#45 バストアップ!?⑥
頭の中でシャリーさんのリードを反芻しながら、私は街道を歩いていた。
筋肉痛の初期症状が一歩歩くたびにお尻の奥と太ももをビキビキと刺激する。痛い。めちゃくちゃ痛い。今すぐその辺の道端にへたり込みたい。
けれど、私は痛む足を引きずりながらも、あえてピンと背筋を伸ばし、デコルテを堂々と開いた。
(いや、待てよ? これ、毎日続けたらめちゃくちゃ痩せるんじゃない……?)
ふと、私のポジティブかつおめでたいオタク脳が、のんきな計算を開始した。
前世のダイエット知識が囁いている。正しい姿勢でウォーキングをすると、インナーマッスルが刺激されて基礎代謝が爆上がりするのだ。
(そうだよ! シャリーさんの鬼レッスンで体幹を意識させられた今、このまま良い姿勢をキープして歩けば、明日の作戦までにウエストがさらにキュッと引き締まるかも! 異世界に来てからのカロリー消費、今が一番効率いいんじゃない!?)
姿勢が良いだけで痩せるという甘美な響きに、私はすっかり現金な笑みを浮かべていた。お腹周りのわがままボディが引き締まる未来を想像すれば、お尻の筋肉痛なんて安いものである。
がんばれ私、目指せスッキリ美ボディ。
これでも私だって一応、年頃の女子なのだ。ダイエットに全く興味がないわけじゃない。
前世では、SNSで流行っている「マイナス5キロの神レシピ」とか「寝る前3分の激痩せストレッチ」みたいな動画を、お気に入りにだけは大量に登録していた。
結局、一度も実践されずに夜食のポテチの油で汚れた画面に埋もれていったけれど。
それに何より、私には人一倍……いや、人類の平均の三倍は強い執着と恐怖を抱いている案件があった。
それは——「将来、胸が垂れる」ということ。
巨乳にとって、重力はただの物理法則ではない。
いつか確実に自分を破滅へと導く、冷酷なカウントダウンだ。
ただでさえ前世の時点で、胸を支える大事な組織であるクーパー靭帯が重みに耐えかねて、毎日悲鳴を上げているのを知っていた。一度伸びたり切れたりしたら二度と戻らない、消耗品。 もしこのまま猫背で怠惰な生活を続け、重力に負けて果実が熟れきってしまったら……。想像するだけで、どんなホラー映画よりも血の気が引く。
(垂れさせるわけにはいかない……っ! 将来の自分のためにも、今ここで姿勢を正して、大胸筋を働かせるんだ……!)
未来の美しさと尊厳を守るため、私は決意を新たにしてぐっと胸を張った。
完璧なパイポジ、限界まで張った背筋、そしてギチギチに収穫された規格外の質量。
(よし、大胸筋が働いてるのを感じるぞ。重力を支配して歩く、私は夜の女王、私は夜の女王……)
自己暗示をかけながら、ロボット競歩で角を曲がった、その瞬間だった。
――パツゥンッ。
私の背中から、およそ人体からは鳴ってはいけない、金属と繊維が悲絶な悲鳴を上げて引きちぎれる音が響いた。
「……え?」
一瞬、思考がフリーズする。
今、背中で何かが弾けた。それも、かなり頑丈な部類の何かが。
ドクン、と心臓が嫌な跳ね方をした次の瞬間、背中のホックが下から順に「パパパパンッ!」と、まるで爆竹のように連鎖爆発を起こした。
(嘘、でしょ……!?)
それは、これまでの人生で一度も経験したことのない、恐るべき「全解放感」だった。
シャリーさんによって強制矯正された正しい姿勢。それによって前方向へと生じた過去最大の張力に、使い古されたブラジャーのホックが耐えきれず、一斉に全壊したのだ。
ガチッと固められていたホールド感が一瞬にして消失する。
支えを失った私の果実は、重力という名の非情な物理法則によって、一気に下へと引きずり下ろされようとした。
しかし、そこに立ちはだかったのが、斜め掛けしたバッグのストラップである。
ストラップは非情にも、左肩から右腰にかけて斜めの軌道を描いて私の胸元を横切っている。
ホックという名の枷を失い、完全にフリーとなった私の双丘。しかし、この斜めのストラップのせいで、左右の果実にはあまりにも残酷な格差が生まれることになったのだ。
ストラップの通り道となった左胸は、下から上へと走る革紐の張力によってグイッと強引に押し上げられ、チュニックの生地を裏側から突き破らんばかりに上向きに強調されている。
対するストラップの影から外れた右胸は、支えを完全に失ったことで、重力という名の非情な物理法則に従ってそのままずしんと下へ。左胸に比べて明らかに位置が下がり、やや垂れ下がった状態でブラのカップから悲しくこぼれ落ちていた。
(嘘でしょ……左右のバランスが、左右のバランスが完全に崩壊してる……!!)
左はツンと上を向き、右は重みでしなだれる。チュニックの上からでも一目でわかる、あまりにも歪で、あまりにも生々しいアシンメトリーの爆乳ライン。
しかも、一歩歩くたびに、持ち上げられた左胸はボヨォンと硬質な弾力で跳ね、垂れ下がった右胸はズブゥン……と重量感のある鈍い揺れ方をする。左右で打楽器の異なるトリプルコンボのような衝撃が、筋肉のない身体にダイレクトに響き渡る。
(ひ、ひゃうっ……! 揺れ方が左右で違って気持ち悪い……っ! これじゃ歩くだけで私のクーパー靭帯が右側から全滅しちゃう……!!)
私は恥ずかしさと恐怖で涙目になりながら、新調したバッグを前へと抱え込むようにし、チュニックの上から両腕で自分の胸をギチギチにホールドした。
リリアのブラジャーが完成するのは、2日後である。
私は半べそをかきながら、胸が上下に1ミリも揺れない最小限のすり足(しかし速度は限界突破の競歩)で、命からがらノエルの家へと逃げ帰るのだった。




