3話 インベントリなんてない世界で
中立国家イニテラリス。
私達アライバーの初期ログイン地点として選ばれた国だ。
この国は大陸のほぼど真ん中にありながら、なおかつ海にも面しているため、東西南北あらゆる大国からの貿易船や行商人たちが行き交う物流の中心となっている国だ。
中立と名乗っているだけあり、どの国とも過度な友好関係を築くわけでもなく、かといって露骨に敵対するわけでもなく。
これは表向きの事情であり、実際には少し異なるのかもしれないが、物流の中心になっていることは確かだ。
ゆえに、イニテラリスの一都市であるネウテルの市場にも、大陸各地から持ち込まれた見たこともない珍品や食材があふれかえっている。
「でも、さすがは異世界ってだけあるよね……」
私は賑やかな大通りのど真ん中で立ち止まり、とある屋台の金属串を凝視していた。
串に刺さっているのは黄金に光り輝くイカ焼きだった。
私も詳しく知っているわけではないけど、ホタルイカ……は多分死んだら光らないよね?あと青色だった気がするし。
「そこのお姉ちゃん! 『黄金大魔魷』の姿焼きだ! 運が良いぜ、北の深海から流れ着くめったにお目にかかれねぇ珍味なんだから!初めてのアライバーのお客さんだから60ヴルのところをおまけして40ヴルにしてやるぜ!」
どうやら、ただのイカじゃなくてクラーケンだったようだ。
言語の翻訳はモデレーターさんが6年間、いや初ログインに成功する前から言語の解析は行っていたらしいから十数年の間されていたみたいだけど、この翻訳本当にあっているんでしょうね。
だってクラーケンが60ヴルなわけないでしょ。
地球では架空の生物として存在するクラーケンですけども、円換算で600円。
いや、でも実際こうして売っているのだからこの世界ではこれが普通なのだろう。珍味とか言ってた気もするけど。
でも、せっかくおまけしてくれるのだから買っておいて損はないだろう。
「買います」
革袋から40ヴルを取り出して渡すと、露店主のおじさんは日焼けした顔でニカッと笑い、硬貨を懐にしまい込んだ。
手渡された金属串を見つめ直す。香ばしい醤油風のタレと焦げた磯の香りが立ち上っているというのに、小ぶりなクラーケンの胴体はまるで黄金のLEDライトみたいにピカピカと発光を続けている。
「あの……これ、食べた後にお腹の中で光ったり暴れたりしませんよね?」
「ハハッ!地球にはこういうのはないんだな!安心しな、魔力でちょっと発光しているだけだ!」
魔力でちょっと発光……不安でしかない。
でもさすがに毒で死亡とかはさすがになさそうだ。
「いただきます」
覚悟を決めて、黄金色に輝くクラーケンの足へと口を付けた。
噛みちぎった瞬間、パリッとした表面の香ばしさの後に、押し返してくるような強い弾力が歯に伝わる。
同時に口の中で弾けたのは、熱々の肉汁と濃厚な磯の旨味だった。
「んっ……ふ、美味い……!?」
それだけじゃない。
今まで体験したどのVRよりも味が鮮明だ。
いや、味だけじゃない、口の中に広がる香り、噛むたびに感じる触感。
感じることのできる五感のすべてが、この一つの味を表現しているんだ。
「ふぅ……ごちそうさまでした」
本当に……生きている異世界なんだな、ここは。
◇ ◇ ◇
賑やかなネウテルの市場の喧騒の中、黄金大魔魷の後味がなおも心地よく舌に残っていた。
そういえば、この世界の人にとって私達アライバーはどんな存在なんだろうな。
さっきの黄金大魔魷の屋台のおじさんは私が初めてのアライバーのお客さんだからとおまけしてくれた。
詳しくはわからないけど、少なくとも悪い印象を抱いているわけではなさそうだ。
こういうのは一足早くヴェーダへと入ったヴェーダ交流技術開発公社の人たちがこの世界でどういう行動をしたかによって私たちの印象も変わるだろうし、何か問題を起こしたというわけではなさそうだ。
……この革袋に関してはどうなんだろうな。
価値が100分の1になったらしいが、容量の拡張と重量の軽減と、結構便利な性能しているのだし、この世界の人たちにとってはこれだけ安くなって助かっているのかもしれない。
そう思いながら革袋の中身を覗く、一枚一枚数えることはさすがに厳しいが、いまだあのイカ焼きしか買っていないため、今は9960ヴルが入っているはずである。
当分はこれ以上円を両替してヴルを得ることはできないため、この世界で稼ぐ方法を見つけたいところだ。
でも、それはもうすでに決まっている。
異世界に来たのならやはり……
「冒険者だよね……」
この世界には魔物と呼ばれる生物がいる。
普通の生物との違いは、魔力を扱うことだ。それなら人間も魔物に含まれるのでは?とかいう疑問は置いといて。まあ、含まれないというのが答えなんだけどね。
その魔物を倒すのが冒険者という仕事だ。
魔物を倒し、素材や討伐証明を持ち帰って報酬を得る。これぞ異世界ファンタジーにおける冒険者の王道にして基本だ。
冒険者と言えばたいていは冒険者ギルドに所属するような場合が多いけれど、この世界では必ずしも所属する必要があるというわけではないみたいだ。
なんでも、冒険者に限らず、そういう組織に所属するには、資格か十分な実績が必要であり、資格を得るために検定を受けるには金が必要なのでフリーランスで働く、もしくは十分な実績を得るためにはフリーランスで働く。
つまり、結局最初はフリーランスで働く必要があるというわけだ。
冒険者の場合、まだ無名の私がフリーランスで依頼を受けることは難しいので、魔物を狩って、それで手に入れた素材を売るというところから始まるだろう。
となると、まず準備しなければいけないのは何と言っても身を守り、魔物を倒すための武器だ。
地球で武器に触れたことはないとはいえ、VR型MMORPGで何度も武器には触れている。
ヴェーダも現実とは言え、VRみたいなもんなので、そこで培った技術は使えなくもないだろう。
「とりあえず武器屋でも探そうかな」
石畳の路地をしばらく歩くと、重厚な鉄の叩きつける音と、焦げた砥石の匂いが漂う一角に行き当たった。
掲げられた看板には、剣と槌が交差したシンプルなマーク。
無骨な木造のドアを押し開けると、店内には無数の武具が所狭しと並べられていた。長剣、短剣、槍、弓、中には見慣れない形状の斧まで揃っている。
「いらっしゃい。……おや、あんたが噂の『アライバー』かい?」
奥の作業場から顔を出したのは、腕に太い筋肉を蓄えた頑固そうな店主のおじさんだった。
珍しいものを見るような、目で私を見つめている。
異世界の鍛冶師と言えば、ドワーフが思い浮かぶし、この世界にもドワーフはいるようだが、このおじさんはどうなのだろうか。
写真で見たことはあるけど、正直違いがよくわからないんだよね。
「はい、ツムギといいます。魔物を狩るために武器を探しに来ました」
「そうかい。ツムギちゃんね。アライバーのお客はあんたが最初だ。武器なら一通り揃ってるが……何が欲しいんだ?」
また最初のアライバーの客か……もしかしてみんな迷子なのかな。
私は初期地となった都市のマップは頭に入れておいたから大丈夫だけど。
そんなことを考えつつ、店に並ぶ武器を眺める。
真っ先に目に飛び込んできたのは、美しい木目が浮き出た長弓だった。
私にとって一番思い入れのある武器種は弓だ。
もちろん弓道部に入っていたとか言うわけではない、そもそも地球で武器を触ったことはないのだから。
二年前に惜しまれつつサービス終了したMMORPG——『アーティファクト・オンライン』、通称『AFO』。
私が最も遊んだゲームだと言っても過言ではない。
AFOには、作品を代表するものとして、アーティファクトが存在する。
アーティファクトとは、特定の武器のことを指し、単純に性能が強力な物から、特異な能力を持っている物まで、多種多様なアーティファクトが存在し、同一アーティファクトは存在しないとまで言われるほどだった。
実際私も、名称が同じアーティファクトを見たことはないので、おそらくそれは正しいのだと思う。
そして、私が弓に思い入れがある理由、それは一番最初に手にしたアーティファクトが弓種だからだ。
まあ、私とその弓との運命的な出会いや、命を救われたエピソードなどは置いておくとして。
「これって試し撃ちできますか?」
「試し撃ち? ああ、裏手に簡単な的当て場がある。持って行ってみな」
店主のおじさんはそう言うと、壁にかけられていた長弓と、矢が十本ほど詰まった革製の矢筒をカウンター越しに渡してくれた。
ずっしりとした木の重みが手に伝わる。
店の裏手に出ると、木箱や藁束が積まれたこじんまりとした射撃場があった。三十メートルほど先に、使い古された円形の的が設置されている。
私は矢筒から一本矢を取り出して弓を構える。
AFOとは、また違う重みが感じられた。多分こっちのほうがリアルに近いのだろうな。
そして、矢を放つ。
放たれた矢は、的の中心から数センチ低い場所へと突き刺さった。
(ちょっとずれちゃったか……次は真ん中を……)
そう思い、また弓を構えた時だった。
(あれ?出てこない……って、そりゃそうか)
AFOでは、弓を構えるとインベントリ内の矢が自動で装填されるというシステムがあった。
ここはAFOではないのに、つい癖でやってしまったようだ。
矢筒から一本ずつ手作業で引き抜く動作も、筈を弦の細い溝に噛み合わせる手間すら存在しなかったのだ。
そう思い返しつつ、矢を番え、放つ。
それは見事に的の中心を射抜いた。
(でもやっぱり遅いよなー)
正直、AFOに慣れきってしまっているため、咄嗟に弓を構えるとなると、今のようになってしまう気がする。
それだけじゃなく、実際の矢を番える手順は知っているものの、そこまで早くできるわけではない。
今だって結構ぐだついていたはずだ。
この世界で弓を使うのは厳し……いや、待てよ。
そういえばAFOでは魔法の矢が存在していたではないか。
インベントリ内にある矢を消費せずとも、MPを消費し、矢を生成、装填する。
それが魔法の矢と呼ばれるものだ。
私は物理型に育成していたから、魔法の矢を使うよりも、強い素材を使った矢のほうが威力が高かったからAFOではあまり使っていなかったんだけど、この世界ではどうだろう。
ゲームじゃないのだから育成に上限なんてないはずだ。
もしも魔法で矢を生み出すことができれば、矢の生成と同時に、自動で装填することもできるのではないだろうか。
まあ、今の私は魔法なんて使えない、いつかは使えるようになりたいと思っているけど、これができるようになるのは当分先のことになりそうだ。
(いつか魔法で自動装填を再現できるようになるまでは……物理的な近接武器で生き残るのが先決だね)
◇ ◇ ◇
「矢は買わなくていいのか?」
「はい、大丈夫です」
とりあえず、店に置いてあった剣をいくつか試し振りした。
AFOでのメイン武器は弓だったけど、近接に持ち込まれた時には短剣を使っていたし、たまに長剣を使うこともあった。
そういうわけで、もしも魔法を使えるようになったときのために弓、それと短剣と長剣を一本ずつ買うことにした。
お値段は弓が2000ヴル、短剣が2200ヴル、長剣が3600ヴルの計7800ヴル。ちなみに鞘もセットで付いている。
さすがに買い過ぎたか?
でも、1ヴルが10円だとして考えると、そこまで高くない、むしろ安すぎる気がする。
これは、地球ではこういう武器を作る職人の数が少ないこと、そして、この世界ではこういった武器の需要が高く、多く生産されていることが理由かな。
そう考えつつ、革袋から7800ヴルを取り出す。
これで残り2160ヴル、日本円にして2万1600円。
……フリーの冒険者って稼げるのかな。ちょっと不安になってきた。
ログアウトすれば、ヴェーダからは消えるので、宿代はいらないとはいえ、少し心もとないような気もする。
最悪の場合、また両替ができるようになるまでヴェーダに入らないようにすれば、なんとかはなるか。
「そういえば、神殿にはいかなくていいのか?」
「え?」
「アライバーは3時発の馬車に乗って神殿に行くと聞いたんだが……」
「あ!」
しまった。
そういえばそうだった。
アライバーは身分証を持っていない。
どうやらこの世界の身分証は神殿に行かないと貰うことができないらしいのだ。
なんでも神の名のもとになんたらこうたら。
日本時間の19時に始まった一般公開だが、ヴェーダ内の中立国家イニテラリスでは12時だ。
そして、初日ログイン組はイニテラリスでの15時に各初期都市から馬車が出発して、神殿に向かうことになっているのだ。
それなら最初から神殿にスポーンさせてくれと思うかもしれないが、神殿はあんまり広くないらしい。
そして、それぞれの都市から神殿までの距離が違うから、同時に出発しても到着する時間はずれるから大丈夫と。
「しまった! 時計……時計はない! 今って何時ですか!?」
「おいおい、落ち着きな。今は……14時40分ってところだな」
「14時40分……!? あと20分しかないじゃん!」
私が叫ぶと、店主のおじさんは太い腕を組みながら苦笑いを浮かべた。
「乗合馬車の発着場は西門のすぐそばだ。ここから普通に歩けば15分はかかる。その装備を抱えてモタモタ走ってたら間に合わんぞ」
「うわぁあ、ありがとうございます! おじさん、これお代です!」
革袋から取り出した7,800ヴルをテーブルの上に一気に並べる。
おじさんは手際よく硬貨を数えて懐に収めると、カウンターの下から太めの革ベルトとストラップを取り出した。
「ほら、持っていきな! 長剣と短剣は帯に差して、弓は背中に斜め掛けだ! 馬車に置き忘れるんじゃねぇぞ、ツムギちゃん!」
「本当助かります! 行ってきます!」
おじさんに手伝ってもらいながら、急いで長剣と短剣を左腰の鞘へ収め、矢のない長弓を背中に斜め掛けする。
ずっしりとした金属と木の重みが全身にのしかかり、腰回りが一気に賑やかになった。歩くたびにカチャカチャと鞘同士がぶつかる音が響く。
それはここがゲームであり、インベントリなどが存在する世界ならば、あり得ない現象だ。
(西門まで普通に歩いて15分……なら、走れば5分で着くはず!)
記憶に叩き込んだ都市のマップから、西門までのルートをはじき出す。
最短ルートではないかもしれないけど、考えている暇はない。
(クソ重い……)
走るたびに揺れる長剣。
そして、インベントリがないゆえに感じる重み。
(いったいどうしたら……あ!!)
私は、近くに、とある一つの店を見つけた。
「すみません!これください!」
私は、その店にあった革袋を持ち、カウンターへと渡した。
それは、公社支部で貰ったものと同じ革袋だ。
ただ、こちらの方が一回り大きい。
公社支部で貰ったものは小さすぎて、さすがに剣や弓なんて入れれそうになかったが、これならおそらく入れることができそうだ。
「おいおい、いきなり飛び込んできたと思ったら……そいつかい?」
店主のおばあさんが目を丸くして手元の大きな革袋を見つめる。
「はい! 大至急お願いします!」
「まいどあり。お値段は60ヴルだよ」
「はい!」
革袋から速攻で60ヴルを取り出してカウンターに叩きつけるように手渡す。
しかし、やはりというか、クソ安い。
受け取ったばかりの大きな革袋の口をぐっと広げると、左腰から抜き取った長剣と短剣をそのまま鞘ごと、そして背中の長弓までまとめて力任せに押し込んだ。
無理やり押し込んだつもりだが、革袋の容量にはまだまだ余裕がありそうだ。
「ありがとうございました!」
おばあさんに元気よく手を振り、私は勢いよく店の扉を蹴るようにして路地へと躍り出た。
革袋の購入に少し時間をかけてしまったが、重さを気にする必要がなくなった。
おそらくまだ15時には間に合うはずだ。
少しでも、ほんの一瞬でも面白いと思ったなら↓の★★★★★やブックマークをしてくださると大変励みになりますのでよろしくお願いいたします。




