#29 胸の使い方⑥
「……次回は、もっと経験を積んでから持ってきますから」
精一杯の強がりを口にして背を向けようとしたけれど、膝の震えが止まらない。
金貨の重みよりも、自分の体の内側から湧き上がってくる熱の方が、今は恐ろしかった。
(……おかしい。なんで、こんな……)
さっきまでの爆発への恐怖。死の淵を歩くような緊張感。
それが解けた瞬間、脳内で何かのスイッチが切り替わったのがわかる。
生物は、命の危機を感じると、種の保存のために生殖本能が飛躍的に高まるという。
吊り橋効果、なんて生易しいものじゃない。死にかけた脳が、強烈な飢えを訴えている。
(……誰かに、触れてほしい……)
そんな、地味オタクの自分らしからぬ欲求が、谷間に残るフラスコの冷たさを塗り潰すように広がっていく。
「あら、そんなに赤くなって。まだ何も仕掛けていないのに、そんな顔をして……まるで餌を待っている小鳥のようね?」
シャリーが面白そうに覗き込んでくる。
その時、彼女の瞳がふと真剣な光を帯び、私の姿を上から下まで、なぞるように見つめた。
「……待って。あなた、もしかして!?」
シャリーが、一歩、私のパーソナルスペースに踏み込んでくる。
逃げようとしたけれど、蛇に睨まれた蛙のように動けない。
「“夜更けのような黒髪、肩に落ちるまま真っ直ぐで、額を覆う前髪を持つ。飾り気少なく控えめに立つ娘”……」
「えっ……? 託宣、知ってるんですね」
私が消え入りそうな声で呟くと、シャリーは人差し指を唇に当て、妖艶に微笑んだ。
(……いや待って。私、さっきから結構な時間、顔突き合わせて話してたよね!? なんで今更気づいて驚いてんの!?)
感動的な再会オーラを醸し出すシャリーに対し、私の脳内ツッコミが思わず最速で炸裂する。地味フェイスなのは自覚しているけれど、いくらなんでも目の前にいる女の特徴に気づくのが遅すぎやしないだろうか。
……いや、違う。 私はすぐに、自分の盛大な勘違いに気づいて血の気が引いた。
(そりゃ気づかないわ。だってこの人、さっきから私の顔じゃなくて、ずっっっと私の胸しか見てなかったんだから……!!)
初対面でいきなり谷間から爆発物を取り出す不審者ムーブをかましたせいで、全意識を胸にロックさせてしまったんだ。同じ状況なら私だってずっと見ちゃう。
胸に全神経を奪われていたのだから、私の地味な髪型だの黒髪だのといった情報が、彼女の脳内に一ミリも入っていなかったのは当然の摂理だった。
それでも、私が勇者候補だと気づいたのはさすがだと言わざるを得ない。
「当たり前でしょう? 女神の言葉を預かるのは、私たち教会の務め。……もっとも、この託宣の内容は一部のシスターと、それを受け取るギルドしか知らない秘匿事項だけど」
彼女は私の黒髪を指先で弄りながら、囁くように続ける。
「国民に広まっているのは、光り輝く剣を持つ聖騎士なんて都合のいいイメージだけ。でも、本物の託宣はもっと……具体的で、地味で、それでいて強烈だった。」
(……やっぱり、選ばれたのは間違いなかったんだ)
「……でも、私はもう、勇者じゃないんです」
私は、熱った顔を隠すように俯き、自嘲気味に笑った。
「勇者として召喚されたのに、既製品の防具がどれ一つとして入らなくて。……『防御不能』って理由で、ギルドから登録を却下されたんです」
「……ふふ、あはははは!」
シャリーが、お腹を抱えて笑い出した。
淑やかなシスターの仮面が剥がれ、艶やかな女の笑い声が教会に響く。
「傑作ね! 勇者の素質がありながら、その豊かすぎる肉体のせいで世界から拒絶されるなんて! まさに神の悪戯、いえ、最高の喜劇だわ」
「笑わないでください……。私は必死なんです。……今だって、死にかけたせいで、なんだか……その、変な気分で……っ」
ついに、口に出てしまった。
羞恥心で死にそうだけど、今の私にはこの熱を誰かに、それも自分以上の経験を持つこの人に受け止めてほしかった。
シャリーは私の耳元でくすくすと笑った。その吐息が、今の私には猛毒のように熱い。
「世界を救うべき勇者が、己の肉体のボリュームに負けて、おまけに発情の熱に浮かされている。……女神様も、ずいぶんと意地が悪いわね」
「意地が悪いなんてレベルじゃ……っ。私、もうどうしたらいいか……」
私は祭壇の前に崩れ落ちた。
石畳の冷たさが心地いいはずなのに、内側の熱がそれをすぐに蒸発させてしまう。
腕を組んで胸を抑え込むと、余計に自分の拍動が全身に響いて、頭がどうにかなりそうだった。
シャリーは私の耳元に唇を寄せ、毒薬を隠した胸元を押し当てるようにして囁いた。
「欲求不満の勇者様、ね。……でも、その溢れんばかりのエネルギーを私にぶつけてみる? 女同士のレクチャーもできるわよ。薬の扱いと同じで、コツさえ掴めば毒も極上の蜜に変わるわ」
その瞬間、頭の芯が痺れるような感覚に襲われた。 彼女の指先が、私の熱を持った首筋をなぞり、そのまま鎖骨のラインを滑り落ちていく。
(……え、ちょっと、これ、本格的な百合ルート!?)
地味オタクとして生きてきた私の脳内ライブラリが、一気に“お姉様と不憫な少女”的なジャンルを検索し始める。
死にかけた脳が求めているのは、安らぎか、あるいはこの暴走する本能を鎮めるための——。
「っ、あ……」
声が漏れそうになった。
シャリーの瞳は、どこまでも冷静で、それでいて私を捕食しようとする肉食獣のような色を孕んでいる。
彼女の手が、私のパンパンに張ったチュニックの襟元に掛かろうとした、その時。
(……いや、ダメだ! ここで流されたら、私、一生このお姉様の掌の上で転がされるだけの玩具にされる!!)
一瞬、シャリーの放つ熟れた香りと、首筋をなぞる指先の熱に脳が溶けかかった。
でも、私の目的は何だった?
この胸を武器にした、優雅で計算高い悪役令嬢的スローライフだ。
(私が……自分で……誘惑するんだ。流されるんじゃなくて、支配する側になるんだから!)
私は震える手でシャリーの細い手首を掴み、至近距離でその青い瞳を射抜いた。
今、私の顔は爆発寸前まで赤い。心臓の音も、きっと彼女にまで響いている。
でも、引いてたまるか。
「……シャリーさん」
「あら、拒絶かと思ったけれど……その目は、まだ何かを求めているわね?」
「……教えてください」
私は、絞り出すような声で言った。
プライド? そんなもの、防具が入らなかった瞬間に粉砕されている。
「この身体の……“正しい使い方”を、レクチャーしてほしいんです。ただ振り回されるんじゃなくて、私が、誰かを思い通りにするための……その、テクニックを」
恥ずかしさで舌を噛みそうだった。
でも、シャリーは私の答えを聞いて、これまでで一番、楽しそうに目を細めた。
「ふふ、あはは! 面白いわ、ルリ。勇者であることを辞め、女であることを選ぶのね? しかも、自分から教えを乞うなんて。……いいわ。今のあなたは、まだ磨かれる前の原石。それも、猛毒を秘めた最高の素材よ」
シャリーは私の手をとり、自らの胸元へ強引に導いた。




