#46 バストアップ!?⑦
ガチャリと玄関の扉を閉めた瞬間、私はその場にズルズルと崩れ落ちた。
「……セ、セーフ。生きて帰れた……」
張り詰めていた緊張の糸が切れ、私はまず肩に食い込んでいたパイスラバッグのストラップを外した。その瞬間、私のチュニックの下で、意図しない恐ろしい地殻変動が起きた。
ストラップの張力によって無理やり爆上げされていた左胸が、拘束から解き放たれて“ずしん”と下へ。これでようやく左右のアシンメトリー状態からは脱したものの、待っていたのはホック全壊による完全なるノーブラの現実だった。
さっきまでシャリーさんに腰を掴まれ、背筋と胸の位置を限界まで意識させられていた私の身体。だからこそ、ホールドを完全に失った今のノーブラによる下垂が、気になって気になって仕方がなかった。
いつもならブラジャーという名の強固な城壁に守られ、上向きに固定されていた規格外の質量。それが今は、遮るもののない重力によって、チュニックの布地を内側からズルズルと引きずり下ろすようにして、生々しく下へ、下へと垂れ下がろうとしている。
(う、うわぁ……生々しい。自分の胸だけど、支えがないとこんなに重くて、だらしなく下を向いちゃうんだ……)
一歩動くたびに、ブラの中での位置ズレどころではない、脂肪の塊そのものが内側から自重でたわみ、遅れて揺れる重苦しい感覚がダイレクトに肌に伝わってくる。
私は買い出し用のバッグから、ついさっき持ち帰ってきたばかりの、あのパジャマ代わりの白いセクシードレスを取り出し、急いでお着替えをすることにした。
「……あれ? すごい……!」
ドレスに袖を通した瞬間、私は思わず目を見張った。
もともとノーブラでの着用を想定して作られているそのドレスは、アンダーをきゅっと締め上げる立体的なカッティングと、胸元を美しく見せるための内蔵ボーンによって、私の規格外の質量をこれでもかと下から力強くリフトアップしてくれたのだ。
チュニックの時はあんなにだらしなく下垂していた果実が、ドレスの補正機能によって一気に上向きに跳ね上がり、パチンと張り詰めたような禍々しいほどの弾力を取り戻す。
シャリーさんの前で見せた夜の女王の気品。あの時、私の胸が完璧な黄金比を保っていたのは、私の姿勢だけでなく、このドレスの優秀な設計のおかげでもあったのだ。
ドレスを身にまとい、その優秀なホールド力によって胸の位置がキュッと引き上げられた瞬間、私の脳内には先ほどからの絶望のワードたちが、まるで呪いの警報のように激しくリフレインし始めた。
(運動音痴! 魂の運動不足! 動いた瞬間に全部台無しそして何より……将来、確実に胸が垂れる……っ!)
シャリーさんに突きつけられた「動いたら台無し」という現実。前世から1ミリも成長していない、地を這うような運動神経。そして、ホック全壊によって改めて突きつけられた、重力という名の冷酷な物理法則への恐怖。
ドレスが今どれだけ美しく形を整えてくれていようとも、中身の筋肉が死んでいれば、明日の作戦で一歩動いた瞬間に“ただのどんくさい肉塊”へと格下げされ、私のクーパー靭帯は全滅するのだ。
(やるしかない。少しでも筋肉をつけるんだ……っ!)
私は意を決してリビングの床に両手を突き、まずは基本中の基本、大胸筋を鍛える腕立て伏せ(プッシュアップ)の体勢をとった。
腕を曲げて、身体を床へと近づけようとした、その刹那――。
むにゅぅぅ。
「……ちょ、ちょっと待って。えっ、嘘でしょ……?」
私の身体は、床まであと十数センチというところで、謎の柔らかい障壁によって完全に停止した。
腕はまだほんのわずかしか曲がっていない。なのに、ドレスの中でノーブラゆえに容赦なく下へと垂れ下がっていた私の圧倒的な双丘が、床へと完全に接地してしまったのだ。
「う、嘘……腕がこれ以上、下に曲がらない……っ!」
床に押し潰された胸の肉が、ぐにゅぅぅっと左右に文字通り限界突破して広がっていく。床にクッションを挟んで腕立て伏せをしているようなもので、大胸筋や二の腕に負荷がかかる前に、ただ自分の胸を床に押し付けてセルフ揉みしだきにしているだけ。
可動域が狭すぎて、筋トレとして一ミリも成立しないのだ。
「ダメだこれ! おっぱいが邪魔で腕立て伏せが物理的に不可能な仕様になってる……!」
巨乳の身体構造に関する致命的なバグに絶望した私は、すぐに作戦を変更した。
胸を鍛えるのが無理なら、次はシャリーさんに指摘された背筋だ。
体幹を鍛えて、明日シャリーさんに矯正されたあの正しい姿勢をキープできるようにしなければならない。
「よし、次はうつ伏せになって、背中を反らす運動……」
私は床の上で、お腹を下にして寝そべった。
「ぐふぅっ……!」
重力に従って、私の肉体の質量が、デリケートな脂肪の塊へと容赦なくのしかかる。
幸い、お腹や骨盤は床についた。ついた、のだけれど――。
「……あれ? 動けない」
背筋運動というのは、うつ伏せの状態から背中の筋肉を使って、上体をさらに上へと反らすトレーニングだ。
しかし今の私は、ただ床にうつ伏せになっただけで、その圧倒的な胸の体積がスペーサーのように床と私の間に挟まり、最初から顔や肩が不自然に高く浮き上がってしまっている。
つまり、スタートラインの時点で、すでに普通の人が必死に背中を反らして到達する最高到達点に達してしまっているのだ。
「これ以上……どこに動かせって言うのよ……っ!」
ここからさらに背中を反らそうとしても、私の貧弱な背筋ではびくともしない。逆に、力を抜いて上体を床に下ろそうとすると、自重がすべて胸の先端に一点集中して押し潰され、ドレスの薄いシルク越しに、息が詰まるような強烈な圧迫感と痛みが走る。
下ろせば痛いし、上げようにも最初から物理的な限界値。
背筋を鍛えるどころか、胸の体積のせいでポーズを維持することすらままならない。
(無理……! 背筋を鍛えようとしたら、その前に自分の胸の厚みのせいで関節の可動域がログアウトしてる……!!)
床の上で、薄着のドレス姿のまま、お腹と骨盤だけを床につけ、胸のせいで上半身だけが妙に浮いた奇妙な姿勢のまま、まるで陸に打ち上げられたおっぱい魚のように「ふすぅー! ひすぅー!」と不審な呼吸を繰り返しながら、ジタバタとのたうち回る私。
腕立て伏せもできない。うつ伏せになっても動けない。
「はぁ、はぁ……ダメだ、うつ伏せも腕立て伏せも全滅。……じゃあ、他の筋トレなら……っ!」
私は焦った。少しでも鍛えておかなければ、ダンスのステップを踏むことはできず、胸も垂れる一方である。
必死の思いで、私は床の上で四つん這いになり、片足と片腕を真っ直ぐ伸ばすプランクを試みた。
が、腕を伸ばしてバランスを取ろうとした瞬間、ノーブラの双丘がドレスの胸元から「だるん」と重々しく垂れ下がり、私の身体の重心をぐわんぐわんと狂わせる。
少しでも動くと、おっぱいの振り子現象のせいで横転しそうになるのだ。
(くっ……これも、バランスを取るためにお腹やお尻に力を入れなきゃいけないのに……)
胸が可動域を妨げているわけではないが、ハードモードでのトレーニングになっている。
伸ばした腕を引っ込めて、胸を押さえるように抱えて、何とかバランスをとる。
試行錯誤を繰り返すうち、私の邪悪なオタク脳が、またしても妙な方向へと脱線し始めた。
(……待てよ? この、四つん這いになって、胸の重みで背中が自然と反って、お尻がツンと上を向くこの姿勢……)
ガラスに映し出されていたのは、白いシルクのドレスをまとった私が、これ以上ないほどエロティックな姿勢で床に這いつくばっている姿。
ノーブラの質量は重力に従って限界まで下垂し、ドレスの深いカッティングから、押し潰されたお餅のような白すぎる肉が溢れ出ている。そして、背筋をキープしようとお尻を突き出した結果、ドレスの裾が太もものラインに沿ってずり上がり、なんとも扇情的な曲線を描いていた。
(……これ、筋トレっていうか……完全に、コミケにいる“えちえちコスプレイヤー”のポーズでは?)
気づいてしまった瞬間、私の中の「一度はこういうのやってみたかった」というくだらないオタクのノリが暴走を始めた。前世では遠巻きに眺める側だった私が、いま、あの憧れのコスプレイヤーと同じシチュエーションでポーズを決めているのだ。
私は胸を押さえていた手を離し、自分の髪をかき上げるポーズを取ってみた。
ドレスの胸元から、ノーブラの豊満な渓谷がドゥルンと流れるように横へと溢れ出す。
(おお……っ! 凄い! 私のわがままボディが、胸の錯覚資産とドレスの補正のおかげで、めちゃくちゃ『人気コスプレイヤーのコミケ限定写真集』っぽくなってる……!)
すっかり楽しくなってしまった私は、内心ノリノリで次々とポーズを変えていった。
今度は反対側の手を伸ばして、背中をわずかに浮かせて胸のボリュームを天井に向けて限界までアピールするポーズ。もちろんカメラ目線のサービスも添える。
(ふふん、どうよ。前世では部屋の片隅で推しのポスターを眺めるだけだった地味オタクが、今や異世界でトップレイヤーよ! 囲みのカメコ(妄想)たちのシャッター音が聞こえるわ……! はい、目線こちらお願いしまーす!)
ここに至り、私の脳内では、前世の冴えない自分を完全に上書きする「都合のいいシンデレラストーリー(脳内設定資料集つき)」の構築が、恐るべきディテールで開始されていた。
【SとF ~禁断の果実が世界に見つかるまで~】
普段はクラスの最底辺。着太りするせいで同級生たちからは単なる地味なデブだと思われ、誰からも見向きもされずに教室の隅でぼっちを極めている陰キャJK・白川(20歳・設定上は高校生)。
しかし、週末のイベント会場に一歩足を踏み入れれば、彼女は隠された奇跡の爆乳という圧倒的な唯一無二の武器を引っ提げ、コスプレイヤーとして世界の覇権を強奪する伝説のヒロインへと変貌を遂げる。
きっかけは、ネットの片隅にひっそりと投稿した、衣装がはち切れんばかりのコスプレ写真。その規格外の質量と、衣服の隙間からこぼれ落ちそうな禁断の果実の破壊力が世界に見つかった瞬間、SNSのタイムラインは「この神巨乳は誰だ!?」「人類の奇跡降臨」と大炎上。
イベント初参加にして、彼女の周囲には教室で彼女をデブと鼻で笑っていた男子たちを含め、無数のカメコがひれ伏す巨大な包囲網が形成される。彼らはその本物の暴力的な肉感を前にカメラを構える手さえ震わせ、「目線お願いします……っ!」と涙目で懇願するのだ。
地味で冴えなかったはずの私が、この胸の資産一つでスクールカーストを力ずくで叩き潰し、シンデレラのように世界の中心でトップレイヤーとして君臨する――。
「ルリちゃん、最高! 最高の肉感だよ! 次はちょっと『捕らわれの聖女』風に、アンニュイな表情で胸元を強調してみて!」
脳内の妄想カメコたちの熱狂的な声(とフラッシュの嵐)に合わせて、私は四つん這いのまま、ドレスの細いショルダーストラップを指先で少しだけ肩から滑らせ、上目遣いで妖艶な笑みを浮かべた。
ノーブラの双丘が今にもドレスの端から完全に零れ落ちそうな、まさにその瞬間――。
ガチャリ、と、本当に世界で一番冷酷なタイミングで、玄関の鍵が回る音が響いた。
「ただいま戻りました、ルリ。……って、な、何をしているのですかあなたは!?」
リビングに入ってきたノエルが、床の上で、胸元がはだけかけた白いセクシードレス姿のまま、完全なる“過激レイヤーのポージング”を決めて乱れた呼吸で微笑んでいる私を見て、手にした荷物を落とさんばかりに驚愕の声を上げた。




