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ルーキスの太陽 ~異世界の境界線、その手を離さない~  作者: 如月菫
第一部 終わると知りつつ、恋をした
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第19話 城下町の休日、切り取られた一瞬

 翌日の朝食後、沙弥とレオンは賢斗と待ち合わせ、城下町へ出かけた。


 魔獣王の誕生が迫り、瘴気も流れ込んでいるはずだというのに、街は驚くほどいつもどおりだった。

 露店には人が集まり、子どもたちは笑い、商人は声を張り上げる。

 ……まるで、何も起きていないかのように。


 だからこそ、どこか現実味がなかった。この平穏が、あと何日続くのかもわからないのに。


 三人はそんな街をゆっくりと歩いた。


 今日は沙弥と賢斗が並び、レオンは一歩後ろを歩いている。会話には加わらず、確かに距離を保ち、二人の背中を見守るように。

 その距離は、護衛としては正しい。だが……


(……少しだけ、遠い)


 そう感じてしまった自分に、レオンは小さく苦笑した。


「勇者様~!」


 通りの向こうから声が飛ぶ。振り向いた賢斗に店の主人が手を振った。


「明日から討伐だろ? これ、持っていってくれ!」


 差し出されたのは、色鮮やかな果物だった。


「あざっす!」


 賢斗は満面の笑みで受け取り、そのまま当然のように沙弥へ半分差し出す。


「ほら、姉さん」

「ありがと。人気者ね」

「あったり前だろ。俺、勇者だぜ?」


 胸を張るその姿に、思わず笑ってしまう。いつもどおりの弟だ。

 でも……


(あの山に、この子が入っていく)


 あのときの光景が脳裏に蘇る。黒く澱んだ空気。皮膚にまとわりつく重い圧。呼吸をするたびに、肺の奥が焼けるような感覚。

 立っているだけで命を削られていく場所。あそこへ……。


「どうした?」


 賢斗が首をかしげる。


「……ううん。ちょっと思い出しただけ」


 そのまま流すこともできた。でも、今日は……言っておくべきだと思った。


                 +++++


 食事のために入った店で、沙弥は静かに口を開いた。


「言ってなかったんだけど……あの山の麓まで行ったことあるの」

「えっ、いつ!?」

「こっちに来てすぐ」

「マジかよ……」


 麓で感じた瘴気のこと。体調を崩したこと。レオンに助けられたこと。

 大事な部分は伏せたまま、それでもできるだけ淡々と話した。


「だから……ちょっと心配で」


 そう言うと、賢斗は一瞬だけ黙った。そして、わざと明るく笑う。


「結界張れば平気なんですよね?」


 視線はレオンへ向いていた。


「ああ。我々も濃い瘴気を受ければ不調をきたすから、常に張っておく。だが、ケントも同じ体質なら油断はするな」

「了解ッス」


 軽い返事。だが、その奥にあるものを沙弥は感じ取ってしまう。


(……わかってるんだ)


 危険だということも。それでも行かなければならないことも。全部……。


「レオンさん」


 賢斗が、ふいに真面目な声になる。


「俺に万が一のことがあっても……」

「……」


 ほんの一瞬、レオンの視線がわずかに落ちた。


「姉さんがちゃんと日本に帰れるようにしてくれますよね?」

「……ああ」


 間を置いて、はっきりと言う。


「約束する」


 その言葉に胸が締め付けられた。


「ねえ、やめてよ、そういうの」


 思わず声が強くなる。


「縁起でもないこと言わないで」

「だから万が一だって」


 賢斗は苦笑して、少しだけ視線を逸らした。


「ちゃんと帰ってくるからさ」


 そう言ったとき、ほんの一瞬だけ……賢斗の視線が揺れた気がした。

 すぐに笑ったけれど。


(……わかってるんだ)


 怖くないわけがない。それでも行くと決めている。


                 +++++


「姉さん」


 食後、店を出たところで賢斗が足を止めた。


「巻き込んじゃって、悪かったな」

「何よ、急に」

「でもさ、一緒に来てくれて、どれだけ心強かったかわからないよ」


 照れくさそうに笑う。


「一人だったら、たぶんめちゃくちゃ怖かった」


 その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。


「私もよ。一人で心配してるより、ずっとよかった」


 そう答えると、賢斗は少しだけ安心したように息を吐いた。

 そして、レオンの方を向く。


「レオンさん」


 すっと頭を下げる。


「俺がいない間、姉さんのことお願いします」

「ケント、頭を上げてくれ」


 レオンがまっすぐな視線を向けた。


「昨夜、誓いを立てただろう。命に代えても守る」


 その言葉は軽くなかった。ただの誓いではないと、はっきりわかるほどに。


「……そっか」


 賢斗は小さく笑った。


「じゃあ安心だ」


 少しだけ、肩の力が抜ける。


「今思えばさ、国で一番強い人を姉さんの護衛にしろって言った俺、ファインプレーじゃね?」

「最初は迷惑そうだったけどね」

「……ああ」


 レオンがわずかに目を逸らす。かつては、そう思っていた。だが今は違う。

 もしこの役目が他の誰かだったなら……そう考えただけで、胸の奥がざらりとした。


                 +++++


「そうだ、今日はこれを持ってきたの」


 沙弥はスマホを取り出した。


「おっ、久しぶりに見た」


 賢斗がそう言い、


「なんだそれ」


 レオンが不思議そうに見る。


「写真が撮れるの」


 説明もそこそこに、三人で並び、シャッターを切った。


「はい、撮れた」

「なんだこれは……」


 レオンが目を見開く。

 画面の中には、笑っている三人がいた。何も知らないかのように。何も失わないかのように。

 ……この瞬間は確かに残る。でも、その先は、


(……写せない)


 保存してあった写真も見せる。そこからはしばらく、穏やかな時間が続いた。

 日本の景色。見慣れない建物。賑やかな街。そして……ビーチの写真。


「これは下着ではないのか!?」

「水着ですってば」


 いつもどおりのやり取りに、思わず笑いがこぼれる。

 その時間が、やけに愛おしかった。


                 +++++


 宿舎に戻り、賢斗の部屋で改めて写真を撮った。オーブリーも加わって、四人で。

 笑い声が部屋に満ちる。その時間は、確かに幸せだった。


 だからこそ……


「魔獣王の写真も撮れたらいいな」


 賢斗の何気ない一言に、


「どうだろうな」


 オーブリーが答えたその声に、誰も続かなかった。

 冗談のはずなのに、誰も笑わなかった。


                 +++++


「討伐にスマホを持って行くなら、モバイルバッテリーを貸すわよ」

「それじゃ、後で取りに行くよ」

「待ってるわね」


 軽く手を振って別れる。いつもどおりのやり取り。……いつもどおり、のはずなのに。


(もし、これが最後だったら)


 そんな考えが、ふいに胸をよぎる。足がわずかに止まりかける。振り返ることは、できなかった。

 ただ前を向いたまま、胸の奥に沈んだものを、見ないふりをした。


 ……明日が来るのが怖かった。


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