第33話 褒められたい騎士と、次の約束
二度目の給料日が来た。
……この国で過ごす時間が確実に積み重なっている証だった。
「レオンさん、またお給料をいただきました。今回も半分受け取らない気ですか?」
「当たり前だ。この前の残りだって、まだ預かったままだぞ」
「それじゃ、また一緒に何かします?」
「うん……何がいいかな」
レオンが腕を組んで考え込む。その横顔を眺めながら、沙弥はふと口を開いた。
「この国って、あまり娯楽がなさそうですよね」
「『日本』には色々あるのか?」
「デートスポットはいっぱいありますよ。動物園とか水族館とか、プラネタリウムとか……」
「……動物を見る場所か?」
「まあ、それもありますけど」
「魚を見るのは楽しいのか?」
「綺麗なんですよ」
「星は外で見ればいいだろう」
「夜でも明るいから、見えにくいんですよ、日本では」
「夜は寝るんだから、灯りは要らんだろう?」
「寝ない人もいるんです」
文化の違いが激しい。
「この国では、恋人たちはどんなところでデートするんですか?」
「恋人がいたことないから知らんな」
「…………それは失礼しました」
(この顔で、恋人が一人もいたことないとはね……?)
思わずまじまじと見てしまう。
「なんだ」
「いえ、ちょっと信じられなくて」
「余計なお世話だ」
少しだけむっとした顔が逆に新鮮だ。
「また遠出にします?」
「それがいいかもな。どこか行きたい場所はあるか?」
記憶の中の地図をたどる。
「温泉がありましたよね?」
「ああ、南のほうにある。レルナより少し遠いな。確か、オーブリーの実家の領地だったはずだ」
「そうなんですね。行ったことは?」
「ない」
「それなら、温泉に行きませんか?」
レオンが一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「……でも、サーヤは俺と一緒に入らないだろう?」
「うっ。でも、この国って混浴じゃないですよね?」
女性が人前で肌を見せる文化ではない以上、男女が同じ湯に浸かることはないはずだ。
「宿の部屋の風呂なら、他に誰もいないだろ」
「部屋に温泉が付いてるんですか?」
「そこまでは知らない。調べてみる」
そう言った翌日には、すでに結果が出ていた。
「ヴルカリスっていう山あいの町だ。渓谷沿いに宿がいくつかあって、景観もいいらしい」
「素敵ですね!」
「温泉は宿で入るのが普通だな。で、カリエンティラって宿が良さそうだ。源泉の川に、部屋から直接入れるらしい」
さらりと告げるその内容に、思わず息を呑む。
「一日でそこまで……やっぱりレオンさんはすごいです」
「まあな!」
レオンが得意げに胸を張る。
「もっと褒めてもいいぞ!」
「ふふ、欲張りですね」
くすりと笑いながら、沙弥はその体を引き寄せた。さらりとした髪を撫でる。指先に触れる感触を確かめるようにしてから、そっと唇を落とした。
「レオンさんは、本当に何でもできますね」
ぱっと表情が明るくなる。隠しきれない嬉しさが、そのまま顔に出ていた。
「……他の男にはやるなよ。俺だけのものだからな」
ぽつりと付け足された一言に、思わず瞬きをする。
「なんですって?」
「……なんでもない」
視線を逸らす仕草が、妙にわかりやすい。
(ああ、まだ気にしてるんだ)
名前を出すまでもなく、誰のことかは明白だった。
「大丈夫ですよ」
「何がだ」
「レオンさんだけです」
一瞬の沈黙のあと、レオンの耳がわずかに赤くなる。
「……それならいい」
どこかぎこちなく、それでも満足そうに頷いた。可愛いな、と心の中で呟く。
「もう紅葉は終わってますかね?」
「多少は残ってるだろうが、ピークは過ぎてるだろうな」
「残念……。それで、いつ行きます?」
「第一騎士団は今月いっぱいだろ。来月の頭に行って、帰ってきたら次の職場だな」
その頃には、ヘンリクとも別れることになる。
(……そっか)
もう、あの距離で話すこともなくなるのだと思うと、胸の奥がほんの少しだけきゅっと締まる。楽しかった時間が静かに終わろうとしている。
でも……それを口に出すことはない。
「それがよさそうですね」
「二泊にするか? 移動があるから三泊でもいいが」
「予算は大丈夫ですか?」
「問題ない」
「それじゃあ、全部お任せしていいですか?」
「任せろ」
迷いのない返答に、自然と笑みがこぼれる。本当に、この人に任せておけば大丈夫だと思える。
(護衛騎士をこんなふうに使っていいのかは、ちょっと気になるけど……)
「仕事は大丈夫ですか?」
「サーヤは正式な職員じゃない。休みは自由に取れるはずだ」
「レオンさんは?」
「俺は護衛だぞ。サーヤと一緒に行くのが仕事だ」
そう言われて、はっとする。
「……そうでした」
妙に納得してしまうのが少し悔しい。
「次の職場はどこになるでしょう?」
「研究開発部門じゃないか。明日、人事に行こう」
◇◇◇◇◇
翌日。人事担当のランベルトとの面談が行われた。護衛騎士同伴……三者面談である。
「騎士団の次に受け入れ可能な部署はいくつもありますよ。特に、魔導具開発課と魔法陣研究課が強く希望しています」
「作業内容は騎士団と同じでしょうか?」
「それに加えて、論文の補助をお願いされるかもしれませんね」
「ええっ、それはちょっと……」
思わず声が上ずる。
「専門知識がないので、無理だと思います」
「大丈夫だろ。データをまとめるだけなら伝票と同じだ」
横からレオンが口を挟む。
「いや、さすがに論文と伝票は違うと思いますけど……」
「できる範囲で構いませんよ」
ランベルトも穏やかに頷いた。
「私は魔法がまったく使えないのですが、問題ありませんか?」
「ええ。実験そのものに関わることはないでしょうから」
少しだけ考えてから、沙弥は視線をレオンに向ける。
「どちらがいいと思います?」
「魔導具のほうがいいんじゃないか。使ったこともあるだろ」
「……そうですね」
確かに、まったく未知というわけではない。
「それでは、休暇明けから年内は魔導具開発課ということで手配しておきます」
「よろしくお願いします」
深く頭を下げながら、内心で小さく呟く。
(伝票と同じって、本当なんだろうか……)
ほんの少しの不安と、少しの期待。
……ここから、また少しだけ世界が変わる。




