第21話 静かなる狂乱、騎士の焦燥
果物の皮を剥き終えても会話は途切れなかった。エミリアの声は柔らかく、どこか安心する響きがある。
異国の中で、ようやく「普通の会話」ができる相手に出会えた気がして……沙弥も、つい長居をしてしまっていた。
そのときだった。
……ドンッ。
扉が、叩きつけるように開いた。
「……サーヤ」
低い声で呼ばれる。怒鳴っているわけではないのに空気が一瞬で張り詰める。
レオンが立っていた。髪は濡れたまま、シャツは半ばまでしか留まっていない。
呼吸がわずかに荒く、胸が上下している。
「何をしている?」
抑えた声。だが、圧が強い。
「えっと、キッチンで……」
「黙って出るな」
「すぐ戻るつもりで……」
「関係ない」
間髪入れずに返される。
「俺が部屋に戻って君がいなかったとき……どう思ったと思う?」
視線がまっすぐに突き刺さる。静かすぎて逆に怖い。
隣にいたエミリアが息を呑むのがわかった。
「どれだけ驚いたと?」
その一言で、「怒り」じゃないことに気づく。これは……焦りだ。
「すみません……」
ようやくそれだけ絞り出す。
「ちょっとおしゃべりしてて……こちらエミリアさんです」
紹介されてエミリアが小さく会釈する。だがレオンは、一瞬視線を向けただけだった。
「ああ」
ただ、それだけ。興味はない。
「よくここだってわかりましたね」
「テーブルにあった果物が消えていたからな」
「すごい推察力ですね! さすが!」
「おだてるな」
ぴたり、と言葉を切る。
「そういう問題じゃない」
手が伸びる。頬を、つままれる……強く。
「……っ」
(痛い)
「キッチンくらいなら大丈夫だと?」
感情を抑えたような声だが、威圧される……。
「何のために、俺が毎日部屋まで迎えに行くと思っている?」
(……そんなに)
そこまで、徹底する理由が……まだ、わからない。護衛対象を見失うのは、よっぽど不名誉なことなんだろうか。
「あの、私が引き止めてしまって……」
エミリアが口を挟む。だが……。
「関係ない」
切り捨てた。
「部屋を出た時点でサーヤの判断だ」
視線は沙弥から一切外れない。エミリアは何も言えなくなった。
顎を掴まれる。強い。でも、痛いというより……逃がすまいとしている力だった。
「もうやめてくれ」
その一言だけ、ほんのわずかに……揺れていた。
怒りではない。焦りでもない。「失うことへの恐怖」だった。
「……ごめんなさい」
素直に謝る。
「もう、勝手に出ません」
「……そうしてくれ」
そして……腕を掴まれる。逃がさないように。
「行くぞ」
右手で皿を持ち、左手で沙弥を引く。そのまま振り返りもせずに部屋を出た。
「それじゃ、エミリアさん……また今度!」
振り返る余裕もなく、声だけを残す。エミリアはその場に立ち尽くしていた。
(……怖い)
最初に浮かんだのは、それだった。だが……ゆっくりと、別の感情が滲み出す。
(あんなふうに……想われてるんだ)
あそこまで、取り乱して。あそこまで、必死になって。
(……羨ましい)
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
◇◇◇◇◇
部屋に戻って果物を食べながらも、レオンはまだ説教を続けていた。
「決して一人で出歩くなと最初に言わなかったか?」
「寮の中なら……」
「ダメだ」
「でも……」
「ダメだ」
(この人、本気で怖かったんだ)
自分がいなくなることが。ほんの数分でも。
だが、日本では護衛など付けずにどこでも歩いていた沙弥には、そこまで徹底する意味がどうしても理解できず、つい反論してしまう。
「君を見つけるまでは、キッチンにいるという確証はなかったんだぞ! 短時間であっても本当に心配したんだからな。せめてテルソラは持っていけ!」
それは確かにそうだと思うので、二度としないと誓った。だが……。
「レオンさんがいないときは、寮の中だけ自由に歩いていいことにしてもらえませんか?」
「俺を呼べばいいじゃないか」
「ちょっとキッチンに行くのにわざわざ呼ぶのは申し訳なくて、それなら我慢しようって思っちゃうんです」
「だが、俺がシャワーを浴びている間に勝手に出ていくのは……」
「それはもう、絶対にしません」
「わかった。寮内だけだぞ」
なんとか寮内の移動権を手に入れた。
「サーヤ、頬が赤いぞ」
「レオンさんがつねったからじゃないですか」
「軽くつまんだだけじゃないか」
「レオンさんの軽くは普通の人の全力なんです」
「そんなことはないと思うが……」
レオンはそう言って沙弥の頬に治癒魔法をかけた。
「レオンさん」
「なんだ?」
「今回は私が悪かったんですけど」
「そうだな」
「いついかなるときでも、暴力は禁じられています。私の国では」
「暴力というほどではないだろう?」
「私はレオンさんほど頑丈ではないんです」
「……悪かった」
そう言って触れた唇は、さっきまでの強さとは違って、驚くほどやさしかった。
※※※※※
その頃、賢斗は魔の山の麓で野営をしていた。
(姉さんが言っていたとおり、禍々しい雰囲気だな)
この山を明日から登るのだ。少し不安になるが、頼もしい騎士たちと一緒だから心配ないと思い直していたところにオーブリーから声をかけられた。
「ケント、大丈夫か?」
「大丈夫ッスよ! キャンプみたいで楽しいし」
「まだ初日だからな。明日からは少しきつくなるかもしれないから、今夜はよく寝ておけよ」
「イエッサー!」
このために二ヶ月近くトレーニングを受けた。大丈夫、うまくやれる。早く討伐して姉さんと日本に帰ろう。
そう心に決めて眠りについた。




