#33 スローライフのために③
「……ひくっ、うう……はぁ、はぁ……」
椅子に座り込んだまま、私は自分の足を見つめた。
さっきまでの濃厚な絶頂の余韻がまだ身体の芯に残り、指先まで痺れている。
力が入らず、立ち上がろうとしても膝が笑ってカクンと折れてしまう。
今の私には、優雅なステップを踏むための筋力なんて一ミリも残っていない。
「……あ、あの、シャリーさん。今日は、もう……。足がガクガクで、これ以上は無理です……っ」
恥ずかしさと情けなさで真っ赤になりながら、絞り出すように言うと、シャリーはそんな私の様子を興味深そうに観察していた。
「あら、もう限界? ほんの少し指を入れただけなのに、随分と安上がりな身体ね」
彼女は冷ややかな、けれど楽しげな笑みを浮かべ、ハンカチで指先を丁寧に拭った。
「明日……明日でもいいですか? 今、ワルツなんて踊ったら、一回転した瞬間に遠心力で私がどこかに飛んでいっちゃいます……」
私が必死に懇願すると、シャリーは唇に指を当て、クスリと笑った。
「そうね、今のあなたは色が回りすぎていて、立っているのがやっとのようだし。……いいわ、レッスンは明日以降にしましょう」
「あ、ありがとうございます……っ」
「その代わり」
シャリーは、まだ床にへたり込んでいる私の前に屈み込んだ。
彼女の琥珀色の瞳が、私のチュニックの襟元――そこに隠された構造物を、獲物を見定めるような鋭さで凝視している。
「……さっきから気になっていたの。あなたのその胸の重みを固定している、その不思議な布の仕組み。この世界にあるような、ただ締め付けるだけのコルセットや、胸を潰すだけのサラシとは、明らかに設計思想が違うわね」
「ブラジャーのことですか?」
シャリーは私の襟元に指をかけ、ブラジャーのストラップが肌に食い込んでいる様子を、まるで未知の魔導具でも見るような目で見つめた。
「この世界の女性……特に私たちのように“持たされてしまった者”は、重力という名の呪いと常に戦っているの。コルセットで胴体を締め上げ、サラシで無理やり押し潰す。それは、美しさを生むための我慢でしかなかったけれど……」
彼女の指先が、ストラップの伸縮性を確かめるようにパチン、と弾いた。
「あなたのそれは違う。重みを否定せず、むしろそれを『最も美しい位置』に留めるために設計されている」
シャリーは、自身の豊かな胸をそっと手で支え上げ、どこか遠い目をした。
その瞳に、知的な好奇心と女としての渇望が宿った。
彼女もまた、重力と戦い続けてきた女性なのだろう。
シャリーは、自分の豊かな胸元に手を当てながら続けた。
「ブラジャーっていうのね? 私の分も用意してもらうことはできる?」
「実は私もこれ1着しか持ってなくて、今、その友達に私の分を作ってもらってるので、3日後になりますね」
「……3日後ね。いいわ、楽しみに待っているわ。そのときに、そのリリアという子を私に紹介して。その装備の秘密、私も詳しく知りたくなったわ」
「え、ええ。わかりました! リリアなら、シャリーさんの要望にも完璧に答えてくれると思います」
私は苦笑いしながら、ようやく這い上がるようにして壁に背を預けた。
膝はまだ笑っているし、下着の中はシャリーのレクチャーのせいで大変なことになっているけれど、話が下着談義になったことで、少しだけ冷静さを取り戻せた気がする。
(……よし。シャリーさんとリリアが繋がれば、最強の誘惑スキルとランジェリーのコンビが爆誕する!)
「私の、この重みも、そのブラジャーとやらで救われるのかしら。もし気に入ったら、教会に来る婦人たちに紹介してあげてもいいわよ」
(……え、待って。これ、もしかしてビジネスチャンス!?)
地味オタクの脳内に、一気に“下着メーカー・ルリ”の野望が駆け巡った。
この世界の女性たちが、肩こりと垂れ下がる重力に悩んでいるとしたら。
リリアの技術と私の知識、そしてシャリーさんの人脈があれば――。
「ふふ、また悪い顔をしてる。何を企んでいるのかしら?」
「い、いえ! ただ、スローライフの軍資金がもっと稼げそうだなって……」
「現金な子ね。でも、いいわよ。欲がある女の方が、私は好きだわ」
シャリーさんは立ち上がり、私の乱れた髪を指先で梳くと、耳元で最後のアドバイスを囁いた。
「公妾になる女は、金の流れも理解していなければならない。自分の価値を数字で把握できない女は、必ず買い叩かれる」
「だけど、あなたのその装備が広まれば、女たちはあなたに借りを作る。借りは力になる」
「……女性側の支持基盤!」
「そうよ。男を落とすだけでは足りない。女に嫌われすぎた公妾は、すぐに排除されるわ」
「なるほど」
「ルリ、あなたの後ろ盾にいるその職人を手放してはダメよ。公妾にとって、自分を完璧に飾り立てるお抱えの職人は、戦場における武器職人と同じくらい重要なんだから」
「はい」
「今日はもう帰りなさい。でも、忘れないで。今のあなたの身体には、私の指が教えた“悦びの記憶”が刻まれている。歩くたびに、座るたびに、それを思い出しなさい。その秘めた熱こそが、男を焼き尽くすための火種になるのだから」
「……はい、肝に銘じます……」
私はフラフラになりながらも、なんとか立ち上がった。
教会の裏口を出ると、夜風が火照った頬を撫でる。
チュニックの中で、シャリーさんの体温と、媚薬が混ざり合った甘い香りが、私自身の熱に押されてふわっと立ち上った。
(……やばい。これ、ノエルに会ったら一発で何かあったってバレるんじゃ……)
私は、生まれたての小鹿のような頼りない足取りで、月明かりの下を歩き出した。
一歩踏み出すたびに、内側の熱が疼く。
教会の裏門を抜け、ノエルの待つ家へと続く夜道を歩く。
足はまだガクガクで、自分の胸が重力に従って揺れるたびに、シャリーさんに弄られた感覚がリフレインして、思わず声が漏れそうになる。
(……これ、絶対におかしいって)
自分でもわかる。今の私は、明らかに地味な女子大生の纏う空気じゃない。
女としてこじ開けられた熱気が、チュニックの隙間からダダ漏れになっている。
(……落ち着け。私は、メインヒロインになるんだから)
胸を押し付けようとしたり、谷間を強調してどやぁとしたり。
今までの誘惑は、ただの安売りだったんだ……。
それはシャリーさんの言う“二流の愛人”のムーブだ。
そんなことを続けていたら、ノエルの中での私は“都合のいい女体”に固定されてしまう。
(まずは、ノエルとの“対等なパートナー”としての信頼を築かなきゃ)




