#47 バストアップ!?⑧
「る、ルリ……!? そんな格好で、床を這いまわって一体何を……っ!?」
ノエルの端正な顔が、一瞬で耳の裏まで真っ赤に染まっていく。
その視線は、ドレスの隙間から「ドゥルン」とはみ出しかけている私のノーブラの質量にブラックホールのように吸い寄せられ、凄まじい理性の葛藤でバグを起こしていた。
妄想のカメコ(脳内)は一瞬で霧散し、現実に残されたのは男の前でド変態ポーズを晒してフリーズしている20歳・地味オタクの私だけだった。
「ち、ちちち、違うよノエル! これには谷間より深いワケがあるの!」
「ワケ、ですか……? その、ショルダーストラップまで滑らせて、妖艶な視線を向けていたことへの、ですか?」
「あーーーーー! 見ないで! 忘れてぇぇぇ!!」
私は大慌てでドレスのストラップを肩へと戻し、床に膝をついたまま必死に弁明した。
ただし、脳内で『SとF 〜禁断の果実が世界に見つかるまで〜』という夢小説をプロデュースしていたことだけは、国家機密レベルの恥っずかしい内容なので墓場まで持っていくと決め、その他の事実だけを高速で白状した。
ダンスのレッスンを受けたら、姿勢の悪さと体力のなさを指摘されたこと。
帰り道に正しい姿勢を意識しすぎたら使い古しのブラジャーのホックが爆発したこと。
筋トレを始めようとしたら、腕立て伏せすらできなかったこと。
正式なブラが届くのは明後日なのに、明日仕事の予定があること。
そして、その仕事では、胸を使って男たちの視線を集めないといけないこと。
一通り私の涙目の訴えを聞き終えたノエルは、落としそうになっていた荷物をテーブルに置くと、深く長いため息をついた。
その表情からは先ほどの狼狽が消え、代わりに真面目な騎士としての光が戻っていた。
「……なるほど。明日の作戦のために、練習をしていたのですね。……誤解してしまい、申し訳ありませんでした」
「わ、分かってくれればいいの。本当に変な意味はなかったから……! 」
私がホッと胸をなでおろしたのも束の間(物理的に超揺れた)、ノエルはコホンと一つ真面目な咳払いをすると、真っ直ぐに私を見据えて言った。
「ですがルリ。その……視線を集めるためのポーズの練習なら、もう十分すぎるほど合格点だと思います。今のルリに必要なのは、誘惑のポーズではなく明日の作戦に耐えうる最低限のフィジカル……つまり筋トレの方です」
「うぐっ……」
「ですがルリ。あなたの身体の構造を無視して、通常の腕立て伏せやうつ伏せの運動を行うのは無意味どころか、怪我の元です。……分かりました。私が相応しい筋トレを指導します」
「えっ、ノエルが!?」
「はい。まず、自重が胸にかかる運動がダメなら、重力を利用して身体を『引き上げる』運動——つまり懸垂から始めましょう。幸い、我が家のリビングの梁は頑丈ですから」
ノエルはそう言うと、リビングの天井に露出している太い木製の梁を指差した。
彼がお手本として軽く跳躍し、梁に両手をかけてグイッと滑らかに顎を引き上げる。
その衣服の上からでも分かる、無駄のない背中の筋肉の動きに、私は思わず見惚れてしまった。
「さあ、ルリ。まずはぶら下がって、身体を上に引き上げてみてください」
「う、うん。やってみる!」
ノエルに手伝ってもらいながら、椅子を踏み台にして梁を両手でガッチリと掴む。
そして、ゆっくりと踏み台から足を離した、その瞬間だった。
「——っ!? お、重ぉぉぉぉぉぉいっ!!」
凄まじい下方向へのGが、私の両腕と肩に襲いかかった。
ただでさえ前世からの運動不足で、自分の体重を支える筋肉すら皆無なのに、私の胸元には左右合わせて数キロの追加の漬物石がぶら下がっているのだ。
重力に魂まで引っ張られる感覚の中、私の双丘はノーブラのドレスの中でずぅぅぅんと限界まで下へと引き延ばされ、その圧倒的な自重で私の肋骨を内側から圧迫する。
「ルリ! 背中の筋肉を意識して、引き上げるのです!」
「無理ぃぃぃ! 一ミリも上がらない! っていうかおっぱいが重すぎて腕が抜けるぅぅぅ!」
ビチビチと暴れる生魚のように、梁にぶら下がったまま一ミリも上体を浮かせることができず、私はわずか3秒で床へ文字通り垂直落下した。着地の衝撃で、ドレスの中の果実が盛大に波打ち、私のスタミナは一瞬でレッドゾーンに突入した。
普通の懸垂、秒速で完全失敗。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ダメ、これ死んじゃう。やっぱり私、何やっても駄目なんだわ……」
床にのたうち回り、あまりの自分の無力さに涙がこぼれそうになる。
情けなくて顔を上げられない私の前に、ノエルがそっと膝をついた。そして、優しく手を差し伸べてくる。
「一人で支えられないなら、私が後ろから体を持ち上げます。梁を掴んで引き上げるタイミングに合わせて、私がルリの身体を上に押し上げれば――」
「ダメ!!!! それだけは絶対にダメ!!!!」
ノエルの親切極まる提案を、私は全力の絶叫で拒絶した。
急に豹変した私に、ノエルは「えっ……?」と差し伸べた手を止めて完全に固まった。
当たり前である。後ろから身体を持ち上げるということは、ノエルに私の体重がダイレクトに伝わるということだ。人類の平均をはるかに上回る圧倒的豊満な胸と、それによって相対的に目立たないだけのわがままボディが、奇跡の化学反応を起こして叩き出した重量であり、お世辞にも軽いとは言いがたい。
(絶対にバレる……! 持ち上げられた瞬間、『あ、ルリって、ずっしり重いんだな』って脳内データに登録される……!)
それに、サポートがあっても懸垂ができなかったとしたら、もう言い訳ができない。
「る、ルリ……? そんなに怯えなくても、私はただサポートを……」
「持ち上げるのはダメ! 私だって恥ずかしいよ」
「後ろから持ち上げるのが駄目なら……。分かりました、ではこうしましょう」
ノエルは私の拒絶に一瞬だけ寂しそうな(あるいは紳士として反省したような)表情を見せたものの、すぐにプロのサポート兵士としての顔に戻り、スッと私の正面に回り込んで膝をついた。
「ルリ、そのままでいいので、私の両手を掴んでください」
「えっ、手を?」
「はい。私が正面からルリの体重を支えます。これなら、ルリの背中や体に直接触れることはありません。……これなら、大丈夫ですか?」
真面目な顔で私のプライド(と貞操観念)を気遣ってくれるノエル。
直接体を触られないなら体重がダイレクトに数字としてバレる心配も少ないし、何よりこれ以上拒否する正当な理由が見つからない。
「う、うん。それなら、大丈夫……かな」
私が恐る恐る両手を差し出すと、ノエルの大きくて、剣のタコができた硬い手のひらが、私の手をガッチリと包み込んだ。
男の人の手の熱がダイレクトに伝わってきて、それだけで心臓が跳ね上がる。
「よし、ではそのまま腕を伸ばして、体を後ろに傾けてください。そう、斜め懸垂の要領です」
言われるがまま、私は床に踵をつけた状態で、ノエルの手にぶら下がるようにして体を斜めに傾けた。
「……あっ、これならいけるかも!」
さっきの垂直吊り下げ懸垂(G100%)とは違い、斜め懸垂なら体重の一部が床に逃げるため、運動音痴の私でもなんとか姿勢を維持できる。
それに、四つん這いやうつ伏せと違って、ドレスの立体ボーンの補正がしっかりと効いて、胸の位置が綺麗に上向きにキープされる。
私が感触を確かめていると、ノエルが「では、手の位置を決めましょう」と説明を始めた。
「この斜め懸垂は、手の幅によって鍛えられる部位が変わるのです。例えば、今のように私の両手を中央に寄せて、お互いの両手を『狭く』閉じ合って引き寄せると、二の腕の後ろ側(上腕三頭筋)が集中的に鍛えられます」
「二の腕……!」
「ええ。そして逆に、私の両手を外側に大きく開いて、ルリも両手を『広く』広げた状態で引き寄せると、今度は胸の大きな筋肉(大胸筋)へと負荷が移るのです。ルリ、どちらを意識したいですか?」
ノエルの真面目な講義に、私の脳内ダイエットセンサーが激しく反応した。
二の腕。それは年頃の乙女として、喉から手が出るほど引き締めたい魅惑のワード。
たぷたぷ肉を撃退できるチャンスが今、目の前にある。
「二の腕が太いから本当の巨乳」とか言われなくて済む……!
(う、二の腕めちゃくちゃやりたい……! でも……!)
チラリと自分の胸元を見る。
ドレスのボーンに支えられているものの、今この瞬間も重力という名のカウントダウンは進んでいるのだ。この規格外の質量を支えるための土台が必要なのは明らかだった。
(ダメよ私! 乙女の二の腕も気になるけど、今は何より胸! 明日のクーパー靭帯の死守が大最優先よ……っ!!)
「……広めで! 大胸筋をイジめたいです!」
「わ、分かりました。では私の手を大きく開きますから、しっかり掴んでください」
私たちはがっしりと腕を広げて手を繋ぎ直した。
「よし、そのまま腕を曲げて、私を壁だと思って身体を引き寄せるのです。……さあ!」 「ん、ぬ、ぬぅぅ……! ……って、えっ!?」
私は腕に力を込め、自分の身体をノエルの方へとグイッと引き寄せていく。
「ん、ぬ、ぬぅぅ……! ……って、えっ!?」
私は腕に力を込め、自分の身体をノエルの方へとグイッと引き寄せていく。
驚くほどスムーズに身体が上がった。床に体重が分散されているおかげで、私の貧弱な筋力でも、ノエルの強固な腕を支えにしてぐんぐんと上体が引き上げられていく。
(できた! 私にも筋トレができる……!)
感動に胸を震わせながら、私はノエルの胸元を目がけて全力で身体を引き寄せ——そして、限界まで引き切った最高到達点で、ようやくその「物理的な罠」に気がついた。
斜め懸垂という運動は、胸を手の位置まで引き上げるトレーニングだ。
そして今、私が掴んでいるのは、正面に膝をついているノエルの両手である。
つまり、私が身体を引き寄せきった瞬間。
「っ……!?」
カチリ、と、お互いの鼻先が触れ合いそうなほどの超至近距離で、私とノエルの顔がピタリと止まった。ノエルの吐息が、ドレスからはみ出しかけている私の鎖骨のあたりにダイレクトに吹きかかる。
それだけじゃない。広く開いた私の腕の内側、その圧倒的なボリュームを誇るノーブラの双丘が、引き寄せられた勢いのまま、ノエルの分厚く強固な大胸筋へとむにゅんと隙間なく正面衝突してしまったのだ。
(あ、圧倒的ゼロ距離……っ!?)
ドレスの内蔵ボーンで限界まで上向きにリフトアップされ、禍々しいほどの弾力を蓄えていた私の果実。それがノエルの鍛え上げられた硬い胸板に押し潰され、逃げ場を失って今度は上へ、上へと信じられない密度で溢れ出す。
「あ……」
ノエルの口から、引き結ばれた、苦しげな掠れた息が漏れた。
手を中央で閉じる二の腕モードなら、私の胸はノエルの腕の外側に逃げていたはずだった。だが、私が「広めで!」と大胸筋モードを選択したせいで、ノエルの胸元は完全に無防備になり、私の規格外の質量を正面から100%レシーブする形になってしまったのだ。
「る、ルリ……、これ、は……」
ノエルの端正な顔が、赤を通り越して、今にも沸騰して蒸気を吹き出しそうなほどに染まっていく。
ガッチリと繋がれたお互いの手。逃げようにも、斜め懸垂の姿勢をキープしている以上、ここで手を離せば私はそのまま後頭部から床へスッ転ぶことになる。
つまり、私はこの「おっぱい押し付け姿勢」を自力で維持し続けなければならない。
(ち、違うの! 誘惑リベンジのつもりじゃなくて、私はただ大胸筋をイジめたかっただけなのぉぉぉ!!)
脳内でいくら叫んでも、現実の絵面はノーブラのセクシードレスを着た居候の女が、男の手を掴んで力ずくで自分に引き寄せ、胸を全力で押し付けているという、SSS級の肉食系サキュバスムーブそのものである。
押し潰された胸の先端から、ドレスの薄いシルク越しにノエルの体温がドクドクと伝わってくる。筋肉のプロであるノエルの身体は、私の柔らかすぎる肉感の暴力に対して、完全に「彫刻」のように硬直していた。
その綺麗に割れた腹筋が、私のすぐ目の前で激しく上下している。
「あ、あの、ノエル……? その、可動域の、限界、です……」
恥ずかしさと心臓の爆音で、私の声は自分でも引くほどルビの振ってあるエロゲのヒロインみたいに震えていた。
「……っ、そ、そうですね。では、ゆっくり戻しましょう。……ゆっくり、です……」
ノエルは引き結んだ歯の隙間から、まるで魔王と対峙しているかのような悲壮な声を絞り出すと、繋いだ手にじわりと力を込め、私の身体を壊れ物を扱うようにゆっくりと元の位置へと押し戻していった。
重力から解放された私の胸が、じわぁ……と元の形に戻っていく。ノエルの手から伝わってくる尋常じゃない手汗の量が、彼の理性の「限界突破」を物語っていた。
その後、私たちは言葉を失ったマシーンのように、無言で斜め懸垂を繰り返した。引き寄せるたびに訪れるむにゅんという禁断の衝撃と、ノエルの耳まで真っ赤な限界フェイス。
「……はぁ、はぁ、ラスト一回です、ルリ! 引き上げて……っ!」
「ん、ぬぅぅぅぅぅーーー、んっ!!」
最後の力を振り絞り、ノエルの胸元へと思い切り身体を引き寄せる。
私の豊かな膨らみが、ノエルの頑丈な胸板にむにゅんっとこれ以上ないほど生々しく、平たく押し潰された。
「……あ」
限界だった。
指先からぷつんと力が抜け、私の身体が再び重力に従って後ろへと倒れそうになる。
それを察知したノエルが、咄嗟に私の手を離し、私の背中とお尻の少し上に力強く腕を回した。
「っと……! 危ない!」
「ひゃっ!?」
引き寄せられた勢いのまま、私はノエルの正面へと崩れ落ちるように重なった。
ノエルが慌てて私を支えようと腕を回した瞬間、ガシッと互いの身体が正面から強く抱き合う形になってしまったのだ。
「っ……!?」
カチリ、と、お互いの鼻先が触れ合いそうなほどの超至近距離。ドレスの内蔵ボーンで限界まで上向きにリフトアップされ、禍々しいほどの弾力を蓄えていた私のノーブラの双丘が、ノエルの分厚く強固な大胸筋へとむにゅんと隙間なく正面衝突して押し潰されている。
(あ、圧倒的密着……っ!?)
それだけではない。完全に抱きしめ合う形になったことで、ノエルの腕が私の背中へと回り、私の腰のラインへと直接触れていた。衣服越しでも分かる、彼の鍛え上げられた筋肉の硬さと、男性特有の熱い体温。
男の人にこんな風に力強く抱きすくめられたことなんて、前世を含めて一度だってない。
ノエルの身体が、私の柔らかすぎる肉感の暴力に対して、完全に「彫刻」のようにカチコチに硬直した。彼の腕がピクリとも動かなくなり、驚愕と、それからドクドクと恐ろしい早さで脈打つ心臓の鼓動が、重なる胸からダイレクトに伝わってくる。
その呼吸は明らかに乱れ、先ほどまでの「可哀想な居候を見守る真面目な兵士」の目はどこにもなかった。 今、彼の瞳にあるのは、目の前の生々しい一人の「女性」を明確に意識してしまった、一人の男の激しい動揺の光だった。
私は真っ赤になりながらも、この状況をなんとかプロットの範疇に収めようと、邪悪なオタク脳をフル回転させてバカな台詞をひねり出した。
「ふ、ふふん……どう、ノエル? 明日、こうやって油断した盗賊に突撃して抱きつけば、一発で誘惑できちゃうんじゃないかな……!?」
悪役令嬢(自称)としての精一杯の強がり。
だけど、それを聞いた瞬間、ノエルの表情がガラリと変わった。 先ほどまでの狼狽が嘘のように消え去り、今度はひどく真剣で、どこか焦ったような低い声が室内に響く。
「……それは、駄目です」
「えっ?」
「絶対に、駄目です。明日の作戦はあくまでルリが視線を集める『デリケートな囮』であり、敵に直接身体を触らせるような真似は私が許しません。……そんな風に、他の男に抱きつくなど、絶対にしないでください」
いつもは優しく敬語で話すノエルが、語気を強めて私の言葉を遮った。繋がれた私の手を握る強さが、ほんの少しだけ増す。 その必死な横顔と、少しだけ拗ねたような鋭い視線。
(……あ、なるほどね)
私は納得した。囮として物理的に敵に接触して、万が一にも怪我をしたり作戦が破綻したりすることを、プロの視点から危機管理として心配してくれているに違いない。
「わ、分かったよ……! そんなに怒らなくたって、冗談だよ……!」
私がそう言うと、ノエルはハッと我に返ったように耳の裏まで赤く染め、大慌てで私から手を離してスッと後ろへと飛び退いた。
「し、失礼しました……っ! 「私は少し、頭を冷やしてきます……!」
パタン、と閉まった扉を見つめながら、私は自分の真っ赤になった頬を押さえた。
(もう……ノエルってば、本当に心配性なんだから。過保護っていうか、真面目すぎるのよね。あんなに必死になって怒らなくたっていいのに……)
胸の先端はまだノエルの胸板の硬い感触を覚えていて、ドレスのシルクがじんわりと熱い。
私は、胸の奥が少しだけくすぐったいような気持ちでベッドへと潜り込んだ。




