第11話 噂の影と、「計算機」の衝撃
やがて昼の鐘が鳴る。
「昼食は騎士棟の食堂でいいか?」
「いいですよ。賢斗はまだ戻ってこないみたいですし……ダニエラさんもご一緒にどうですか?」
言い終える前に、ぐい、と制服の裾を引かれた。振り向くと、レオンが無言で首を横に振っている。……誘うな、という顔だが、もう遅い。
「えっ、いいんですか~!? ぜひぜひ、ご一緒させてください! レオン様とお食事なんて夢みたいです~!」
満面の笑みだった。レオンは小さく息を漏らした。
騎士棟の食堂は広く、昼時ということもあって騎士たちで賑わっていた。三人でトレーを取り、料理を選ぶ。
席につくなり、ダニエラが口火を切った。
「それにしても、すごいですよね~。レオン様と毎日一緒にいられるなんて!」
「護衛をしていただいているので」
沙弥は淡々と返す。
「でもでも! 普通の女の子だったら舞い上がっちゃいますよ! 私だったら絶対……」
「黙って食え」
「はーい!」
元気な返事だった。数秒後、また喋り出す。止まらない。
半分ほど聞き流していたが……
「そういえば」
意味ありげに笑う。
「最近、レオン様がサーヤさんの部屋に入って、しばらく出てこないって噂になってますよ~。何してるんですか~?」
ぴたり、と空気が止まった。
レオンは何も言わない。否定もせず、水を一口飲む。視線も合わせない。
「……報告書とかを作ってるんですよ」
沙弥が先に口を開いた。
「へぇ~」
ダニエラが首を傾げる。
「防音魔法までかけてですか~?」
一瞬、言葉に詰まる。
(なにそれ、聞いてない)
「……機密事項もありますから」
苦しい言い訳だという自覚はあるが、白を切り通すしかない。
「ふ~ん」
納得したような、していないような顔だ。
レオンは依然として無言のまま、皿の肉を切っている。
それ以上は突っ込まれなかった。
「ダニエラさんは寮じゃないんですよね?」
沙弥が話題を変える。
「あっ、はい! 実家から通ってます。子爵家なんですけど……」
再び勢いよく喋り出した。今度は安全な話題だ。レオンが小さく息を吐いた。
午後……。
伝票の分類は無事に終わり、最後の箱が空になる。
「終わった……!」
ダニエラがぐったりと机に突っ伏した。
「お疲れさまでした。明日は集計に入りましょう」
「は~い……」
返事は弱い。沙弥は箱を見ながら言った。
「今後は、このまま溜めるんじゃなくて、最初から分類してもらったほうがいいですね」
「え?」
「カテゴリごとに箱を分けて、提出時に入れてもらうんです。月末に回収すれば、そのまま月ごとに集計できます」
「……あっ!」
顔が上がる。
「それなら楽です!」
「間違いもあると思うので、最後のチェックだけしてください」
「はいっ!」
声が明るくなった。
帰り道……。
「君は本当に仕事ができるな」
レオンがぽつりと言った。
「慣れているだけですよ」
「そうは見えない」
「レオンさんだって、早かったじゃないですか。ダニエラさんよりずっと」
「あれはあいつが遅すぎるだけだ」
評価が厳しい。
少し歩いて、沙弥が言う。
「噂、出てるみたいですね」
「……くだらない」
深く息をつく。
「この国の女は、そういう話が好きだ」
「日本でも似たようなものですよ」
秘書室の情報網を思い出して苦笑する。あれはCIA並みだった。
「だが、浄化は必要だ」
レオンが続ける。
「診療所でやるのは嫌だろう?」
「……そうですね」
あの医師の顔が浮かんだ。「余計なこと」をされるかもしれない。
「俺の部屋は論外だな」
「賢斗に見つかります」
「騒ぐだろうな」
「絶対に!」
断言すると、レオンがわずかに口元を緩めたが、すぐに戻った。
「……街中も避けたい」
「目立ちますからね」
少し考えてから、口を開く。
「私は構いませんけど」
「ん?」
「噂になっても……」
歩調を変えずに続ける。
「でも……レオンさんの評判が下がりますよね」
レオンは一瞬だけ視線を向けた。
「構わない」
迷いはなかった。噂よりも、立場よりも……優先すべきことのように思えた。
「サーヤが気にしないなら、このままでいい」
それだけ言って前を向く。沙弥は小さく頷いた。
(やっぱり優しい人だ)
◇◇◇◇◇
翌日……。
「この量……気が遠くなります~」
ダニエラが伝票の山を見て呟く。
「そこで、これです」
沙弥が取り出したのは、愛用しているソーラー式電卓だった。
「テッテレー! でんたく~!」
ドラえもん風に言ってみたが、もちろん通じない。
「それは何ですか?」
「計算機です。数字を入れると、すぐに答えが出ます」
「えっ!?」
ダニエラの目が丸くなる。使い方を見せると……
「なにこれ!? ずるいですそれ!!」
「どういう仕組みだ」
レオンも覗き込む。
「そこまでは私もわかりません」
説明すると長くなるので、さらりと流す。
「では分担しましょう。ダニエラさんが読み上げて、私が入力します。レオンさん、記録をお願いします」
「今日も俺は使われるのか」
「昨日より楽ですよ」
「……はあ」
ため息をつきつつ、レオンも席に着く。
作業は驚くほど速く進んだ。
「終わった……?」
ダニエラが呆然とする。
「終わりましたね」
「一日で……?」
信じられない、という顔だ。
「私一人だったら一ヶ月以上かかってました!」
(それはかかりすぎでしょ)
「私たち、いいチームですね!」
ぱっと笑う。
「チームレオン誕生です!」
「……俺はそんなもの作った覚えはない」
低い声が返る。だが、その場を離れようとはしなかった。
騎士たちの視線が、また三人に集まっていた。




