびりしてから、チェックアウトして帰りの馬車に乗った。
「今日は庁舎の食堂は休みだな。昼食と夕食はどうする?」
「朝にたくさん食べたので、昼食は軽くていいです。夜は、寮のキッチンで何か作りますか? それとも城下町に行きます?」
「また出かけるのも面倒か。途中で降りて材料を買って帰ろう」
二人は城下町で馬車を降り、昼用のサンドイッチと、夕食用の食材を買って寮に向かった。
昼食を軽くつまんだ後は、お正月らしく二人でのんびりと過ごした。
夕方、キッチンで食事の用意を始める。レルナぶり、二回目の自炊だ。
「今日もお肉を焼いてくれるんですよね? 何のお肉ですか?」
「オーレヴァルという家禽だ」
「鳥ですか! 鳥は初めてではないですか?」
「いや、サーヤは食堂で何度も食べていたぞ」
「そうですか……」
何の肉か、よくわからずに食べていた。
「お肉を焼く音って、どうしてこんなに安心するんでしょうね」
キッチンに響くジューという音と、レオンの背中。
レルナの旅行で見たあの景色が、今はこの狭い寮のキッチンに再現されている。
「……サーヤ、何を笑っている?」
「いえ、レオンさんの焼き加減が完璧だなと思って。……ねえ、もし私がずっとここにいたら、毎日こうしてご飯を作ってくれますか?」
冗談めかして言った言葉に、レオンの手が一瞬止まる。
「……毎日どころか、一生だ」
レオンは、少しだけ間を置いてから言った。
「君が望むなら、俺は剣を置いて料理番にでもなる」
一瞬、冗談に聞こえなかった。
「それは……幸せですね」
沙弥の声は、小さかった。
(でも、この人なら本当にやるかもしれない。……だから、怖い)
出来上がった料理を部屋に運んで食べる。
「やっぱりレオンさんが焼いたお肉は美味しいです」
「サーヤに気に入ってもらえたなら嬉しいよ」
食後、二人で洗い物をしていると、キッチンにエミリアが入ってきた。
「エミリアさん、今日は寮にいらっしゃったんですか?」
「昨日から実家に戻っていて、今日帰ってきました」
帰りに買ってきたスイーツを食べて、その皿を洗いにきたらしい。
「昨日は観劇に行かれたんですよね? どうでしたか?」
「とても楽しかったですよ。あんな立派な劇場で観劇なんて、初めてでしたから」
「サーヤは化粧室で令嬢に囲まれて怖い思いをしたらしいぞ」
「えっ! そうなんですか?」
「はい……色々質問されて、レオン様に紹介してほしいなどと言われて……。数人に取り囲まれてしまったので逃げ場もなくて。なんというか、すごく敵意を感じました」
エミリアも、最初の頃は沙弥を妬んでいたので気持ちはわかる。こうして仲良く洗い物をしているところを見ると、やはり羨ましく思ってしまう。
だが、同じ職場で働いてみて沙弥のことが好きになったし、二人の仲睦まじさを近くで見ていると嫉妬するのも馬鹿馬鹿しくなっていた。
それに、数人で取り囲むなんて、やりすぎだと思う。
「どんな方たちでした?」
沙弥が、「うろ覚えですけど」と言いながら、名乗った令嬢たちの名前を言う。
「直接お付き合いはないのですが、婚約者探しに躍起になっている方たちだと聞きます。レオン様とお付き合いしているサーヤさんに嫉妬したのと、なりふり構わずレオン様とお近づきになりたいと思ったのではないでしょうか」
「やはり、そうなんですね。でも、トラントゥール侯爵夫人に助けていただいて、抜け出すことができました」
「トラントゥール侯爵夫人とお知り合いなのですか?」
そういえば、ヴルカリスへ行ったことは話したが、レオンの母に会ったことは話していなかった。
「ヴルカリスにレオンさんのお母様と一緒にいらしていて、夕食をご一緒したんです」
「えっ! ヴルカリスにはレオン様のお母様も一緒に行かれたのですか?」
「そんなわけないだろう。俺たちが行くことを母が聞きつけて、自分も来ていたんだ」
「そ、そうなんですね……」
それはちょっと怖いな……とエミリアは思った。
レオン様と付き合うと、色々大変なこともありそうだ、とエミリアは少しだけ沙弥に同情した。
……やっぱり、この世界は簡単じゃない。




