#32 スローライフのために②
(ちょっと待って。整理すると……こういうことだよね?)
私の脳内で、小難しい貴族社会が、慣れ親しんだラブコメのパワーバランスへと劇的に変換された。
正妻は、家柄で決まってる“親が決めた許嫁”。どう考えても負けヒロインだけど、そんなの関係ないんだ。
愛人は、序盤で服が脱げたりポロリ担当で盛り上げるけど、終盤のシリアス展開には呼ばれない“不遇キャラ”。
そして、攻略対象の心を完全にジャックして、貴族の隣で一番の寵愛を受けるのは、属性てんこ盛りの“メインヒロイン”……つまり公妾!
俄然、オタクとしてのやる気が湧いてきた。
目的が、生存から真エンドの回収に切り替わったのだ。
「……シャリーさん、分かりました。私、やります」
「あら、急に目が輝き出したわね。何を理解したのかしら?」
シャリーは少し困惑したように笑ったけれど、私の心は決まった。
「それで、どうすれば? どうすれば、ただの愛人じゃなくて、公妾になれるんですか!?」
シャリーは、私のチュニックの襟元を整えながら、冷徹なレクチャーを再開した。
「公妾という地位は、公式な社交の場で隣に堂々と立てる特権のことよ。そのためには、三つの壁を越えなさい」
「1つ目。男が政治や戦争の話をしている時、あなたは美しく微笑みながら、的確な相槌を打ち、時に彼を輝かせるための助言を与えなければならない。教養のない無知な女は、その瞬間に愛人へ格下げよ」
「2つ目。正妻や他の貴族女性からの、針のような視線。それを柳のように受け流し、逆に相手を惨めな気持ちにさせるほどの圧倒的な華が必要なの。萎縮する女に、公妾の椅子は用意されていないわ」
「3つ目、これが一番重要よ。男を依存させなさい。あなたの体なしでは夜も眠れず、あなたの声なしでは朝を迎えられないほどに。でも、安売りは厳禁。王者の欲望をコントロールする手綱を握るのよ」
私は頭を抱えた。
現世で推しの尊さに悶えていただけの自分に、そんな高度な政治戦ができるはずがない。
話が大きくなってきたのを感じる。大きいのは胸だけで十分なんだけど。
「厳しいことを言うようだけれど、今のあなたが無策に胸を強調して歩けば、その瞬間に下品な成金や、遊び飽きた貴族たちの今夜の獲物リストに載って終わり。公妾になるためには、彼らに『この女を独占するためには、相応の対価と敬意を払わなければならない』と思わせなきゃダメ」
「……そのために必要なのが、教養のメルクマール。つまり、ダンスよ」
「ダンス……!?」
私の脳裏に、かつてアキバの路上で見たオタ芸や、ゲームセンターの音ゲーが浮かぶ。
「ええ。貴族にとってダンスは単なる娯楽じゃない。家柄や育ちを示す試験場なの。来月に行われる社交会のダンスで、確実にあなたは良くも悪くも注目される」
シャリーは私の周囲をゆっくりと回りながら、値踏みするようにその視線を這わせた。
「普通の令嬢なら、まずはいかに淑やかに、いかに存在を消して男性を引き立てるかを叩き込まれる。でも、あなたにそんな教育は不要よ。というか、不可能ね」
彼女の指先が、胸元がパツパツに張った生地をツン、と弾いた。
「これだけの質量を持って舞踏会に現れれば、会場の全ての男の視線は、あなたの顔を見る前にその一点に吸い寄せられる。重力に抗えない衛星のようにね。それは隠しようのない事実であり、あなたの最大の魅力よ」
「み、魅力……」
「ええ。だからこそ、あなたは誰よりも堂々と、その重みを誇りとして背負いなさい。その規格外の肉体は、卑屈になれば途端に下品な肉塊に成り下がるけれど、胸を張り、背筋を伸ばし、周囲を見下ろすような度胸を持って立てば、それは“選ばれし者にのみ与えられた神の恩寵”に見えるわ」
シャリーは私の肩を強く掴み、ステンドガラスの前へと押し出した。
「いい? ルリ。ダンスは単なるステップじゃない。それは、言葉を使わない格付けの儀式よ。重要なのは、激しいターンの最中、その豊かな揺らめきをいかに優雅な残像として男たちの脳裏に焼き付けるかよ。ドレスの隙間から覗く肌の白さ、動きに合わせて跳ねる鼓動……。それを見た男たちに、『あの奔放な命を繋ぎ止め、自分の腕の中に閉じ込めたい』という独占欲を抱かせるの」
彼女の言葉には、経験に基づいた残酷なまでの説得力があった。
「あなたは、異世界の常識を破壊する招かれざる美の怪物なのよ。来月の社交会、あなたは一歩も引かずにフロアの中央へ立ちなさい。その圧倒的な存在感で、他の女たちの平坦なプライドを粉砕してやるの」
「……他を、圧倒する」
胸以外に取り柄のない地味な容姿だと思っていた。
でも、シャリーに断言されると、なんだか自分が隠しボスにでもなったような錯覚に陥る。
「いいわ、来月まで時間はないけれど、私がレクチャーしてあげる。……愛人として消費されるか、公妾として崇められるか。その違いは、あなたのステップひとつに宿るのよ」
私の目の前まで来たシャリーは、私の震える手をそっと取り、自分の腰へと導いた。
シャリーの顔が、吐息が触れるほどの距離まで近づく。
「指先の触れ方、腰の引き寄せ方、そして踊りながらのウィットに富んだ会話。そこで男の五感を支配できない女に、公妾の座は掴めないわ。……できるかしら?」
(やってやる。スローライフを実現するために!)




