表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルーキスの太陽 ~異世界の境界線、その手を離さない~  作者: 如月菫
第一部 終わると知りつつ、恋をした
31/49

第30話 二つの表情、ひとつの想い

 ヴィスカルディ侯爵は、妻と娘を伴い「ロンド・ドゥ・ソワ」で食事をとっていた。


「やはりレオン様は素敵でしたわ」


 アデリーナの声には抑えきれない熱が滲んでいる。


「リックは頼りになりませんわね」

「申し訳ありません」


 護衛の男が頭を下げた。


「やめなさい。あれは不意打ちだ。誰にでも防げるものではない」


 侯爵は穏やかに言い聞かせる。だがアデリーナは視線を落とさない。


「それでも……レオン様なら防げたのでしょう?」


 侯爵が小さく息をついた。幼い頃から変わらない。あの少年に向ける視線だけは。あれだけ拒絶されたというのに……。


 そのとき、店の扉が開いた。何気なく視線を向け……侯爵はわずかに目を見張る。

 レオンと、あの異世界の女性だった。二人は案内された席に並んで座り、ひとつのメニューを覗き込んでいる。肩が触れそうな距離。自然すぎるほど自然な近さ。


 侯爵の視線に気づき、振り返ったアデリーナの指先が無意識にテーブルクロスを強く掴んだ。


「……あれでは護衛と護衛対象ではありませんわ」


 冷ややかな声音。だが、その視線は離れない。


(あんな距離で)


 息が詰まる。


(どうして、あの人には)


 レオンは、あんな顔をしていただろうか。

 記憶の中の彼はいつも無表情で、必要以上の言葉を発しない少年だった。まとわりつけば、鬱陶しそうに眉をひそめる。それでも構わなかった。それでも、傍にいられるだけでよかったのに。


(どうして)


 あの女性には、あんなふうに笑うのか。


「レオン様があのような表情をなさることもあるのですね」


 侯爵夫人の言葉に、アデリーナはわずかに唇を噛む。視線は離れない。

 あの女性の胸元に、光るものがある。


「太陽石……かしら」


 夫人が言い、侯爵が頷く。


「ああ。レオン君だろう」


 その一言に、胸の奥がざわついた。


(どうして)


 どうして、あの人に……。


(髪飾りだけでなく……)


 レオンが誰かに何かを贈るなど、見たことがない。それが、あの女性だというのか。


(あの人は……)


 静かに微笑み、言葉を選び、感情を荒げることもない。今日だって、自分の嫌味を受け流していた。落ち着いた大人の女性。自分とは違う。


(だからって)


 認める理由にはならない。


「やはり……何かあるのではありませんこと?」


 気づけば、そんな言葉がこぼれていた。


「やめなさい」


 侯爵の声がわずかに強くなる。


「今日の様子を見ただろう。あの人は我々に配慮してくれていた」


 それは、否定しようのない事実だった。だが、それが余計に気に入らない。


(非の打ちどころがない)


 だからこそ……どう足掻いても届かない気がして、苛立ちが募る。


「レオン君にお礼をしなくては」


 侯爵がそう言ってウェイターを呼ぶ。



 やがて、レオンが席を立ち、こちらへ歩いてくる。思わず背筋が伸びる。

 視線が合ったその瞬間……わかった。


(違う)


 そこにあるのは知っている顔だった。冷たく、整った、あの頃と同じ表情。


「お気遣いありがとうございます」


 形式通りの礼。それ以上でも、それ以下でもない。


(どうして)


 さっきまで、あんな顔をしていたのに。たったそれだけの距離で、まるで別人のようになるのか。

 レオンは短く言葉を交わすと、すぐに席へ戻った。

 そして……隣に座った瞬間……別人のように表情がほどける。柔らかく、穏やかな笑みに。


(……ずるい)


 胸の奥が痛む。


(そんな顔、知らない)


 知りたかった。ずっと。


「美味そうだな」


 その声さえ優しい。あの女性に向けられるすべてが違う。自分には一度も向けられなかったもの。

 食事の味は、ほとんど覚えていなかった。ただ、ひとつだけ。焼きついて離れない光景がある。あの距離。あの笑顔。あの人に向けるすべて。


(まだ……)


 指先に力が入る。テーブルクロスに皺が寄る。


(まだ、終わっていない)


 あの人は、いずれ自分の国に帰るのだから。


                 +++++


 侯爵たちの視線に気づくことなく、レオンと沙弥は会話を楽しんでいた。


「サーヤ、あの大きな浴槽には花を浮かべて入るんだろう?」

「そうですね。きっと綺麗でしょうね」

「昨夜は使えなかったから、今夜は一緒に……」

「無理です」


 断られるとは予想もしていなかったレオンは、被せ気味に拒否されて困惑した。


「……なぜ?」

「恥ずかしいからです」


(恥ずかしい? こんなに何度も触れ合っているのに……一緒に湯に浸かるのは恥ずかしいのか? なぜ?)


「わからん……」


 思わず漏れた本音に、沙弥が小さく笑う。


「明るいのが嫌なんです」


(灯りか)


 思い当たる節はある。寝室でも同じだった。


「なら、灯りを落とそう。ろうそく一本なら?」

「…………考えておきます」


 頬をわずかに染める。


(本当に、この人は)


 年上で、落ち着いていて、それでいて、こういうところで急に隙を見せる。そのたびに心を掴まれる。


「可愛いな、サーヤは」


 自然と頬に手が伸びていた。


「あちらのお客様より、本日のお礼とのことです」


 ウェイターがワインのボトルを運んできた。視線を辿ると侯爵たちの姿があった。


(……あの連中か)


 一瞬で気持ちが切り替わる。


「挨拶に行ってくる」


 短く言って席を立つ。用件だけを済ませて戻り、椅子に座った瞬間、ふっと力が抜けた。


 注文していた料理が運ばれ、食欲をそそる香りが立ちのぼる。


「美味そうだな」


 自然に笑みが浮かぶ。


(……本当に)


 自分でも呆れるほど変わる。だが、構わない。見せたいのは、目の前のこの人だけだ。


                ◇◇◇◇◇


 帰りの馬車から下り、湖畔へ向かうと、夜の湖は昼とは別の顔を見せていた。青く沈んだ水面に、満月が静かに浮かんでいる。


「月が綺麗だな」


 思わず口をついて出た言葉に、沙弥が笑う。


「それ、日本では愛の告白の意味があるんですよ」

「……そうか」


 一瞬考える。


「好きでもない相手と見ていて、出る言葉ではないだろうな」


 レオンがそう呟いた瞬間、一枚の葉が湖面に落ちた。鏡のようだった月が静かに砕け、銀色の輪が広がっていく。

 だがすぐに、何事もなかったように静けさを取り戻した。


                 +++++


 その夜……。


 二人は花を浮かべた湯に身を沈めていた。灯りは抑えられ、世界は柔らかな闇に包まれている。沙弥の輪郭だけが、かすかに浮かび上がっていた。


(見えない)


 それが、もどかしい。


「ロマンティックですね」

「……ほとんど見えないが」

「じゃあ、これは?」


 指を立てる気配。


「……三本」

「見えてるじゃないですか」

「見たいのはそこじゃない」


 思わず声が低くなる。


「サーヤの顔だ」

「あとで見ればいいでしょう?」

「いつでも見ていたい」


 自分でも驚くほど素直な言葉だった。

 湯気に乗って濃厚な花の香りが漂う。身体を動かすたびに花がそっと肌を撫でる。


「はぁ~、いい香り。癒やされます」

「……ヘンリクに癒やされるよりは、いいな……」

「……」

「……ヘンリクに笑っている時よりは、いい」


 自分でも呆れるほどしつこい。だが……あの時の光景が頭から離れない。


(あいつに向けた顔を……)


「……俺を見ている時の顔を……他の誰にも向けてほしくない」


 答えは、ない。

 すぐ隣にいるはずなのに、表情は見えない。だが次の瞬間、柔らかな気配が近づいた。頬に温もりが触れる。


「レオンさん、大好きですよ」


 その一言で、すべてがほどける。


「見ています。レオンさんだけを」


(……敵わない)


 抗う気すら失せる。


「明日はどうします?」


 話題が変わる。穏やかな会話に。それでいい。


「別の湖に行くか? 森を抜けた先にリゼリア湖という場所がある」

「歩いて?」

「馬だな」

「また一緒に乗せてくれます?」

「ああ」


(残りは、あとわずか)


 それでも、十分だと思いたかった。この時間を、手放すつもりはない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ