第26話 灯火の夜に、想いを結ぶ
後片付けを終えて部屋に戻ると、レオンが棚の上の小さな魔導具に手をかざした。
指先を軽く弾く。それだけで……空気が変わった。淡い光が一瞬だけ揺らぎ、次の瞬間、部屋の空気に静かな音楽が満ちていく。
姿の見えない楽器が、どこか遠くで奏でられているようだった。チェンバロのような、少し硬質で、それでいてどこか気品のある優美な響きだ。軽やかな指先が鍵盤の上を跳ねている光景が自然と頭に浮かぶ。
レオンは続けて小さな香炉の蓋を開け、香をくべた。やがて細い煙がゆるやかに立ち上り、部屋の空気に溶けていく。漂ってきたのは、サンダルウッドに似た上品な香り。落ち着いた木の温もりの中に、ほんのりとした甘さが混じる。鼻をくすぐるその香りはどこか懐かしい。
(……この香り)
ふと気づく。
(レオンさんに似ている……)
胸の奥が静かに揺れた。
音と香りに包まれた空間は、いつの間にか昼間とは別の場所になっていた。ここはもう「宿」ではない。二人だけの閉じた世界だ。
「夜は冷える。暖炉に火を入れよう」
レオンがしゃがみ込み、迷いのない手つきで薪を組む。指先から炎を出すと、小さな火花がぱっと散った。やがて薪の隙間で赤い火が生まれ、それがゆっくりと息をするように広がっていく。乾いた薪がパチパチと爆ぜる音。それが妙に心地いい。
ソファーに並んで腰を下ろすと、橙色の光が二人を包んだ。影が揺れるたび、距離の感覚が曖昧になる。音楽は変わらず静かに流れ、香の匂いがほのかに漂っている。
言葉はない。でも、沈黙は苦しくなかった。ただ……満ちている。
炎を映したレオンの瞳が揺れる。溶けた金のように。
そのときだった。レオンが静かに立ち上がる。そして戻ってきたとき、その手には小さな箱があった。
「これを君に」
差し出されたそれを見て、沙弥はわずかに息を止める。
(また……)
あの日と同じだ。受け取って、そっと開ける。中には、金色の宝石のペンダント。
……太陽石。
控えめなのに、目を逸らせないほどの存在感。
「今日は誕生日だろう?」
その一言で、胸が締めつけられた。
(覚えていてくれた……)
たった一度、何気なく話しただけなのに。
「誕生日の贈り物は、もういただきました」
「あれは普段使いには向かないだろう」
確かに、そうだが……。
「いつも身に付けていられるものを、贈りたかった」
迷いが生まれる。これは軽く受け取っていいものじゃない。
(でも……)
断るほうが……ずっと、残酷だ。
「……ありがとうございます」
小さくそう言って受け取った。その瞬間、レオンの気配が近づいた。ペンダントをつけるために背後に回る。指先が首筋に触れる。冷たいはずの指が、やけに熱い。
「似合う」
すぐ耳元で声がする。視線を上げると、すぐそこにレオンの顔があった。
一歩下がって、そのまま、今度は自分の荷物に手を伸ばした。
「……私からも」
小箱を取り出し、差し出す。
「レオンさんに」
「俺に?」
少しだけ意外そうな顔。箱を開けた瞬間、その表情が変わった。
剣の形のペンダント。そして、アラベスク模様のバングル。どちらにも埋め込まれた、深いブラウンの石。
「私の瞳と、同じ色です」
レオンの目が見開かれる。
「それは……意味を知って?」
「もちろんです」
静かに肯定する。その瞬間、腕を引かれた。強く、ほとんど反射のように。
「……ありがとう」
声が低い。抑えているのに、抑えきれていない。
「嬉しい」
抱きしめる力が明らかに強い。痛いほどではない。でも……逃がさない力だった。
(そんなに……?)
違和感ではない。ただ、理解が追いつかない。この人が、ここまで感情を露わにするなんて。胸の奥がじわりと熱くなる。最初に会った頃の、あの無愛想な騎士とは……まるで別人だった。
その腕の中で、ふと理解する。この国で自分の色の装飾品を贈る意味を。
「この国では、身に付ける装飾品を贈る相手は、かけがえのない存在に限られている。とりわけ、自らのシンボルカラーを用いた品を贈ることは、いっそう深い愛情の証とされる。一方で、相手のシンボルカラーの装飾品を自ら用意し、身に付ける行為は、その相手への求愛の意思を示すものとされている」
オーブリーから、そう言葉で教えられたときよりも、ずっとはっきりと理解できた。これは……ただの贈り物じゃない。想いそのものだ。
レオンの腕が、ほんのわずかに緩む。だが、完全には離れない。
「……いつの間に、これを?」
声が少し掠れている。
「まさか、一人で街に……」
「行ってません」
小さく笑う。
「オーブリーさんに協力してもらいました」




