第45話 無意識の指先、酔いに溶けた本音
仕事納めの日……。
魔導具課に来るのも今日で最後。三人娘ともかなり打ち解けたので、ちょっと寂しい。
魔導具課も有志で飲みに行くらしく沙弥とレオンも誘われたが、騎士団との先約があるので、また別の機会に誘ってもらうことにした。
忘年会の会場は、城門を出てすぐのところにある酒場だった。
沙弥たちが店に着いたときには、すでに何人もの騎士たちが飲み始めていた。
低い梁に煤の染みついた天井の下、店は酒の匂いで満ちていた。壁に打ち付けられた燭台の炎は風もないのにゆらゆらと揺れ、粗削りの木卓の上に影を踊らせている。
沙弥たちが入っていくと、長椅子の真ん中あたりの席を勧められた。
眼の前には団長が陣取っている。ざっと見回したが、ヘンリクは来ていないようだ。
「今日は、ヘンリクは来ないらしいぞ」
レオンは鋭すぎる。なんでヘンリクを探してるってわかったんだろう……。
「そうなんですね。今日は何人くらい来るんですか?」
「わからんが、ほとんど来るんじゃないか? 一部は討伐に行っているが」
王都の警備を普段より少ない人数でやっているので、騎士たちにはかなり負担がかかっているのではないだろうか。
しかも、そのうちの一人を、沙弥が独占してしまっている。申し訳ないことだ……。
酒が回ってくると騎士たちは饒舌になり、沙弥たちに質問を浴びせるようになった。
「レオンはサーヤのどんなところを好きになったの?」
「全部だ」
顔色ひとつ変えずに即答だ。この人は、照れるということも知らないようだ。
「じゃあ、サーヤは?」
「全部ですけど、特に、優しいところと可愛いところかな」
「『優しい』にも驚くけど、『可愛い』? レオンが?」
「可愛いですよ。褒めると得意げな顔になるところとか、拗ねてプイッとするところとか」
「そんなレオン、見たことないけどな」
「サーヤにしか見せてないからな」
同僚騎士に真顔で答えた後、沙弥の方に笑顔を向ける。そんな笑顔も好きなところだ。
「レオンは、あんなに女嫌いだったのにな」
「今でもサーヤ以外は好きではないぞ」
「でも、私のことも、護衛してなかったら『異世界から来た変な女』と思ったままだったんじゃないですか?」
「そうかもしれないが……」
「それなら、もっとよく知ってみれば好きになる人がいるかもしれませんよ」
その言葉を発した瞬間、空気が変わった。
「……それでも」
レオンの声が低くなる。
「サーヤに、そんなこと言ってほしくない」
(あ……)
まずかったかもしれない……。
その後、レオンの飲むペースが明らかに速くなった。
(さっきのが、そんなに嫌だったのかな……)
「レオンさん、少し飲みすぎでは……」
「問題ない」
短い返事。だが視線はどこか遠い。
薄暗い灯りの下で、レオンの瞳が熱を帯びたような琥珀色になっている。
やがて、そのまま目を閉じた。
「……寝てる?」
「珍しいな。レオンが潰れるとは」
騎士たちの声がざわつく。
「私のせいかもしれません」
あの発言は自分がいなくなることを前提としていた。私はいなくなるのだから、他の女性に目を向けろと……。
「私が、あんなこと言ったから……」
「サーヤは悪くないと思うが」
団長の言葉に、沙弥は小さく首を振った。
「そろそろお開きにしようか?」
団長が言う。
「サーヤには他の護衛を付けるから、オーベイスはレオンを連れて帰れるか?」
「私も一緒に行きます。護衛ができずに他の人に任せたと知ったら、後でレオンさんが落ち込むでしょうから」
「そうか。それじゃオーベイス、頼む」
「任せてください」
オーベイスは、見るからにがっしりとした防御力の高そうな騎士だ。レオンと同期だと言う。
オーベイスが「立てるか?」と言うと、レオンは目をつむったまま立ち上がった。何だろう、条件反射かな?
宿舎へ向かう道中……レオンは意識がないはずなのに、沙弥の手を離さなかった。
むしろ、離れそうになると強く握り返してくる。
(無意識でも……離さないんだ)
その事実が胸を締めつける。
城門から近い酒場だったのが幸いして、宿舎には無事着いた。
「レオンさん、しっかりしてください! 階段ですよ」
オーベイスの肩を借りて歩くレオンを見て、沙弥は溜息をついた。
(……あのしっかり者のレオンさんが、ここまで酔うなんて)
レオンの部屋にたどり着くと、オーベイスがレオンをベッドに寝かせ、ブーツを脱がす。沙弥は何とかレオンのマントを剥ぎ取った。
二人がかりで騎士服を脱がす。いつものレオンの香りに青リンゴのような酸味が加わって、フルーティ・ウッディな香りになっている。
(この人はお酒を飲んでもよい香りがする……)
だが、少し汗ばんでいるので身体を拭くことにする。お湯で湿らせたタオルでレオンの身体を拭き始めた。オーベイスが洗浄魔法を使えるかもしれないが、沙弥が自分でやりたかった。
レオンは眉根を寄せて苦しげな表情をしている。そして目を腕で覆って、かすれた声を漏らした。
「……行くな、サーヤ」
「ここにいますよ」
「……帰るなんて、言うな」
酔った勢いゆえの本音? それとも、沙弥が日本に帰る夢を見ている?
タオルを当てながら、沙弥は一瞬だけ手を止めた。
(私がいなくなる前提の話、もうやめたほうがいいのかな……)
自分がいなくなった後のことを話したときの、彼のあの寂しそうな瞳を思い出す。
(でも、それは「なくなる」ことにはならない)
レオンの額に触れる。熱があるわけじゃないのに、妙に熱く感じた。
(私だって……本当はずっと、隣にいたい)
身体を拭き終わり、オーベイスと二人がかりでベッドの上にあったバスローブを着せた。
「あとは私一人で大丈夫ですから」
そう言うと、オーベイスは「それじゃ、よろしく」と言って部屋を出ていった。
自分の部屋に戻りながら、オーベイスは軽いショックを受けていた。
レオンのあんな姿を見るのは初めてだ。いつも冷静なレオンがあんな苦しげな表情をして……。
それほどまでにサーヤを思っているのか。サーヤがいなくなったら、あいつは壊れてしまうのではないだろうか。サーヤがこちらに残ってくれれば……。
そう考えて、ふと思い出す。同じくらいサーヤを慕っている弟がいることを。いや、慕ってきた年月を考えればレオン以上だろう。ケントがサーヤを置いていくはずがない……。
(俺には、やけ酒に付き合ってやることぐらいしかできないな)
オーベイスは深いため息をついた。
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沙弥は、ベッドに腰掛けて、レオンの手を握ったまま、その寝顔をじっと見つめていた。さっきよりは表情が柔らかくなっている。
(悪夢は終わったのかな)
唇が、自然に近づいた。ほんの一瞬だけ触れる。
それでもレオンは目を開けない。
(シャワーを貸してもらおう)
シャワーを浴びて、レオンの隣に横たわった。
沙弥がレオンの部屋に来るのは初めてだ。几帳面な彼らしく、部屋はきちんと整っている。
(明日起きたとき、どんな顔をするだろう)
沙弥は少し可笑しくなった。そしていつの間にか眠りに落ちていた。




