第10話 最強の騎士、事務作業に駆り出される
三日後……。
沙弥はレオンに連れられて人事課を訪れた。
「はじめまして、人事課長のランベルト・カレンベルクです」
「サヤ・マツバヤシです。よろしくお願いします」
柔和な笑みを浮かべた中年の男は、穏やかな口調で言った。
「第二騎士団長から話は聞いています。秘書をされていたとか」
「はい」
「書類仕事ができる人材は貴重です。ぜひ力を貸してください」
細かな条件を詰めたあと、沙弥は第二騎士団で働くことになった。
制服も支給されるらしい。あまりたくさん服を持っていないのでありがたい。
翌日……。
詰所は、思っていたよりも雑然としていた。書類棚の前には紙束が積まれ、机の上も整頓されているとは言い難い。
「おはようございます。サヤ・マツバヤシです。本日からお世話になります」
「団長のマティアスだ。ケントの姉君だな。弟はよくやっている」
がっしりとした体格の団長は短くそう言い、沙弥を書類係に引き合わせた。ぽっちゃりとした若い女の子だった。まだ二十歳だという。
「ダニエラ・ディーチェです! よろしくお願いします!」
元気よく頭を下げたかと思うと、ぱっと顔を上げる。
「わぁ……! レオン様、本物……!」
目が輝く。
「ちょ、ちょっといいですか!? 手、触っても……」
「やめろ」
即拒否だった。
「ええ~!」
それでもめげずに食い下がる。
「こんな近くで見られるなんて夢みたいです! やっぱりかっこいいですね~! 『ルーキスの太陽』って呼ばれてるの、ご存じですか?」
「いえ」
「瞳もそうですけど、存在がもう太陽なんです!」
言い切った。レオンは露骨に眉をひそめる。
(……なるほど)
沙弥は納得した。これが、この国の「普通」なのだ。
「それで、お仕事の説明をお願いしてもいいですか?」
「あっ、はい!」
切り替えは早い。
「この伝票をカテゴリごとに分けて、さらに月別にまとめて、合計出して……それを元に予算案も……」
机の横に置かれた箱を指さす。大きなのが三つ。中身はぎっしりだ。どれだけ溜め込んでいるのか。
「……これ全部ですか?」
「はい! 私一人じゃ絶対無理だったので来てくださって嬉しいです! しかもレオン様まで付いてくるなんて!」
笑顔で言い切った。「俺はオマケじゃないぞ」とレオンが不愉快そうに言う。
沙弥は一瞬だけ黙り、すぐに頷いた。
「では、まず分類から始めましょう」
箱をひとつ引き寄せる。
「三人でやれば、今日中に終わります」
「三人?」
レオンが眉を上げる。
「俺も数に入っていないか?」
「入ってますけど」
「俺は護衛だ」
「この部屋で?」
「そういう問題ではない」
「大丈夫です。レオンさんなら、作業しながらでも護衛できます」
(ただ立っているだけなんて、リソースの無駄遣いだもの)
「優秀な人材は活用すべきです。はい、ここに座って」
隣の椅子をポンポンと叩くと、レオンは一瞬だけ言い返しかけて……やめた。小さく舌打ちして、腰を下ろす。
周囲の騎士たちがざわついた。
「……珍しいものを見たな」
「あのレオンが……」
ひそひそ声が飛ぶ。
「君は急に生き生きとしてきたな」
「働くの久しぶりですから」
「レオン様、尻に敷かれてますね~」
「お前は黙れ」
「なんでサーヤさんは『君』で、私は『お前』なんですか? 私も『君』がいいです!」
「お前は『お前』で十分だ」
間を置いて、ぼそりと付け足す。
「……そのほうが合っている」
「ひどいです~!」
抗議の声を背に、作業が始まった。伝票を手に取り、分類し、積む。単純だが、量が多い。
沙弥は迷いなく手を動かし続ける。横目で見ると、レオンも無言で処理していた。手が早い。
一方……
「えっと……これ、どっちでしたっけ……?」
ダニエラは一枚ごとに止まっている。仕分けたはずの紙を、また別の山に戻し……首を傾げる。進んでいない……明らかに。
それでも沙弥は何も言わず、淡々と続けた。
昼近くになると、沙弥の箱は半分以上が消えていた。レオンもほぼ同じ。ダニエラの箱だけが、ほとんどそのまま残っている。
「……あれ?」
本人もようやく気づいたらしい。
「なんで……?」
沙弥はさらりと言った。
「慣れれば早くなりますよ」
「は、はい……!」
ダニエラは慌てて頷く。その横で、レオンが小さく息をついた。
……やりやすい。ふと、そう思った。無駄に騒がず、勝手に進め、必要なところだけ指示を出す。余計な気遣いも、媚びもない。
視線を向けると、沙弥はすでに次の束に手を伸ばしていた。迷いがない。ただ、それだけのことが……妙に心地よかった。
(……なぜ、俺は従っている?)
命令されたわけでもない。任務でもない。それでも、席を立つ気が起きない。
騎士たちの視線は、いつの間にか書類ではなく三人に向けられていた。特に……レオンが文句を言いながらも席を立たないことに。誰も口には出さなかったが、それが一番の異変だった。
周囲の騎士たちの視線に気づき、レオンはわずかに眉をひそめた。
(……何を見ている?)
だが、その視線の意味に、すぐに思い至る。
(……俺が、席を立たないからか)




