第19話 城下町の休日、切り取られた一瞬
翌日の朝食後、沙弥とレオンは賢斗と待ち合わせ、城下町へ出かけた。
魔獣王の誕生が迫り、瘴気も流れ込んでいるはずだというのに、街は驚くほどいつもどおりだった。
露店には人が集まり、子どもたちは笑い、商人は声を張り上げる。
……まるで、何も起きていないかのように。
だからこそ、どこか現実味がなかった。この平穏が、あと何日続くのかもわからないのに。
三人はそんな街をゆっくりと歩いた。
今日は沙弥と賢斗が並び、レオンは一歩後ろを歩いている。会話には加わらず、確かに距離を保ち、二人の背中を見守るように。
その距離は、護衛としては正しい。だが……
(……少しだけ、遠い)
そう感じてしまった自分に、レオンは小さく苦笑した。
「勇者様~!」
通りの向こうから声が飛ぶ。振り向いた賢斗に店の主人が手を振った。
「明日から討伐だろ? これ、持っていってくれ!」
差し出されたのは、色鮮やかな果物だった。
「あざっす!」
賢斗は満面の笑みで受け取り、そのまま当然のように沙弥へ半分差し出す。
「ほら、姉さん」
「ありがと。人気者ね」
「あったり前だろ。俺、勇者だぜ?」
胸を張るその姿に、思わず笑ってしまう。いつもどおりの弟だ。
でも……
(あの山に、この子が入っていく)
あのときの光景が脳裏に蘇る。黒く澱んだ空気。皮膚にまとわりつく重い圧。呼吸をするたびに、肺の奥が焼けるような感覚。
立っているだけで命を削られていく場所。あそこへ……。
「どうした?」
賢斗が首をかしげる。
「……ううん。ちょっと思い出しただけ」
そのまま流すこともできた。でも、今日は……言っておくべきだと思った。
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食事のために入った店で、沙弥は静かに口を開いた。
「言ってなかったんだけど……あの山の麓まで行ったことあるの」
「えっ、いつ!?」
「こっちに来てすぐ」
「マジかよ……」
麓で感じた瘴気のこと。体調を崩したこと。レオンに助けられたこと。
大事な部分は伏せたまま、それでもできるだけ淡々と話した。
「だから……ちょっと心配で」
そう言うと、賢斗は一瞬だけ黙った。そして、わざと明るく笑う。
「結界張れば平気なんですよね?」
視線はレオンへ向いていた。
「ああ。我々も濃い瘴気を受ければ不調をきたすから、常に張っておく。だが、ケントも同じ体質なら油断はするな」
「了解ッス」
軽い返事。だが、その奥にあるものを沙弥は感じ取ってしまう。
(……わかってるんだ)
危険だということも。それでも行かなければならないことも。全部……。
「レオンさん」
賢斗が、ふいに真面目な声になる。
「俺に万が一のことがあっても……」
「……」
ほんの一瞬、レオンの視線がわずかに落ちた。
「姉さんがちゃんと日本に帰れるようにしてくれますよね?」
「……ああ」
間を置いて、はっきりと言う。
「約束する」
その言葉に胸が締め付けられた。
「ねえ、やめてよ、そういうの」
思わず声が強くなる。
「縁起でもないこと言わないで」
「だから万が一だって」
賢斗は苦笑して、少しだけ視線を逸らした。
「ちゃんと帰ってくるからさ」
そう言ったとき、ほんの一瞬だけ……賢斗の視線が揺れた気がした。
すぐに笑ったけれど。
(……わかってるんだ)
怖くないわけがない。それでも行くと決めている。
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「姉さん」
食後、店を出たところで賢斗が足を止めた。
「巻き込んじゃって、悪かったな」
「何よ、急に」
「でもさ、一緒に来てくれて、どれだけ心強かったかわからないよ」
照れくさそうに笑う。
「一人だったら、たぶんめちゃくちゃ怖かった」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
「私もよ。一人で心配してるより、ずっとよかった」
そう答えると、賢斗は少しだけ安心したように息を吐いた。
そして、レオンの方を向く。
「レオンさん」
すっと頭を下げる。
「俺がいない間、姉さんのことお願いします」
「ケント、頭を上げてくれ」
レオンがまっすぐな視線を向けた。
「昨夜、誓いを立てただろう。命に代えても守る」
その言葉は軽くなかった。ただの誓いではないと、はっきりわかるほどに。
「……そっか」
賢斗は小さく笑った。
「じゃあ安心だ」
少しだけ、肩の力が抜ける。
「今思えばさ、国で一番強い人を姉さんの護衛にしろって言った俺、ファインプレーじゃね?」
「最初は迷惑そうだったけどね」
「……ああ」
レオンがわずかに目を逸らす。かつては、そう思っていた。だが今は違う。
もしこの役目が他の誰かだったなら……そう考えただけで、胸の奥がざらりとした。
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「そうだ、今日はこれを持ってきたの」
沙弥はスマホを取り出した。
「おっ、久しぶりに見た」
賢斗がそう言い、
「なんだそれ」
レオンが不思議そうに見る。
「写真が撮れるの」
説明もそこそこに、三人で並び、シャッターを切った。
「はい、撮れた」
「なんだこれは……」
レオンが目を見開く。
画面の中には、笑っている三人がいた。何も知らないかのように。何も失わないかのように。
……この瞬間は確かに残る。でも、その先は、
(……写せない)
保存してあった写真も見せる。そこからはしばらく、穏やかな時間が続いた。
日本の景色。見慣れない建物。賑やかな街。そして……ビーチの写真。
「これは下着ではないのか!?」
「水着ですってば」
いつもどおりのやり取りに、思わず笑いがこぼれる。
その時間が、やけに愛おしかった。
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宿舎に戻り、賢斗の部屋で改めて写真を撮った。オーブリーも加わって、四人で。
笑い声が部屋に満ちる。その時間は、確かに幸せだった。
だからこそ……
「魔獣王の写真も撮れたらいいな」
賢斗の何気ない一言に、
「どうだろうな」
オーブリーが答えたその声に、誰も続かなかった。
冗談のはずなのに、誰も笑わなかった。
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「討伐にスマホを持って行くなら、モバイルバッテリーを貸すわよ」
「それじゃ、後で取りに行くよ」
「待ってるわね」
軽く手を振って別れる。いつもどおりのやり取り。……いつもどおり、のはずなのに。
(もし、これが最後だったら)
そんな考えが、ふいに胸をよぎる。足がわずかに止まりかける。振り返ることは、できなかった。
ただ前を向いたまま、胸の奥に沈んだものを、見ないふりをした。
……明日が来るのが怖かった。




