第47話 嫉妬の視線と、ハッピーエンドの続き
開演時間が近づいたので、劇場に移動する。この劇場は元々の離宮の一部ではなく、増築されたものらしい。
席は、ほぼすべてがボックス席のようだ。半個室のような空間で、他の席とは赤いカーテンで隔てられている
やがて照明が落ち、ざわめきが静まる。
幕がゆっくりと上がり、物語が始まった。
騎士と平民の村娘が知り合う。騎士は貴族だ。身分違いと知りながら、やがて恋に落ちてゆく。
「やっぱり、騎士って女性たちの憧れの的なんですね」
「女には守られたい願望があるんだろう」
「そうですね。私もレオンさんに守られていると安心します」
「サーヤのことは、何があっても守るからな」
「嬉しいです……」
「俺もたまにはサーヤに甘えたいが……」
それは薄々わかっていた。レオンは、沙弥に頭を抱えられ、髪を撫でられるのが好きだった。
「いいですよ。たくさん甘やかしてあげます」
「そうか?」
やっぱり嬉しそうだ。甘えん坊め。
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やがて幕が下り、休憩時間に入る。
「化粧室に行くか?」
「はい」
「じゃあ、一緒に行こう」
さすがの護衛騎士も、化粧室までは入ってこられない。
鏡の前で化粧を直していると、背後でひそやかなざわめきが広がった。
(見られている)
気づいた瞬間、すぐに声がかかる。
「失礼ですけれど……勇者様のお姉様でいらっしゃいますわよね?」
振り向くと、華やかな令嬢が二人、すでに間合いを詰めて立っていた。
その背後では、数人の令嬢たちが遠巻きにこちらを窺っている。
「はい、そうですが……」
「やはり。色々とお噂は伺っておりますのよ」
「レオン様と……恋人でいらっしゃるのですよね?」
柔らかな声だった。だが、その奥には刃のような緊張がある。
「ええ、まあ……」
答えた瞬間、空気が変わった。
「やはり、そうでしたのね」
「どうやって、あの方のお心を?」
「一緒にいるうちに、自然と……」
「……自然と、ですって?」
「それだけで……あのレオン様が?」
(やっぱり信じないか……)
視線が一斉に刺さる。背後からも、かすかな囁きが漏れ聞こえる。
「本当に?」
「異世界の方ですものね」
「何をなさったのかしら」
(……囲まれてる)
視線を巡らせるが、逃げ道はなさそうだ。
「差し支えなければ」
扇を口元に当てたまま、一人がにこやかに言う。
「レオン様にご紹介いただけません?」
穏やかな言葉だが、それは願いではなく、半ば当然の要求だった。
周囲の令嬢たちの視線が、一斉に沙弥に集まる。
(これは……逃げられないか……)
そのとき、入口のほうから声をかけられた。
「サーヤさん?」
トラントゥール侯爵夫人だ。夫人は令嬢たちに一瞬視線を投げかけた後、ほんのわずかに首を傾げる。
「あらあら、どうなさったの? 皆さんに囲まれて……。何か糾弾でもされているのかしら?」
「糾弾なんて、そんな……」
「そうよね。ここはそのような場ではありませんものね?」
令嬢たちが一歩下がる。
「そろそろレオン様のところに戻られたほうがよろしくてよ。令嬢たちに囲まれて、うんざりした顔をされていたので……」
「はい」
沙弥は短く答えて歩き出す。
去り際、「ありがとうございます」と小さな声で告げると、侯爵夫人は白百合のように、静かで清らかな微笑みを浮かべた。
化粧室を出ると、レオンは少し離れた場所に立っていた。
侯爵夫人の言葉どおり、数人の令嬢に囲まれている。
沙弥に気づくと、レオンはすぐにその輪を抜け、こちらへ向かってくる。
その瞬間、周囲の視線が自分に突き刺さるのがわかった。
「行くぞ」
差し出された腕に触れた瞬間、胸の奥に溜まっていた緊張が、ほどけるように消えた。背後からの視線を振り切るように歩き出した。
レオンは緊張の残る沙弥の表情に気づき、尋ねる。
「何かあったか?」
「化粧室で令嬢たちに囲まれて……レオンさんに紹介してほしいと言われてしまって」
「図々しい連中だな」
容赦ない一言に、思わず苦笑が漏れる。
「でも、トラントゥール侯爵夫人に助けていただきました」
「それなら、よかった」
「どうやってレオン様を射止めたのか、とも聞かれました」
「何て答えた?」
「一緒にいるうちに自然と、って……」
「そうだな。俺たちにとっては、それが自然だった。『好きだ』と言ったのは俺が先だが」
(どうしても、そこにはこだわるんだな……)
「令嬢たちは信じていないようでしたけど」
「信じてもらう必要もないだろう?」
その言葉は、思った以上にあっさりしていた。
けれど……それで十分だと思えた。
「さっき一緒にいた方々は?」
「何か話していたが、聞いていなかった。化粧室の出入りを見ていたから」
「ちゃんと護衛をしてくれていたんですね」
ほんの五分ほどのことだったのに、妙に気疲れした。
とはいえ、あの令嬢たちの反応も、無理はないのだろう。
レオンは女嫌いで難攻不落と噂されていた。誰にもなびかないからこそ、誰もがどこかで安心していられたのだろう。
その均衡が、不意に崩れた。
しかも相手は異世界から来た娘。勇者の姉ではあるが、本人には何の力もない。
戸惑いも、反発も、あって当然だと思う。
先ほどの令嬢たちは伯爵家と子爵家だと言っていた。本来なら、公爵家のレオンと釣り合う立場ではない。
それでも……異世界の娘でいいのなら自分だって……と手を伸ばそうとするのは自然なことだ。
やり方に思うところがないわけではないが、それもまた、あの場では珍しい振る舞いではないのかもしれない。貴族のことはよく知らないけれど……。
(深く考えることでもない)
おそらく、もう顔を合わせることもない人たちだ。
気に留めるほどのことではない。
それでも、あのときの侯爵夫人の助け舟は、本当にありがたかった。
(魔導具課の女性たちの追及なんて、可愛いものだったな)
今日の令嬢たちと違って、好奇心は感じたけれど悪意はなかった。
貴族でも、働きに出るような人たちは、今日の令嬢のような人たちとは意識が違うのかもしれない。
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再び幕が開き、騎士と村娘は結ばれ、物語はハッピーエンドで終わった。先ほどの令嬢たちは、この物語をどんな気持ちで見ていたのだろう。
「食事はどうする? ダイニングに行くか、ルームサービスにするか」
「お部屋が素敵だったので、ルームサービスにしませんか?」
「では、そうしよう。そのほうが落ち着けるだろうしな」
二人は再び部屋に戻った。
先ほどまでの喧騒とは正反対の静かな空間だ。二人の足音さえ絨毯に吸われ、音がほとんど反響しない。
窓の外は静かだった。庭園の灯りだけが、ゆっくりと揺れている。
「……もう、いいな?」
低く静かな声に、心臓が一拍だけ大きく打つ。
「はい」
「……ずいぶん、我慢させてくれた」
レオンが唇を重ねてくる。食事が運ばれてくるまで、二人はそうして抱き合っていた。
食事が済んだ後、バルコニーに出てみた。外はもう真っ暗だが、ライトアップされた庭園の向こうに森が見える。
「あの森には入れるのですか?」
「ああ、散歩道があるんじゃないかな。明日の朝に行ってみるか?」
「はい」
その夜、二人は昔の王族が使ったかもしれない寝台で眠りについた。




