#40 バストアップ!?①
教会に着くと、扉を押し開ける。中は相変わらず静かで、外の喧騒が嘘みたいだった。
私は、椅子に座って古い書物をめくっていたシャリーさんに、絞り出すような声で話しかけた。
「あら、ルリ。……随分と胸を強調しているのね? 私を誘惑しに来たのかしら?」
「ち、違います! これしかバッグがなくて……! ……あの、ダンスを、教えてもらいに来ました」
シャリーさんの手が止まる。
私は拳をぎゅっと握りしめ、顔を上げられないまま続けた。
「その前に……服、着替えてきていいですか?」
パイスラバッグを抱きしめる私を見て、シャリーさんは一瞬だけ不思議そうに首を傾げたが、すぐにすべてを察したように深く微笑んだ。
「ええ、もちろん。……いいわ、それなら私も“その気”になりましょう」
シャリーさんは立ち上がると、教会の奥の小部屋へと消えていく。
私も案内された別の部屋で、新調したバッグから例のセクシードレスを取り出し、チュニックを脱いで着替えた。ブラジャーも外す。
ノーブラのまま、細いストラップを肩にかける。
胸元が大胆に開いたドレス姿の自分に、心臓のバクバクが止まらない。
しばらくして礼拝堂に戻ると、そこには、息を呑むような光景が広がっていた。
「お待たせ、ルリ」
そこにいたのは、シスターの影も形もない、一人の洗練された“夜の支配者”だった。
黒いシルクのドレスは、彼女のしなやかな曲線を完璧に引き立てていた。
キュッと引き締まった細いウエストに対して、ドレスの生地を外側へと力強く押し広げるように肉感的なヒップラインを描かれている。
修道服の下に、これほどの妖艶な破壊力を隠していたなんて。
シャリーさんの琥珀色の視線が、静かに私の全身をなぞる。 一切の遠慮も、戸惑いもない、観察する目。
「……なるほど。ブラジャーは付けていないのね?」
小さく呟いて、シャリーさんは立ち上がり、ゆっくりと私の元へ歩み寄ってきた。
カツンカツンと彼女のヒールの音が静かな礼拝堂に響くたびに、果実のようなお尻がドレスのシルクを揺らし、スリットから伸びる美しい脚が私の視線を誘う。
それはまるで、私の退路を断つカウントダウンのようだった。
シャリーさんの指先が、私の鎖骨から胸の上のラインを、羽毛で撫でるような頼りない仕草で滑った。
「……ひゃっ」
「動かないで。仕立てを確認しているだけよ」
シャリーさんは私の周りをゆっくりと一周した。
お互いのドレスが擦れ合う微かな音が、やけに耳に刺さる。
背中に回られたとき、視線が突き刺さるような錯覚を覚えて、思わず肩を竦める。
「なるほど。衣装そのものは悪くないわ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。ただし――」
シャリーさんの視線が、私の胸元から足元へと移る。
「あなた、衣装に着られているわ」
「うっ……」
図星だった。
肩は縮こまり、背中は丸まり、胸元を少しでも隠そうと腕まで内側に寄せている。
身体を見せるためのセクシードレスを着ているのに、本人が見ないでくださいと全身で訴えているのだから、誘惑も何もない。
「でも……こんなの、恥ずかしくて」
「恥ずかしいから隠す。それ自体は悪いことではないわ。問題は、隠そうとするあまり身体まで縮こまってしまうことよ」
「身体まで……?」
「ええ。あなたは胸を隠そうとして、肩を前に出している。すると重心が前に偏る。腰にも余計な力が入る。歩けば身体が左右に振られるでしょう?」
彼女は再び私の正面に立つと、重力に逆らえず、ドレスの薄い布を押し広げようとする私の胸を、下から支えるように手のひらで軽く触れた。
「……っ、シャリーさん……!」
「重いわね。……ええ、本当に重いわ。これを支えなしで、しかもこの細いストラップ二本だけで維持して踊るなんて、正気の沙汰じゃないわ」
シャリーさんの言葉は、呆れているというよりは、何か恐ろしいものを見ているような響きが含まれていた。
「はい。……重いし、バランス悪いし、目立つし。今までずっと、それが嫌で逃げてきました」
脳裏をよぎるのは、体育館の隅で少しでも胸が目立たない猫背で震えていた自分。
でも、もう逃げられない。ここは走る速さを競うグラウンドではなく、人生の生存圏を奪い合う戦場なのだ。
「でも、誰かの使い捨てにされるくらいなら、私は……」
「……いいわ。その意気よ、ルリ」
至近距離で見つめ合う。彼女の放つ、理知的で、どこか退廃的な香水の匂いが鼻腔をくすぐった。
シャリーさんは私の腰に手を回し、強引に自分の方へと引き寄せた。
ドン、と。 私の規格外の質量が、彼女の細い身体に容赦なく押し付けられる。
「っ……!」
思わず身を引こうとした私の肩を、シャリーさんが片手で制した。
「ふふ、本当にすごいボリュームね。それを隠さずに踊る姿を想像してみて?」
「やっぱり、見られるのが恥ずかしくて。こんな格好で堂々としていたら、目立つじゃないですか」
「でも、それではいつまで経っても『見られる自分』に慣れることはできないわ。だから、まずは隠すことをやめなさい
私とシャリーの距離が、限界まで縮まる。
私の胸が、彼女の身体に押しつぶされる感覚。
逃げ場のない、濃厚な教養と欲望の時間が、再び幕を開けた。
「さあ、まずは基本の姿勢から。……その重みを、背筋で支えなさい。猫背をやめて、重力を支配していると自分に言い聞かせるの」
シャリーは背後に回ると、指先で軽くルリの背中に触れた。
同時に両肩を後ろに強く引かれる。その瞬間、反射的に肩が内側へとすぼまる。
(だって……しょうがないじゃん)
胸の前で揺れる重みを、無意識に庇うように腕が寄る。
(ノーブラなんだよ? 支えもないのに、背筋なんて伸ばしたら……目立つし、揺れるし……その……落ち着かないし)
「ダメよ。その隠したいという卑屈な精神が、背中を丸め、デコルテを曇らせるの。ルリ、あなたは今、自分がどれだけ滑稽な姿か分かっている?」
耳元で囁かれる冷ややかな声に、体中が熱くなる。
シャリーさんは私の腰を両手で掴むと、グイと引き上げた。重心が強制的に整えられ、視界が数センチ高くなる。
隠そうとして猫背になり下へと流れていた質量が、前へと一気に押し出された。
ドレスの布越しに生々しい輪郭を浮かび上がらせた。
「……あ」
「変わったでしょ?」
セクシードレスの細いストラップは、今や私の肉に食い込む足枷ではなく、豊穣な肉体を縁取る額縁のように見えた。ノーブラゆえの生々しい輪郭は、姿勢を正したことでだらしない弛みから攻撃的なまでの曲線へと変貌している。
「これが、私……?」
「そう。あなたが“呪い”だと思っていたものの真の姿よ」
私は恐る恐る、自分の胸に手を添えてみた。
いつもは邪魔で、隠したくて、恥ずかしかったこの塊が、今はなんだか頼もしい盾のように感じられる。
「……なんだか、自分じゃないみたいです。背筋を伸ばすだけで、こんなに……世界が違って見えるなんて」
「いい顔になったわね。……その顔なら、どんな男も、あるいは女も、一瞥しただけであなたの虜になるわ」
シャリーさんは満足げに目を細め、私の顎を指先でクイと持ち上げた。
「さあ、その武器の扱い方を、身体に叩き込んであげる。……音楽は要らないわ。あなたの鼓動に合わせて、一歩踏み出しなさい」




