第12話 初恋の自覚、トパーズの涙
浄化は、すでに習慣になっていた。
最初のぎこちなさは薄れ、終わったあと、並んで横になる時間が自然に生まれるようになった。
他愛もない会話。意味のない沈黙。触れ合うでもなく、離れるでもない距離。その曖昧さが心地よかった。
理由はどうあれ、何度も肌を重ねていれば距離は否応なく縮まる。
だがそれ以上に……互いの「間」に、言葉にできない何かが育っていた。
「レオンさんの瞳は、トパーズに似ていますね」
「……トパーズ?」
聞き慣れない言葉に、レオンがわずかに眉を寄せる。
「レオンさんの瞳の色に似た宝石で、私の誕生石なんです」
そう言いながら、沙弥は彼の横顔を見た。
光を受ければ金に透け、影に沈めば深い琥珀になる瞳。鋭いのに、どこか温かい。
誕生石も知らないと言うので、生まれ月ごとにシンボルとなる宝石があり、トパーズは十一月の誕生石だと教えた。
「……では、君はもうすぐ誕生日か」
「はい。レオンさんとの差が、さらに開きますね」
「あまり差は感じないがな」
「レオンさん、落ち着いてますからね」
並んで横たわったまま、沙弥は天井を見つめた。
この世界に来て一ヶ月。賢斗の出発は、もう遠くない。沙弥の誕生日に賢斗は魔の山にいるだろう。
「サーヤ」
不意にレオンの声が近づく。
「君の髪は、いつもよい香りがする」
指先が、そっと髪をすくう。
「シャンプーの香りですね。日本の」
「……あの大きな荷物か。ここに来ることが、わかっていたかのような」
「たまたまです。実家に帰る途中だったので」
「……そうか」
「賢斗が迎えにきてくれて、そのときにこちらに呼ばれて……」
レオンが言葉を返すまでの間が、徐々に長くなっていく。沙弥のひと言ひと言を噛みしめるように……。
「……少しでもずれていたら、君は来なかったのだな」
「そうですね」
軽く答えたその一言に、レオンは何も返さなかった。そして……
「……早く帰りたいか?」
唐突な問いだった。
「はい……」
迷いのない声。その一言で、何かが確定してしまう。
レオンは目を閉じた。胸の奥に鋭い痛みが走る。
……知っていたはずだ。最初から、そういう存在だと。ここにいるのは、ただの「客人」。いずれ帰る人間。それなのに……。
(なぜだ)
こんなにも、失うことが怖い。
「でも」
沙弥の声が続く。
「今は、それよりも賢斗が無事に帰ってきてくれるほうが大事です」
「あいつなら大丈夫だ」
言葉は穏やかだったが、その奥はざわついていた。
沈黙が落ちる。そのまま終わるはずだった。
だが……
(ここで触れなければ、もう二度と……)
レオンは、ゆっくりと起き上がった。自分でも、なぜ動いたのかわからない。ただ、止められなかった。
そして、沙弥の頬を両手で包む。逃がさないように、壊さないように。
唇を重ねる。
それは、浄化のときのそれとはまったく違っていた。触れるだけで意味を持つ接触。
(……違う)
沙弥の胸がわずかに揺れる。唇が離れ、すぐ近くで息が触れる。
「君が、欲しい」
低く、抑えきれない声音。
(……私を?)
今まで一度も見せなかった感情だった。
沙弥は、彼の頬に手を添えた。
「……それは、欲しいだけですか」
静かに問いかける。
「それとも……私が、好きだから?」
視線がぶつかる。逃げ場のない問いだった。
(どちらでも、私は拒まない)
それが自分の答えだと、すでにわかっていた。
恋とは言い切れない。それでも……
守られている安心。与えられているばかりの負い目。穏やかに寄り添うような感情。名前はつけられない。だが、確かに大切だった。
「欲望だけなら、他を当たる」
レオンの声は驚くほど冷静だった。
「いくらでも相手はいる。……わざわざ君を選ばない」
その言葉はひどく誠実だった。
「君が好きだ」
少しだけ、言い淀む。
「……だが、それが君の言う『好き』と同じかはわからない」
「恋をしたことは?」
「ない」
「それは、貴族だから?」
「いや、跡継ぎでもなければ自由だ。それでも、一度もなかった」
何の迷いもない答えに、沙弥は目を伏せた。
(この人は、恋をしたことがなかった……?)
それは、少しだけ危うくて……少しだけ、愛おしい。
「自分から望んだのは、君が初めてだ」
その一言で十分だった。
「それで、いいです」
沙弥はレオンを抱き寄せた。強く。逃がさないように。
レオンもまた、応える。その抱擁は、激しさよりも……確かさを求めていた。
それでも……
(一番欲しいのは、君の心だ……)
なぜか、その一言を口に出せなかった。
触れ合いはやがて深くなり、言葉は消える。互いの体温だけが残った。
+++++
どれくらい時間が過ぎたのか、わからない。
「……俺は」
レオンが天井を見つめたまま呟く。
「恋を知ったのだな」
返事はない。
「そして、……すぐに失う」
わずかに声が揺れた。
「……私の国では、初恋は実らないものだと言います」
かすかな冗談のようで、慰めにもならない言葉。
「ならば、誰もがこのような思いをするのか?」
「普通は……もっと早くに……軽く済ませます」
相手が異世界人でさえなければ、この美貌の貴公子が失う恋などなかったろうに。
「君が去る日のことを考えると」
そこで言葉が途切れる。
「……胸が、つぶれそうになる」
呼吸が乱れる。
沙弥が顔を向けると、レオンの目尻が濡れていた。瞬きをすると、涙が一粒こぼれ落ちた。それを見た瞬間……胸が締めつけられた。
何も言わずに抱き寄せる。その頭を胸に引き寄せ、髪を撫でる。大きな身体がわずかに震えていた。
(この人は、こんな顔をするんだ)
初めて知る弱さ。それが……たまらなく愛おしい。それでも……
「大丈夫です」とは言えなかった。
「離れない」とも言えなかった。
代わりに、ただ静かに抱きしめる。
気づけば、沙弥の頬にも涙が伝っていた。
寄り添うしかない二人の距離は、それでも……これ以上なく近かった。




