第2章 - レベル0
天使の研修生ミカは、壊れかけのホワイトボードに下手くそなグラフを描きながら、天界のシステムを説明した。チョークの線は勝手に消えていく。まるでボード自体がこの説明に恥じらっているみたいだった。
「ここでは力を測らないんだ、タリエル。存在を測るんだ。レベルは強さじゃない。どれだけ認識されているか、どれだけ名前を呼ばれるか、誰もいない部屋でもどれだけ覚えられているか、その度合いだよ」
彼は0から1000までのスケールを指差した。
「レベル0は存在しないのと同じ。真空。戸籍抹消。レベル10でやっと天使の赤ちゃん、顔ができて光輪を落とさずに持てる。レベル100で大天使、部隊を率いてサインができる。レベル1000でほぼ神、玉座の近くに座ってコーヒーを頼める」
俺は目の前に浮かぶ自分のステータスを見た。自分と同じように透明で、ノイズが走っている。
[名前:タリエル|レベル:0|存在度:0.01%|種族:--------|親和性:--------|潜在能力:--------|運命:--------|昇格確率:0.0000001%]
0なのに、まだここにいる。数学的な侮辱。システムエラー。立っているパラドックス。
ミカは曲がった光輪を掻いた。彼の光輪も曲がっていることに気づいた。ただ、俺のより少しだけ明るい。
「普通、レベル0は即削除だよ。ゴミ箱行き。魂のリサイクル。雲の肥料になる。でも君は0なのに0.01%ある。バグなんだ。0だけど0じゃない。システムがどうしていいか分からなくて、決めるまで放置してるんだ。君は今、審査中。で、天界の審査は300年かかるんだ」
「どうやったらレベルが上がるの?」
ミカは肩をすくめた。
「知らない。誰も上がらないよ。天使は生まれた時からレベルが決まってる。レベルは運命だ。ハンコが押されて生まれてくる。でも……屈辱の方が祈りより早いって聞いたことがある。忘れられる痛みの方が、嫌われる痛みより強いって」
彼は最後まで言わなかった。でも俺には分かった。
屈辱。
天界で一番無駄な仕事を渡された。第7区の端っこで3時間、嵐の鳥を追い払う仕事。黒い風と凝縮された怒りでできた鳥で、雲を食べて穴を開ける。穴が多すぎると雲が泣いて、下の区画を洪水にする。下の区画は生まれたばかりの魂がいるところだ。
普通の天使なら手を叩けば光を怖がって逃げる。レベル10の光でも鳥の羽は焦げる。
俺はそこに立った。立とうとした、という方が正しい。足が時々雲を突き抜けて、膝まで雲の中に落ちた。寒い。温度の寒さじゃない。気づかれない寒さだ。
鳥たちが来た。一群れ。風の小さな目で俺を見た。霧でも見るように俺の体を突き抜けて、避けもしなかった。そして食べ続けた。一羽は5分間、俺の透明な胸の中で巣まで作った。ちょっと暖かかった。
3時間、鳥に突き抜かれ続けた。
誰も褒めない。誰も気づかない。足は突き抜けても疲れない。でも心は疲れる。幽霊でも心が疲れるなんて知らなかった。許可なく存在する疲れだ。
最後に、区画長の天使が巡回に来た。レベル45、大きな翼を二枚持って、光のクリップボードが一人でに浮いている。穴だらけの雲を見た。俺を見た。もう一度雲を見た。
「君は天界で一番ダメな職員だね。一羽も追い払えなかったの?300年この第7区にいるけど、マイナス効率は初めて見たよ」
「ありがとう。死んで初日で称号ゲットだよ。幽霊の履歴書に書ける?」
彼は俺を見もせずに書き込んだ。目の前にエラー音と共に青いウィンドウが現れる。
[効率:-2%/存在度:+0.0001%/カルマ:+0.01 - 役立たずなのに謝っ]
屈辱が存在度になった。謝っただけでカルマも。システムはどうかしてる。
食堂に行った。アンブロシアの匂いがした。桃と蜂蜜と夏の雨の間のような匂い。天使たちの列はトレイを取り、食べ物は彼らの手の中で固形になる。天使が持つと、食べ物は存在することを決める。
俺の番が来た。光輪が輝く給仕の天使が、台を突き抜ける俺の空の皿を見た。もう覚えられていた。
「またあなた。あなた、スプーンも持てないのね、ねえ。匂いだけ嗅いでいって。匂いはタダよ、でもお腹は膨らまないけどね」
だから俺は匂いを嗅いだ。ろくに存在しない目を閉じて、匂いを嗅いだ。桃と蜂蜜。死んでから初めて、寒さや恥や消えそうな恐怖以外の何かを感じた。食べる人間だった頃が恋しくなった。食べるということが恋しい。
[存在度:0.015%]
屈辱が栄養に変わった。文字通りだ。
食堂の隅、節電で光が弱い場所に縮こまった。もう一度ステータスを開く。上がっていた。
0.02%。
一日で倍になった。この調子なら100日で2%?1000日で20%?頭の中で計算したら間違えて、めまいがした。幽霊のめまいは、世界がさらに透明に見えて、「君はここにいるべきじゃない」という耳鳴りがすることだ。
夜になると、天界の光は節電のために落ちる。俺が一番見える時間だ。世界が俺より暗くなるから。転界の端っこに座って、足を虚空にぶらぶらさせた。雲を突き抜けながら、下の終わりのない奈落を見る。落ちたら地獄に落ちるって言われている。
ステータスを見た。まだ0だ。でも、弱い金色で新しい一行が点滅していた。誰もクリックしたくない通知みたいに。
[新規スキル獲得:残留存在 Lv1 - 誰にも気づかれずに3時間その場に留まる能力。発動条件:周囲100%の存在に無視されること。副作用:君を無視した者は少し寒気を感]
気づかれないスキル。皮肉だ。天界は奇妙だ。君の痛みに基づいて力をくれる。無視されればされるほど、無視される能力が強くなる。
遠く、ずっと遠く、天界と地獄の間の奈落の向こう側で、赤い鏡がまた光った。昨日と同じ。溶岩のような輝き、雲を燃やさないけど照らす火。あそこにも誰かいる。端っこに。ちっちゃくて、独りで。大きすぎるマントを着ているのかもしれない?
透明な手を上げて、振ってみた。不器用に、遅れて、自分の腕を突き抜けないように気をつけながら。
向こう側の赤い点も、振り返した気がした。あるいは溶岩の風がマントを揺らしただけかもしれない。あるいは俺のバグった脳が仲間を欲しがって作り出した幻。
錯覚かもしれない。寂しさが友達を作り出しただけかもしれない。カエルかもしれない?いや、彼は笑いながら死んだ。彼も天界に来たはずだ。でも天界が俺でバグったのなら……
でも俺の存在度は小さな音を立てた。
[存在度:0.03%]
まだレベル0。毎日端っこにいる。俺の仕事は認識されないこと。効率よく忘れられること。誰も見ない場所で3時間立っていること。
でもいつか、「おい、幽霊」「おい、エラー」じゃなくて、名前で呼ばれたい。
タリエル。
まだ、ここにいる。そして消えることを拒む限り、俺はここに居続ける。
天界の夜は本当に静かだった。雲が眠る音が聞こえる。天使たちの羽ばたきが止まり、光輪のブーンという音だけが遠くで聞こえる。昼間は天界は会社みたいだ。書類、ハンコ、効率、評価。夜は寮みたいになる。みんな自分の雲の部屋に戻って、明日のために光を充電する。
俺には部屋がなかった。存在度0.03%の幽霊に個室は割り当てられない。だから俺は第7区の端っこの、誰も座らないベンチに座っていた。ベンチも俺を半分突き抜けている。
そこから見える景色は、皮肉にも一番綺麗だった。天界の果て。雲の海が終わり、奈落が始まる場所。奈落は黒くない。深すぎる青だ。青すぎて黒に見える青。その向こうに、地獄の赤い光がチカチカしている。地獄は天界と違って節電しない。24時間、溶岩と叫び声と笑い声で明るい。
赤い光を見ていると、胸の奥が少しだけ暖かくなる。なぜかは分からない。魂が覚えているのかもしれない。死ぬ前の最後の瞬間を。
ベンチで縮こまって、俺は自分の手を見た。昼間より少しだけ輪郭がはっきりしている。指が5本あるのが分かる。昨日までは3本しか見えなかったのに。存在度が上がると、体も少しずつ戻ってくるのだろうか。
また赤い光が光った。今度は少し長い。2秒。俺は立ち上がった。雲を突き抜けないように、そっと。両手で大きく手を振った。存在度0.03%の全力で。向こう側の赤い光も、大きく揺れた。風じゃない。確かに、誰かが手を振り返した動きだった。
心臓がないはずなのに、胸がドクンとした。名前を呼んだ。声は出ない。幽霊の声は天界の風に消される。でも口だけ動かした。……カエル? 答えは来ない。でも光は消えなかった。昨日より少しだけ近くに見えた。
明日もあの端っこに行こう。鳥に突き抜かれに行こう。屈辱を集めに行こう。そしてまた手を振ろう。レベル0のままでいい。今は。いつかレベル1になったら、あの赤い光のところまで行けるかもしれない。その時まで、俺はここで存在し続ける。誰にも認識されなくても。だって、まだここにいるから。
第2話をお読みいただき、ありがとうございました。
天界のシステムがもたらすのは、力ではなく存在の証明。
屈辱すらも糧にして、タリエルは少しずつ世界の形を掴み始めます。
そして、奈落の向こう側に見える小さな赤い光は一体……。
続きは、このまま同時に公開されている第3話(以降、毎日19時更新)へと続きます。
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