第489話 黒幕
『さて、と』
最後の一人が出ていって。
この空間。いや、カナメが自ら全てを作り出していると勘違いしている、この夢の世界自体を維持する必要も無くなった俺は、重い腰を上げる。
正確にはまだ一つ、煌めく人魂が浮かんでいたが。
俺は慣れた手つきでその人魂の中に腕を突っ込む。
『やっぱりな』
もう、カナメは抜け出した後だった。
つまり、これはただの抜け殻。
実態はこちらを油断させる為だけに、内側からカナメによって血色を色付けされただけの、ただの亡骸。
(本物の奴はもう……)
取り返しがつかない事は、この魂に触れたスイレンだって分かっていた筈だ。
分かった上で俺に託して来たのだ。再び仮初の命を吹き込んで、弄ぶ為に。
『クフフッ!』
思わず片手のひらで覆った視界。塞ぎ損ねた口端から歪んだ笑みが溢れた。
無意識に。無邪気に。唆されて。死人の写し身を生み出すのと、どちらが悪質なのだろうか。
決まっている。どちらも醜悪だ。
ただ、分かった上で。全てを覚悟した上でそれを行うならば?
その歪さを、醜悪さを許容した上で、自ら選択して行うならば?
『そこまでしてしたい事が実現したなら、それで幸せってか?』
……そうだ。
全てを加味した上で、その意思を貫く覚悟が。絶対に振れない信念があると言うのであれば、少なくとも、ソレをやらない方が不幸になる。後悔する事になる。
生前、俺は身を持って、その事実を思い知った。
大切なモノを何一つ守れず。
壊れて行く姿を。崩れ去って行く様を見せつけられ。
力の暴走。理性の崩壊。
壊れてしまった二人によって作り出された模造品の第一号が今の俺だった。
彼女達の力によって閉じられ、崩壊した世界。
彼女達自身と、彼女達の心を保つ為、無意識に作り出された俺以外の存在が拒絶された世界。
そこにあるのは、確かな体温と、縋る様な抱擁だけ。
言葉どころか、表情も感情も、本能的に行われている抱擁の意味すら忘れた彼女達を直す為、俺はあらゆる手段を取った。
ある時は唆して、彼女達の後悔の記憶の中にある人々を形取った、賑やかしの人形を作らせたり。
それを本物だと。過去に起きた出来事は悲惨であったけれども、乗り越えられる程のものだったと。繰り返し書き換えて、暗示を掛けて。失ったモノを積み直していって。
しかし、感情というモノを思い出すにつれ、恐怖や怒り、発作的な発狂を繰り返し。
一時期は彼女達を直しているのか、壊しているのか分からなくなった事もあった。
『いや。それは今も一緒か』
新しい記憶を。彼女達を積み直しては、不要な部分を削り取って。
しかし、どうしても削り取れない汚れがあった。
俺自身だ。
俺に付随する負の記憶が多すぎて。
削ろうにも、俺と言う存在ごと削らなければ、不自然になりすぎて。
だかと言って、俺と言う支えを2人の中から消してしまったらどうなるか。容易に想像ができた。
どれだけ安定した日常を送っていても。いや、そもそも、こんな世界でずっと安定した日常など送ってはいられないのだ。
だから、そのふとした瞬間、俺と言う存在が、最後に残った引き金となって。それまでに積み上げて来たモノが。彼女達が崩壊してしまう。
その度に俺は、また積み直して。
何度も。何度も何度も何度も。俺の私利私欲の為に、何度も彼女達を苦しめ、傷つけて来た。
それでも。どんなに歪んだ形でも良い。皆笑顔で暮らしていて欲しい。
それが俺の願いだった。
その為には俺を含めた過去の“清算”が必要で。
清算される俺の代わりに彼女達を守り、支えてくれる存在が必要で。
俺が彼女達を任せるに足ると感じられる存在が必要で。
『クックック……』
使えそうな魂を幾度となく俺達の世界に誘い込み。時にはその存在が強すぎて、全てを滅茶苦茶にされかけた事もあったが。
数え切れないほどの失敗も、尊い犠牲も、彼女達の苦しみも。今、この瞬間の為だけに積み上げられて来たモノだったのだ。
『器量良し、度量良し、覚悟良し』
こんな魂に出会えるなんて、俺は本当に幸せ者だった。
『魂がぶっ壊れたぐらいで逃げ切れると思うなよ?』
生憎、それは俺の専門分野だ。
伸ばした腕で彼の亡骸を弄って、汚して、細工して。
『ま。お前さんも俺と同じ穴のムジナだった様だしな……。同じ事を他人にやられて恨むタマでもねぇだろう?』
その狂気も、行動原理も理解できる。
だからこそ信頼できる。
その上、強大な後ろ盾まで持っているときちゃぁ、手放せねぇ。
最早、俺の物となりつつある二人の。世界中の力を俺に集結させて、最後の仕上げに入る。
皆の記憶を、身に余る力を、俺の描く未来の障害となるモノを、全て俺に集めて行く。
『準備はできましたか?』
と、噂をすれば、全くもって信頼できない、奴の後ろ盾の一人が現れた。
俺はこの女と取引をしている。
いや、圧倒的実力を前に、断る事もできない提案を取引と言うのかどうかは怪しい物だが。
彼女は誰にも正しく認識されていない俺の前に現れて、全ての事が順調に終わったら、この力を譲り渡す様に言って来た。
そうすれば、邪魔はしないと。それどことか、“良い魂”を手配して、俺の願望を叶える手伝いをしてくれると。
そして、今まさに、その願望が目の前で叶おうとしている。
と、なれば彼女が俺の前に現れた理由も、何となく察する事が出来た。
『あぁ……。だが、最後に一つ聞いても良いか?』
俺は“完成品”を抱き抱えながら、彼女の方へ向き直る。
『いいえ』
何故あの様な不可解な取引を持ちかけて来たのか。それを聞く前に、全てを彼女に掻っ攫われて行く。
『やっぱり、やろうと思えば初めから出来てたんじゃねぇかよ……』
散り行く意識の中、最後の悪態を吐く。
『可能か不可能かで言えば可能でしたが、貴方一人に力が集中した瞬間を狙った方が効率的だったので』
返事が返って来た事を意外に思いつつ。
『これでも感謝しているのですよ?ルリさんにまた一つ、貴重な経験を積ませる事が出来ましたから』
また一つと言う事は、この女、ここ以外でも、こんな悪趣味な事を繰り返してんのか。
『それと、あれですね。今、貴方と言う存在を吸収している最中なので、感傷的?同情?しているのかもしれません』
成程。少なくともこの女の素振りからは、そう言った感情が読み取れる事は無かったが。今はそう言う事にしておこう。
ただ、今はそんな事よりも。
『疲れたぁ〜』
自身の存在が希薄になって、曖昧になって。手足の末端等から存在を維持できなくなって来た俺は、身を投げ出した。
『お疲れ様です』
その着地点。訪れたのは優しい感触。
何故か先程まで立って居たはずの女の顔が、目の前にある。
多分、俺の頭部はこの女の膝の上に乗っているのだろう。膝枕という奴だ。
『辞めてくれ。スイレンの奴が嫉妬する』
真意は分からないが、俺にはもう、関係の無い事。
飾る必要も欺く必要も無くなった俺から引き出せるのは、精々そんな軽口程度だった。
しかし、そうか。本来の俺はこんな奴だったんだっけか……。うん。俺の最期にしては悪くない。
『何故私はこんな事をしているのでしょうか?』
とぼける様な口調で。優しい表情で、頭を撫でてくる彼女。
その見上げる表情が。温もりが。全てが始まって、終わってしまう前の、彼女達との日常を思い出させて。
『知らない方が幸せだよ』
最期に呟いた言葉は皮肉だったのか、本心だったのか。
彼自身理解する前に、安らかな顔で私の中へと取り込まれて行く。
『本当に……。お疲れ様でした』
呟いた私は、少しだけ。ほんの少しだけ、感傷的な気分になって。
『……さて。蹴りをつけましょうか』
それでも私の最優先は変わらない。
(何を犠牲にしたって)
そう思えなくなってしまう前に。
私が。彼が。その他大勢に汚染され、“自分”を失ってしまう前に。
彼は思考が、存在が希薄化された事で、隙を見せる事が多くなった。
それはチャンスが増えると共に、タイムリミットを感じさせる物で。
(急がないと)
必死になって初めて感じた焦りと言う感情。
しかし確実に、焦りを本当の意味で知る以前の私よりも、行動が非効率的になっている。
流れ込む他人の不幸が、思考が、感情が。その可能性が、効率的な動きを妨げる。
知っていた筈の感情が自分のモノになると。理解が進めば進む程、制御できなくなって行く。
他の物に目を奪われ、彼に近付く機会を自ら逃している。
それでもこれだけ近付けたのは、それだけ、彼が彼を失っていると言う証拠。
時間が迫っていると言う警告。
でも、それでも。
初めて知る感情に振り回されながら歩んで来た。
寄り道に寄り道を重ね、余計な下準備を積み上げた来た私の道も、完成が近い。
そう。あと少し。あと少しで……。
だから最後に一つ。そこに手を伸ばす前に。最後の寄り道を。
礎となった魂達に最期の花束を。
『…………』
今更になって、死んで行った実験動物達を埋め、簡素な墓を作って、花を手向けていた蛍の気持ちが分かった気がした。
もっとも、蛍の場合は、私を止められなかった事に対する罪悪感から来た行動だろうが。
それでも蛍は言葉で私を止めようと必死になっていた。
本当の意味でその声が届く事は無いと。
私の瞳が、彼女を彼女として捉えていないと気が付くまでは。
声が届かないのであれば。妨害もあしらわれるのであれば。それでも止めたいのであれば。
追い詰めたのは私だ。
……それでも蛍は覚悟を決めた目をしていたから。誰に何と言われようと、一生背負って生きて行くのだろう。
知れば知る程、私がして来た事が、取り返しのつかない事なのだと思い知らされる。
……それでも私は、私のしたい事の為に、これからもこうやって。
誰かの、他人の生を汚して、喰らって生きて行くのだろう。
その姿はただただ醜くて。
『ごめんなさい……』
自身の欲望を満たす為に、意図的に消費した命に許しを乞いながらも、全く後悔していない姿は、彼の目にどう映るだろうか。
……でも、そんな物は関係ない。
彼がそうした様に。皆がそうして居る様に。私は私の力と責任で、私のしたい事をするだけ。
『ねぇ。そうでしょう……?』
意味も無く溢れ出した言葉。
その一言で、数多の記憶達が私の中で響き合い。
『…………』
その日初めて、私の中にあるこの感覚が、孤独感と言われる物なのだと自覚した。




