5話 小さな光
通常時の馬車の速度はだいたい時速6kmだと聞いたことがある。
対して、人の歩く速度は時速4kmほどだ。
そして、ネウテルから最寄りの神殿までの距離は約12km。
馬車ならば、2時間ほどで到着し、徒歩なら3時間ほどで神殿へと到着する計算となる。
つまり、こうして歩いて神殿に向かったとしても、馬車で向かうのとでは1時間しか差がないというわけだ。
なお、算数の問題理論により、体力の消耗などは考えないものとする。
「って、なるわけないでしょうが!!!!!」
私は算数のテスト用紙に生息しているA君やB君などといった存在ではないので、体力が無尽蔵にあふれかえり、一定の速さで常に進めるわけではないのだ。
「ていうか……それにしても、体力の消耗激しすぎない?」
歩き始めてから2時間ほど、だけど、ところどころ休憩をはさんでいるため、半分の距離も進めているのか怪しいところだ。
こんなにも体力の消耗が激しい理由、考えられる理由としては……。
「この身体が、生まれたての身体だから、かな……?」
そう、アライバーとしてこの世界に初めて接続した私たちの肉体は、何のトレーニングもしていないのだ。
この歳にまで成長することのできる最低限の体力しかついていないのではないか?
それとも、この世界には地球にはない魔力とか魔法とか言う要素があるから、それが絡んでいるという可能性もあるかもしれない。
「はぁ……ログアウトして現実のベッドでぐっすり寝たい……でも、せっかく一般公開されたばかり、できる限り入りたいからなぁ……」
ログアウトする前に、せめて神殿で身分証を手に入れたいところだ。
「くそー、鍛冶屋で2時間近く剣を振り続けていなければこんなことには……というかこんな状態でよく2時間も振り続けれたな……」
独り言をつぶやいていたその時、道の先から微かに茂みが揺れる音が聞こえた。
「——え?」
思わず足がピタリと止まる。
風が吹いているわけでもないのに、街道のすぐ脇に生い茂る木立と草むらがガサリと大きく揺れた。
「……誰か、いるの……?」
声を出すが、返事はない。
私は背中に背負った大型の革袋へと手を伸ばした。
中から、ついさっき奮発して買った長剣を取り出す。
正直、扱える自信はない。
AFOで使ったことはあるが、この世界ではどうか。
そもそも体力が壊滅的なのだ。
動き回ればすぐに消耗してしまうだろう。
ガサッ、と一際大きく草木が擦れる音が響いた。
「っ……!」
私は手に持った長剣の重みに耐えながら、びくびくと震える足を踏ん張る。
頼むから何も出てこないでくれ、と祈るが、茂みが揺れたのだから何かいるのは確定しているんだよな……と冷静に考えてしまう。
そして、そこから姿を現したのは……。
「ひっひっひ、寝ている間に放置されたかと思えば、まさかこんなにも可愛い子が馬車に乗り遅れているとはねぇ」
茂みから出てきた男は、そう言いながら、手に持ったナイフをペロリとなめる。
「ひっ!!」
喉の奥から、情けない悲鳴がひゅっと漏れた。
足がすくんで、後ろに下がろうにも膝から崩れ落ちそうになる。目の前の男がペロリと舐めたベトつくナイフの刃が、いやに生々しく夕暮れの光を反射して光っていた。
(これが異世界のナンパ……なわけないよね、これ、もしかして野盗ってやつ!?)
「さぁ、お利口にしてろよ。俺がいいように使ってやるからさぁ」
ニタニタと下卑た笑みを浮かべた男が、錆びたナイフを構えたまま一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
やばい、本当にやばい。このままじゃゲームオーバーどころか、リアルに痛い思いをして初日からトラウマを植え付けられる!
必死に震える両手で長剣を突き立てようとするけれど、あまりにもリアルすぎる恐怖によって手がまともに動かない。
――やられる!!
そう思い、目を閉じた時だった。
「な、なんだお前!!ガキはおとなしく家で……ぐはぁっ……!?」
目を見開く。
すると、そこには地べたにうつ伏せになっている野盗の姿。
そして、その上には黒いローブを纏った小柄な人影が、野盗を踏みつけながら立っていた。
あまりに一瞬の出来事に、私の頭は完全にフリーズした。
「え……? あ……え……?」
恐怖に震えながら目を閉じたのは、ほんの数秒前だ。
カキン、とも、ドサッ、とも、戦闘を思わせるような気配を微塵も感じていない。
一瞬のうちに目の前で刃物をチラつかせていた野盗の男が、気づけば土埃の中に顔面から突っ伏してピクリとも動かなくなっている。
その背の上に、静かに佇む黒いローブの人影。
深く被られたフードの隙間から、わずかに覗くサラリとした黒髪と、冷ややかで美しい瞳が見えた。
「……大丈夫か?」
倒れた野盗の背から静かに足を下ろし、その人物は一歩踏み出した。
「あ……は、はい! 大丈夫、です! 助けてくれて、ありがとうございます……!」
「怪我がないなら、何よりだ。俺はモデレーターのアルクスだ。ネウテルのアライバーは今頃馬車に乗って神殿へと着いているはずだが、なぜこんなところにいるんだ?」
モデレーター!?
まさかこんなところにモデレーターがいるなんて。
てっきりモデレーターはずっと支部に引きこもっているばかりかと思っていた。
「えっと……そ、それは……ですね」
視線をウロウロと泳がせながら、私は背中の大型革袋をぎゅっと抱え直す。
まさか「鍛冶屋で2時間も無駄に剣を振り続けていたら馬車に置いていかれました」なんて、初対面のモデレーターさんに正直に言えるわけがない。そんなの間抜けすぎて恥ずかしすぎる!
「えっと、買い物してたら遅れてしまいました!!」
「そうか、買い物……いくらぐらい使ったんだ?」
「えっと、8000ヴルくらいです」
「……!?」
なんだろう。
今一瞬、アルクスさんがビクッと動いたような。
……フードのせいで顔がよく見えないな。
でも、確かに8000ヴルは使い過ぎなのかもしれない。
「……事情は分かった。俺が神殿まで送ってやろうか?」
「え!いいんですか!?でもモデレーターさんにご苦労になるわけにはいかないし、その野盗も……」
「野盗の処理なら心配いらない。騎士団に連絡を入れておいた。テキトーに拘束しておけば大丈夫だろう」
そう言いながらアルクスさんが近くにあった木に野盗を縛り付け始めた。
「テ、テキトーでいいんだ……」
アルクスさんのなんとも大雑把、かつ手慣れすぎている対応に、思わず苦笑いが漏れる。
「じゃあいくぞ」
私の返事を待つこともなく、ぬるりと間合いを詰めてきたアルクスさんに、ひょいっと身体ごと持ち上げられたのだ。
「え……え、えぇぇっ!?」
視界がふわりと浮き上がり、次の瞬間には、私はアルクスさんの両腕の中に綺麗に収まっていた。
完全なお姫様抱っこである。
「あ、あの!? アルクスさん……!?」
「もう体力が限界に近いだろう?」
「それはそうですけど……」
「歩かせるより、こうして運ぶ方が効率がいいからな」
氷のように淡々とした口調のまま、アルクスさんは私と背中の巨大な革袋をまとめて軽々と腕の中に抱え込んでいる。
私と少ししか体格が違わないにもかかわらず、対して苦でもなさそうだ。
何か魔法が関係しているのかな?
「……そういえば、さっきはなんでログアウトしなかったんだ?」
「ログアウト……あ、」
「……はぁ。あの場面でログアウトしておけば、野盗目線では転移魔法で逃げられたかのように思われる。講習で教えられたはずだが」
「あ……っ! そ、そういえばそうだった……!!」
なんだろう。アルクスさんにとても呆れられているような気がする。
「もしも俺がいなかったら大変なことになっていたぞ」
「……ほんっとうに、すみません……」
返す言葉もなく、私はアルクスさんの腕の中でいっそう身を小さく丸めた。
資格を取った後の講習でこういうのは何度も説明されていたのに、いざ目の前に刃物を突きつけられたらパニックになって完全に頭から吹き飛んでいたのだ。
「……反省しているならいい。だが、この世界では一瞬の判断の遅れが致命傷になる。死んでもヴェーダ内で死ぬだけだが……10万円引き出してるんだよな?」
「……はい」
ヴェーダで死んでも、地球で死ぬわけではないとはいえ、ヴェーダ内では普通に死んでしまう。
そうなると、再びその身体でヴェーダに入ることは不可能となり、持っていた物も失うことになるだろう。
お兄ちゃんの口座から10万円を引き出したとはいえ、公開初日から失うわけにはいかないもんね……。
◇ ◇ ◇
「ここが神殿か……」
アルクスさんは、私を神殿まで連れてくると、すぐにどこかに行ってしまった。
モデレーターというのは忙しい仕事なのだろう。
まだヴェーダは一般公開されたばかり、相当な仕事がたまっていてもおかしくはない。
まあ、私もモデレーターさんの仕事を作ってしまったわけなんだけどね。
そんなことを考えつつ、地下へと続く階段を下る。
というのも、神殿の本殿とも言える主要なエリアはすべて地下に存在しているらしいからだ。
階段を下り終えると、そこには、途方もない光が広がっていた。
「うわぁ……すご……」
思わず呟きが漏れる。
階段を下りきった先に広がっていたのは、広大な地下大聖堂だった。
そこは、本当にここが地下なのか疑いたくなるレベルに光が溢れ出していた。
地下大聖堂を包み込んでいたのは、天井や壁面に刻まれた神紋が放つ幻想的な輝きだった。
広い空間をすみずみまで満たすそのまばゆい光の中を、無数の精霊たちが光の粒を散らしながら優美に舞っていた。
精霊、それはこの神殿と同じく、この世界の神『アルティフ』によって作られた存在……らしい。
精霊と思い浮かべれば、数センチほどの身体の少女に羽が生えているのをイメージするかもしれないが、ここにいる大半は、ただの光の粒子だ。
中には私がイメージするような精霊もいるけど、ほとんどは粒子のように小さい精霊のようだ。
「光も精霊もすご……ほんとに綺麗……」
地上での野盗の恐怖や長旅の疲労が、息をのむような光景に一瞬で吹き飛んでいく。
プラシーボとかではなく、本当に癒えているような気がする。
私が立ち尽くしていると、舞っていた精霊たちが歓迎するように周りをくるくると楽し気に旋回し、奥へと続く広い回廊を示してくれた。
精霊たちの導きに従い、輝く大理石の床を踏みしめて地下聖堂の最奥へと進む。
そこには、一際神聖な光を放つ大きな祭壇、そして神々しい気品と圧倒的な存在感を纏った黄金のドラゴンの姿があった。
言葉を失ったまま、私はその場に硬直した。
神殿の最奥。祭壇の前に鎮座しているのは、身の丈をゆうに超える黄金の毛並みと鱗、そして太陽の光をそのまま引き延ばしたような輝かしい大翼を携えた巨獣だ。
まばゆい光を背景に佇むその姿は、息をのむほど圧倒的で、それでいて不思議と恐怖を感じさせない温かみに満ちている。
七聖精霊王、この世に七つある神殿にそれぞれ配置されているという大精霊。
そのうちの一柱が、今目の前にいる……といっても知っているだけであって、ヴェーダに来たばかりの私はその精霊王とやらがどれだけすごいのかわかりません。
『——ようこそ、日の神殿へ、我こそは日の神殿を守護する七聖精霊王が一柱アウロラ=ラディオルスである』
(アウロラ……ラディオルス……? なんだかすごく強そうというか、ファンタジーの教科書に出てきそうな立派なお名前だ……もちろんファンタジーの教科書なんて存在しないのだけれどね)
頭の中に直接語りかけてくる重厚で温かな声に、私は緊張で背筋をピンと伸ばす。
『……異界より訪れし者よ。神アルティフの威光のもと、その存在を証明する授かりものを与えよう』
黄金の毛並みと輝く翼を揺らし、アウロラ=ラディオルスは琥珀色の瞳でゆっくりと私を見下ろした。
翼をはためかせると、黄金の光がふわりと広がり、私を包み込む。
すると、その光が私の手元へと集まりだした。
それは徐々に薄いカードのような形を取り始める。
「これが身分証……じゃなくて確か神印証だったっけ」
両手で大切に受け取ると、じんわりとした温もりが心地よく手に馴染んでいく。
神印証、いわゆる身分証、というかこの世界でもこれを身分証だと読んでいる人も多いみたいだ。
本来ならば、生まれて間もない頃にここ、でなくともどこかの神殿で授かるらしいが、アライバーたちは、でもまあ、この世界に生まれて間もない頃というのもあながち間違いではない、のかもしれない。
何はともあれ、この世界での身分証を手に入れることができたわけだ。
(……よし、これで目標クリア! あとはログアウトして現実のベッドでぐっすり寝るだけだね!)
「あ、ありがとうございました!!」
深々と頭を下げて感謝を伝えると、アウロラ=ラディオルスは優しく目を細め、静かに翼を揺らした。
『うむ。汝の歩む道に、変わらぬ陽光の祝福があらんことを』
アウロラ=ラディオルスの温かな言葉を背に受けながら、私は深々と一礼し、神殿の最奥を後にした。
無事に神印証も手に入ったことだし、とりあえず地上に戻るとしよう。
さすがにこんなところでログアウトしたらまたここに来た時に怒られそうだ。
(……それにしても、地下なのに本当に明るくて綺麗な場所だな……)
この世界には電気とかないらしいから、魔法による光なんだろうけど、それも相まって神秘的な雰囲気をかも出している。
外の光が見えてきた、その時。
「……ん?」
ふわり、と頬に微かな温もりが触れた。
風でも吹いたのかと思って足を止めると、目の前の空間にひとつの小さな光が浮かんでいた。
「精霊……だよね?」
そこには、神殿内に有象無象に溢れる小さな精霊。
輪郭もはっきりとしておらず、私には小さな光が浮かんでいるようにしか見えない。
そんな精霊が、私を一点に見つめているような気がした。
「……えっと、私に何か用……?」
おずおずと問いかけるが返事は返ってこない。
アウロラ=ラディオルスと違い、このような姿もはっきりしない下位の精霊は話すこともできないということなのだろうか。
だが、言葉を持たないその小さな光は、私の問いかけに応じるかのように、ふわりとふよふよと空中で上下に揺れた。
「もしかして……私についてきたいの?」
なんとなくそんな気がしてそう尋ねると、小さな光は勢いよくピョコピョコと跳ね回った。
どうやら肯定しているらしい。
精霊と人間は契約を結ぶことができると聞いたことがある。
契約することによって、人間は精霊から魔力を借りたり、その精霊が扱える魔法の一部を扱えるようになるそうだ。
「契約したいってことなの?」
私がもう一度手のひらを上に向けてそっと差し出すと、光は待っていましたとばかりに手のひらの上に乗っかった。
指先を通して、温かな魔力の波動がじんわりと身体の中に流れ込んでくる。
魔力というものについて知らないはずなのに、それが魔力だということがはっきりとわかった。
「これが契約か……これから、よろしくね」
私は光にそっと触れた後、その神殿を後にして、ヴェーダからログアウトした。
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