4話 街道の中で
「ど、どうしてこうなった……」
神殿行きの馬車。
間に合う、とでも一瞬は思っていたけど、そんなことはなかったようで、西門へと到着したころには、馬車ははるか地平線の先。
どうやら10分以上前には出発していたようだ。
おそらく、あの鍛冶屋のおじさんが伝えた時間が間違っていたということなのだろう。
よく考えてみれば、この世界は科学が発達していないのだ。この世界の人々の全員が正しい時間を把握しているわけではないというわけなのだろう。
そんなわけで、私は今、馬車の後を追う形で、道を歩いていた。
まあ、馬車の姿は見えないから追っているという表現が正しいのかはわからないが。
次に馬車が出るのは明日。
そんなの待てるわけがない。だからもういっそのこと徒歩で行ってしまおうというわけだ。
神殿で発行してもらえるという身分証がなければ、この世界でできることも限られるらしいので、早めにとっておきたいのだ。
食料や水、その他必要なものはある程度買い、大型の革袋に入れて出発した。
おかげで、小さい革袋にはもう1500ヴルも入っていないのだが、そんなことはさておき……。
「なんでVRなのにこんなに疲れるの!!!」
そう、いかにこれが現実だと言えども、ハットギアにより接続している以上、これはVRだ。
にもかかわらず、全身に押しかかる疲労感は完全に再現されていた。
「VR……だよね? 私の肉体はベッドの上で寝てるだけだよね!?」
今までのVRではスタミナという概念があることはあったが、さすがに疲労感までは感じることはなかったぞ。
まだ歩き始めてから30分しか経っていないはず、こんなにも早く消耗することがあっていいのか?
そう思いつつ、近くにあった岩に座り込む。
「こんなことになるならちょっとは運動しておけば……いや、ここでの肉体はあっちでの肉体とは違うから意味ないのかな……?」
そうボヤきながら、大型の革袋から水袋を取り出して口に含む。ぬるい水が乾いた喉を潤していく。
ゲームならば一瞬で回復するのだろう、だが、当然ここではそんなことはない。
「……ハァ、休んでても誰も迎えに来てくれないもんね」
汗を拭うと、パンパンと両膝を叩いて重い腰を上げた。
背中の大きな革袋をかるく担ぎ直し、再びてくてくと歩き出す。
一歩踏み出すたびに、カチャ、と袋の中の長剣と短剣が鞘に当たる微かな音が響いていた。
「……馬車に遅れたのってこれ買ってたせいなんだよなぁ」
◇ ◇ ◇
中立国家イニテラリスのとある荒野。
そこは、第三初期地点である都市ネウテル、そして第二初期地点である都市コウリムから通ずる街道が、神殿へとつながる街道に合流する地点の近く、方向的には神殿方面だ。
神殿へと向かう理由と言えば、神への参拝か、それとも身分証を貰うためかの二つぐらいしかない。
ネウテルとコウリムと結ぶにしても遠回りとなってしまうこの街道はあまり交通量が多いとはいえない。
そのため、今日ここを通る馬車は、アライバー達の乗る馬車だけであった。
そんな場所に、ヴェーダ交流技術開発公社に所属するモデレーター、井境渡真は訪れていた。
そんな彼のもとに、一人の男が近づく。
「アルクス殿、本日は多忙な折、我ら騎士団の作戦に協力いただき感謝する」
アルクス、それは俺のこの世界での名前だ。
紬奇は地球上と同じく、ツムギという名前を使っているらしいが、俺ははまた別の名前を使っている。
理由は色々あるが、一番の理由は紬奇に俺が公社で働いているとバレないようにするためだ。
6年前からこの身体を使っているから、紬奇がヴェーダに入ることになんてわからなかったが、名前を変えておいて正解だった。
「……気にしないでくれ、ウォクス殿。こちらとしても、この世界とは友好な関係を築きたいからな」
声をかけてきたイニテラリス騎士団の副団長ウォクスに地球の声とは違う、高めの声で努めて冷静に言葉を返した。
これから行われるのは、騎士団による野盗の掃討だ。
俺たちはあらかじめ、ある情報を流していた。
まず、アライバー、地球という異世界からこの世界に何百人もの人間がイニテラリスへと集まること。
そして、アライバーは身分証を得るためにこの世界に着いてからすぐに神殿へと向かうこと。
それから、この世界に来れる者は地球の中でも金持ちだということだ。
これらはどれも嘘ではないが、公社が意図的に情報を特定の経路へ流し込み、野盗どもを誘い出すための「餌」として仕掛けた罠だった。
身分証のない人間は人身売買として使いやすい道具となり、しかもそれぞれが大金を持っている。
襲撃に成功すればかなりの利益を得ることができるだろうが。
野盗だけじゃなく、この世界の人々の多くはまだ知らない、アライバーはいつでも地球へとログアウトという手段で戻れるということを。
というかそもそもどうやってこの世界に来ているのかという情報も流していないのだ。
まさかあんな方法でこの世界に接続しているなんて思うはずがないだろう。
「しかし、これに引っかかるバカなんているのか?明らかに罠と言っているようなものだと思うのだが」
「野盗はバカだから野盗なんですよ」
「……そういうもんなのか」
この世界の文化レベルは相当低い。
日本では当たり前のように学校に通い、当たり前のように飯を食える。
でもこの世界では違う。
これから殺すことになるかもしれない野盗も、本当なら……いや、考えすぎてはダメだ。
殺すことにためらってしまう。
アライバーに課せられた規約は当然モデレーターである俺にも当てはまる。
その規約のほとんどはこの世界の法律から定められたもの、まあ規約を守っているからと言って規約には記載されていない法律を破っていいわけではないのだけれど。
基本的に人間を殺すことは禁じられているが、ほとんど……いや、全ての国で一定以上の罪を犯した罪人はその人間の中に当てはまらない。
……ほんとに一般公開なんてしても良かったのかと不安になってしまうな。
「報告します!野盗と思われる集団が合流地点に接近中です!」
騎士団員の一人が報告を入れる。
「よし!かかったか!」
ほんとにバカなんだな……
そう考えつつ、俺は着ているローブの深々としたフードの陰から、剣を引き抜く。
アライバーにはログアウトがあるとはいえ、さすがに初日から野盗に拉致されかけるなんて体験をさせるわけにはいかない。
馬車と遭遇する前に野盗を潰す。
「じゃあ、俺はテキトーにやっといたらいいですかね?」
「この問題は本来なら我らイニテラリス騎士団が解決すべきことなのだが……」
「それもそうか、でもせっかくここに来たのに何もしないっていうわけにはいかないな。というか支部の建設に馬車の手配に力してくれたんだ。何もしなかったらこっちが怒られそうだ」
そう呟きつつ、あの社長のことを思い浮かべる。
あの社長とは言うまでもなく、ヴェーダ交流技術開発公社の代表取締役のことだ。
あの見た目は優しそうな社長だが、仕事に関してはとことん厳しい。ここで俺が突っ立っているだけで何もしなかったと知られれば、後でどんなお小言を頂くか分かったもんじゃない。
「ふ、フフ……元よりアルクス殿は指揮下には入っていないのだ。自由に動いてもらって構わん」
ウォクス副団長は兜の奥で苦笑いを浮かべながら、どこか安心したように重厚な肩を揺らした。
「そう言って貰えると助かるよ」
俺はそう吐き捨て、深々とかぶったフードの隙間から、街道の合流地点へと視線を戻す。
粗末な革鎧や錆びた剣を手にした野盗の群れ、さすがに道のど真ん中に突っ立っているというわけではなく、岩陰や茂みに身を隠しているようだ。
まあ、バレバレだけど。
こちら側、騎士団数名の方は、やはり国で訓練されている兵というだけあって、気配の隠蔽術はかなり優れている。
野盗らと似たような場所に隠れているはずなのだが、野盗らにバレる様子は全くない。
いったい何が違うのやら。
まあ、素人とプロの差と言えばそれだけなのだが。
「アルクス殿、合図と同時に我らは左右から挟撃を仕掛ける。貴殿の動き易いように暴れてくれて構わん」
「了解です。じゃあ、俺は好きにやらせてもらいますよ」
こちらとしては、自由に動けることはありがたい。
訓練された兵のように統率の取れた動きなんてできないし、かといって指揮をとることもできない。
俺にとってはもっともやりやすい立ち位置だ。
(馬車がこの合流地点に到達するまでは、まだ数十分以上あるか……)
アライバーたちが到着する前に、この野盗らを残らず始末しておく。それが公社モデレーターとしての、そして俺の仕事だった。
「突撃ぃッ! 一人たりとも逃すな!」
ウォクス副団長の重厚でいて鋭い号令が、静まり返っていた荒野に爆音のように響き渡った。
直後、息を潜めていたイニテラリス騎士たちが一斉に岩陰や茂みから躍り出る。
「な、なんだぁ!? 騎士団だと!?」
「伏兵だ! 挟み撃ちにされてるぞ!」
呑気に馬車を待っていた野盗どもは急な騎士団の登場により大混乱に陥った。
そりゃ、これが罠だと思っていないのだから、そうなって当然というものか。
慌てふためいて武器を構えようとするものの、統率の取れた騎士たちの初動に完全に後手に回っている。
この調子じゃまともに戦えそうにない。
「……さて、俺も仕事に取りかかるとしますか」
ほとんどの野盗は混乱しているが、中には冷静にその場から離れようとしている輩もいる。
野盗らにバレないようにするため、騎士団も少数しか来ておらず、包囲から抜け出すことはできなくもないといったところだ。
俺は深く被ったフードの目元を手で押さえ、逃走を図る数人の足取りへ視線を鋭く固定した。
「ひ、ヒィッ……! なんで騎士団がこんなところにいるんだよ!」
「死にたくねぇ! 逃げろ、逃げろおぉッ!」
乱戦の喧騒から背を向け、合流地点の脇に広がる岩場へとなだれ込んでいく三人組の野盗。
俺は音もなく地を蹴り、荒れ果てた岩肌の上を風のように跳んだ。
急勾配の岩棚を跳躍し、逃走経路の先回りをするように、脱出を図る男たちの眼前へと静かに舞い降りる。
「なっ……ガキ……!? どけ、邪魔だぁッ!」
先頭を走っていた大柄な野党が斧を振りかざす。
だが、遅い。
振り下ろされる刃の軌道をほんのわずかに紙一重でかわし、滑り込むように間合いを詰める。
すれ違いざま、長剣の刃を相手の両足へと滑らせた。
ここで首を断つこともできただろうが、やはり日本人である俺にとっては、殺しは最後の手段だ。
できるだけ避けたい。
ぐらりと体勢を崩した大柄な野盗は、両膝から激しく地面へと叩きつけられ、荒野に情けない悲鳴を響かせた。
「ぎゃあぁあつ!? 俺の膝が……膝があぁっ!」
先頭の男が崩れ落ちたことで、その場で足を取り止めかけた残る二人。
後ろには騎士団、そして前には俺がいる。
もうどうしようもない状況だろう。
「ひっ、化け物……! 許してくれ、降参する! 降参だ!!」
「頼む、命だけは……ッ!」
完全に戦意を挫かれた残りの二人は、ガタガタと震える手から粗末な武器を投げ捨て、その場に崩れ落ちるように両手を挙げた。
(よし、戦意喪失だな、あっちももう終わってるか)
騎士団の方に目を向けると、すでに野盗らをロープで拘束し始めている。
逃げたやつもいなさそうだ。
「このガキ……ふざけやがってぇッ!」
安堵したのも束の間、膝を押さえて悶絶していた先頭の大柄な野盗が、血走った眼で暴言を吐き捨てながら、悪あがきのように残された腕を振り回した。
不意を突いた一撃。
直撃こそしなかったものの、男の太い指先が、俺の頭部を深々と覆っていたローブの布地にひっかかる。
「あ——」
バサリ、と音を立ててフードが大きく後ろへ翻った。
それと同時に、大柄な野党の右腕を切断する。
「ぎゃあぁあぁっ……!! 俺の、俺の腕がぁあぁっ!?」
切断された右腕から激しい血飛沫が舞い散り、大柄な男は喉が引き千切れんばかりの絶叫を上げて荒野の土へと転がった。
あまりの激痛に失神しかけながら、激しく身悶えする男。
そして、バサリと翻ったフードの隙間から、肩まで伸びたしなやかな黒髪が荒野の風にふわりと揺れる。
そこに現れたのは、地球での井境渡真の姿とは似ても似つかない——どこからどう見ても、透き通るような肌と凛とした美貌を備えた可憐な少女の素顔だった。
「ひっ……! お、女……!? ガキじゃなくて……女だったのか……!?」
俺は、この世界では、女になっている。
それはアバターをそう設定したからではない。
そもそもアバターの性別は地球上のそれと変えることができなくなっている。
では、なぜ女になっているのか。
理由は単純にして、どうしようもない事故だった。
この世界で受けた、正体不明の奇妙な魔法のせいである。
4年前、その時にこうして女の姿になってしまったのだ。
直したいのは当然だが、4年経った今でも元の身体に戻る方法は見つかっていない。
あいつが直してくれれば早いのだがな……。
でも、この姿なら紬奇に見つかっても俺が渡真だということはバレないだろうし、そう考えると、女になってよかったと……いや、言えないな。別に髪色でも変えとくだけでよかっただろう。
そう考えながら、俺は手繰り寄せたローブのフードを深々と被り直し、再びその素顔を影の中へと隠した。
「お前は……もうその出血量では助からなそうだな」
その男は地面に血の池を広げながら、そのままカクリと頭を垂れて動かなくなっていた。
両足と右腕を切り飛ばされたショックと急激な失血。いくら頑丈な野盗とはいえ、さすがに死ぬ。
「アルクス殿、あとはお任せください」
大柄の野盗が死んだのを確認するとほぼ同時に、騎士の一人が近づいてきた。
「ああ、あとは任せる。もう数分で馬車が来るだろうから、それまでにこいつらは片付けといてくれ」
「はっ、了解いたしました! 直ちに掃討作業および死体の収容を完了させます!」
騎士はビシッと敬礼を返すと、すぐさま手際よく二人の拘束に取り掛かる。
この調子なら余裕で間に合うだろう。
アライバーには精神テストを受けさせているとはいえ、こんな惨状、できることなら見たくはないだろう。
(一応馬車の方も見に行くとするか……)
俺は、死体や野盗の処理を騎士団に任せ、ネウテルがある方へと歩みを進めた。
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