#44 バストアップ!?⑤
「……はぁ、はぁ、死ぬ……水分……水分を……」
教会の床に大の字で転がったまま、私は虫の息で天を仰いだ。
仰向けに倒れたことで、今まで私の身体を支配していた重力の枷が外れ、ドレスの中で支えを失った巨大な双丘が、左右に雪崩のように滑り落ちて広がっている。息を吐くたびに、その圧倒的な質量が波のように大きく上下していた。
汗でドレスが肌にへばりつき、全身の毛穴から体力が蒸発していく感覚がする。
「はいはい、倒れていないで起き上がりなさい。本当、だらしない格好ね」
呆れつつもどこか楽しそうな声と共に、シャリーさんがひんやりとした濡れタオルを手に隣へ膝をついた。
彼女はまず、私の額や白いうなじ、そして鎖骨のあたりの汗を、優しく愛でるように拭ってくれる。露わになった肌に冷たいタオルが触れるたび、ビクッと身体が跳ねた。
「……ふぅ、冷たくて気持ちいい……」
「そう? じゃあ、ここも綺麗に拭いてあげないとね」
言うや否や、シャリーさんの手にしたタオルが、そのままドレスの胸元――汗でしっとりと濡れ、深い渓谷を描いている胸の谷間へと滑り落ちてきた。
「っ~~~!?!? ちょ、ちょっとシャリーさん!?」
「何かしら? 汗を放置すると汗疹になって痒くなるわよ? 豊満な胸の持ち主にとって、胸の汗のケアは必須でしょう」
「り、理屈は分かりますけど! そこは自分で拭きます! 自分で拭けますから!!」
私は真っ赤になって跳ね起きると、シャリーさんの手から必死にタオルをひったくった。
シャリーさんは「あら、残念」とばかりに琥珀色の目を細め、クスリと妖しく微笑んでいる。完全に遊ばれている……!
「……まったく、油断も隙もないんだから」
私は背を向け、自分の胸の下にタオルを滑り込ませた。
豊かな膨らみを下から持ち上げるようにして、皮膚が擦れて汗が溜まりやすい乳房の下の隙間を丁寧に拭き取っていく。持ち上げるたびに、ずっしりとした弾力がタオルの上から手のひらに伝わり、我ながらその圧倒的な質量に改めて目眩がしそうになる。
「……ふぅ。これで良しっと」
自分の胸を持ち上げて汗を拭き終えた私は、ようやく人心地がついて深く息を吐いた。
ふと視線を感じて顔を上げると、シャリーさんが興味深そうに私の手元を眺めている。
「な、なんですか……?」
「いえ。その、胸を持ち上げて裏側を拭くという動作、なかなか豪快で感心していたのよ」
「豪快って……! これ、私たちにとっては夏の生存戦略なんです! 放置すると大変なことになるんですよ! シャリーさんだって分かるでしょう?」
「……確かに、夏場に少し汗ばむことはあるけれど、あなたみたいに“よっこいしょ”と持ち上げてまで拭くような真似は、私にはあまり馴染みがないわ」
「えっ!? シャリーさん、持ち上げて拭かないんですか!?」
「拭かないわよ。そこまで皮膚同士が密着して熱がこもるような真似、私のサイズじゃあまり起きないもの。せいぜい、谷間に汗が溜まるくらいね」
「それ、分かります……! 谷間がずっと蒸れて湿ってる感じ、本当に不愉快ですよね! でも外だとゴソゴソ拭くわけにもいかないし……」
思わず熱量高めに同意すると、シャリーさんは「ふふっ」と嬉しそうに目を細めた。同じ苦労を知る者同士の、妙な連帯感が生まれる。
「汗と一緒に、体内の水分も塩分も大量に失われているわ。さあ、一気に飲むと胃に負担がかかるから、少しずつ喉を潤しなさい」
シャリーさんはそう言うと、冷えたガラスのグラスを私に差し出してきた。
中には透き通った淡い青の液体が満ちている。
「えっ!? あの利尿作用で社交界から追放されるヤバいやつですか!?」
「失礼ね。ただの疲労回復と水分補給のためのハーブティーよ。毒も下剤も入っていないわ」
警戒しつつ差し出されたグラスを受け取り、少しずつ喉へと流し込む。
柑橘系の爽やかな酸味と心地よい苦味が、乾ききった身体に染み渡っていく。じわじわと体力のゲージが回復していくのが分かった。
「ぷはぁっ……! やっぱり、真っ当な栄養補給が一番ですね。楽してバフをかけようとするとロクなことにならないみたいだし」
「あら、学習したのね。偉いじゃない」
「……えへへ。でも、まだ全然ダメですよ。ダンスだって最後は立っていられなくなりましたし」
「それでも、最初よりずっと良くなったわ。少なくとも、あなたはもう自分の胸を理由に、最初から諦めようとはしていないでしょう?」
「……そう、かもしれません」
「それなら、次は身体そのものを鍛えましょう。教会での練習だけでは足りないわ。家でも毎日少しずつ筋肉を使いなさい」
「家でも、筋トレですか?」
「ええ。特に背筋と体幹。それから、前後には必ずストレッチをすること。身体が硬いまま無理に動けば、怪我をするわ」
「ストレッチ……」
「難しいことをする必要はないわ。肩を回したり、背中を伸ばしたり、脚の筋肉をゆっくり伸ばしたり。それだけでも続ければ違ってくるでしょう」
「毎日?」
「毎日よ。いきなり激しい運動をする必要はないわ。あなたの場合は、まず身体を動かすことを習慣にするところから始めなさい」
「うぅ、地道だ……」
「楽な方法を探していた人の台詞とは思えないわね」
「はい。もう薬には頼りません」
「それでいいわ。あなたの身体は、あなたが思っているよりずっと鍛え甲斐があるもの」
「鍛え甲斐……」
「ええ。胸を支える背筋も、姿勢を保つ腹筋も、踊るための脚も。全部、少しずつ育てていけばいいのよ」
「分かりました。家でもやってみます」
「あら、学習しただけじゃなく、やる気まで出てきたのね」
「だって、せっかくシャリーさんに教えてもらったんですから。ちゃんと踊れるようになりたいです」
シャリーさんは満足そうに微笑んだ。
「その意気よ。ただし、今日はもう十分。筋肉痛がひどくなる前に休みなさい」
「はーい」
「さあ、冷える前に着替えてきなさい」
促されるまま、私は再び教会の奥にある着替え用の小部屋へと、生まれたての小鹿のような足取りで向かった。
部屋の鍵を閉め、細いショルダーストラップを肩から滑らせると、白いシルクのセクシードレスが、重力に従ってハラリと床へ落ちた。
棚に置いておいたブラジャーを手に取る。限界まで広がっていた胸をギュッと包み込み、中央へと寄せてホールドする。アンダーのホックをパチンと留めた瞬間、カチッと自分の身体が日常モードへと強制ロックされたような安心感に包まれた。
その上から、いつものゆったりとしたチュニックを頭からすっぽりと被る。
「あ……」
そういえば、さっき踊るためにまとめた髪を、そのままにしていた。
私は首筋に手を伸ばし、髪紐をほどく。きゅっとまとめていた髪がふわりとほどけ、肩のあたりへ落ちてきた。鏡はないから、ちゃんと元通りになっているかは分からない。
それでも、肩にかかる黒髪の感触に、妙な安心感を覚えた。
「……やっぱり、こっちのほうが落ち着く」
胸の膨らみがチュニックの布地で適度に隠され、私の精神もようやく落ち着きを取り戻した。
……が、落ち着いた瞬間に、本当の地獄が始まった。
「いったたたたた……っ!?」
バッグを拾おうと屈んだ瞬間、太ももの裏と背中の筋肉に、電流のような激痛が走った。
私は泣きそうになりながらも、新調したショルダーバッグを手に取り、覚悟を決めて肩から斜めに掛けた。ドサっと、再び吸い込まれるように、革のストラップがチュニックのシワを巻き込みながら、双丘の深い渓谷へとジャストフィットする。
そして、チュニックの中に手を突っ込み、両手で双丘をぐわっと下からすくい上げる。
(……んんっ、よっこらしょ。右をグッと中央に寄せて、左の溢れた肉もカップの中にしっかり収めて……)
プロのブラフィッティング並みの“パイポジ調整”である。
自分の胸を容赦なく揉みしだき、一番高くて美しい位置へと強制収穫していった。
「ふぅ……よし。これでヨシ!」
脳内で指差し確認をする。
収まるべき場所に巨大な質量がパーフェクトに収まり、パイスラのストラップを再び食い込ませる。……のだが。
「……あれ?」
そんな自分の胸元を見て、私は思わず目を見張った。
なんだか、ダンスをする前よりも、胸がやや大きくなったような気がするのだ。
(なんか……収まりきってなくない? えっ、嘘でしょ!?)
着替えを終えて小部屋から飛び出した私は、シャリーさんを問い詰めた。
「シャリーさん! お薬湯にバストアップ効果のある怪しい成分入れてません!? なんか胸がさらに大きくなってる気がするんですけど!?」
シャリーさんは呆れたようにため息をついた。
「バカなことを言わないで。そんな数分で胸が大きくなる薬があったら、私が真っ先に買い占めているわ」
「じゃあなんで!? 胸がいつもよりキツいんです!」
「ふふ、胸が大きくなったのではないわ。あなたが“正しい姿勢”で胸を張ることを覚えたから、本来の曲線の美しさが前面に出ているだけよ」
背後に立ったシャリーさんが、私の両肩に優しく手を置く。
「……胸を張ると、こんなに違って見えるんだ……」
今まで邪魔で、隠したくて、恥ずかしくてたまらなかったこの重み。
けれど、背筋を伸ばして堂々と胸を張った姿は、どこか誇らしげで、不覚にも少しだけ悪くないと思ってしまった。
「言ったでしょう? 重力を支配しなさい、と。これからは、その姿勢を忘れないことね」
「……はい! ありがとう、シャリーさん!」
私は姿勢を正したまま、力強く頷いた。
そして、ロボットのようなカクカクとした歩調で、教会をあとにする。




