私の祈願
朝。
いろはは境内を掃いていた。
いつもの時間。
「おはようございます」
「…………」
聞き慣れた声に、いろはは顔を上げる。
「おはようございます……。」
佐伯さん。
けれど、今日はいつもと少し違う。
スーツ姿だった。
「…………」
いろはは箒を持ったまま、湊を見る。
「いよいよ、ですね」
「はい」
湊は小さく笑った。
「今日は、さすがにちょっと緊張してます」
「…………」
いつもより。
少しだけ、表情が硬い。
「佐伯さん」
「はい?」
「こちらを」
いろはは湊に、小さなお守りを差し出した。
「……お守り?」
「はい」
湊は少し驚いたように、それを見る。
「うまくいきますように」
「…………」
湊はお守りを受け取った。
「ありがとうございます」
「いえ」
湊は受け取ったお守りを、大事そうに胸ポケットへしまった。
「では、行ってきます」
「はい」
数歩進んだ湊の背中に、いろはは声をかける。
「佐伯さん」
「?」
湊が振り返る。
「…………」
「良いご縁がありますように」
「…………」
いつもと同じ言葉。
けれど今日は。
いつもより、ずっと強く願った。
「ありがとうございます」
湊は笑った。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
いろはは、遠ざかっていく湊の背中を見送った。
「…………」
やがて、その姿が見えなくなる。
いろはは手元の箒へ視線を落とした。
「…………」
緊張していると、言っていた。
少しだけ。
いつもの仕事へ戻ろうとする。
けれど。
「…………」
いろはは拝殿へ視線を向けた。
そして、ゆっくりと歩き出す。
拝殿の前に立つ。
「…………」
静かに手を合わせた。
佐伯さんが。
今日の面接で、力を出し切れますように。
「…………」
それは。
誰かに頼まれたわけでもない。
巫女としてでもない。
ただ。
私は、そう願った……。
◇
面接会場。
「…………」
湊は椅子に座り、自分の番を待っていた。
さっきまでより。
少しだけ、緊張している。
「…………」
無意識に、胸元へ手をやる。
胸ポケット。
そこには、今朝もらったお守り。
「…………」
――うまくいきますように。
水瀬さんの言葉を思い出す。
そして。
――良いご縁がありますように。
「…………」
胸ポケットの上から、そっとお守りに触れた。
不思議と。
少しだけ、緊張がほどけた。
「佐伯湊さん」
「はい」
名前を呼ばれ、立ち上がる。
「…………」
大丈夫。
初めて、そう思えた。
面接室の扉へ向かった。
◇
「それでは最後に、佐伯さん」
「はい」
「入社後、どのような仕事をしていきたいと考えていますか?」
「…………」
少しだけ、考える。
これまで。
何度も準備してきた質問。
用意してきた答えはある。
だけど……。
「私は――」
自分の言葉で、答えた。
◇
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
面接室を出る。
「…………」
扉が閉まる。
「はぁ……」
ようやく、息を吐いた。
うまくできたかは分からない。
だけど……。
思いは言えた。
「…………」
胸元へ手をやる。
お守り。
「……ありがとう」
小さく呟いた。
◇
大学。
講義を終えたいろはは、教室を出た。
「…………」
ふと、時計を見る。
「…………」
もう。
終わった頃でしょうか。
ちゃんと、話せたでしょうか。
「…………」
朝よりは。
緊張していなければいいけれど。
いろはは鞄からスマートフォンを取り出した。
「…………」
聞いてみたい。
どうだったのか。
「…………」
画面を見つめる。
そして。
「……あ」
連絡先。
知らない……。私。
「…………」
明日になれば。
きっと、会える。
「…………」
明日……。
◇
夜。
自宅に戻った湊は、スーツの上着を脱いだ。
「…………」
胸ポケットに手を入れる。
取り出したのは。
お守り。
「…………」
手のひらに乗せ、しばらく見つめる。
面接は、終わった。
「…………」
机の上に置こうとして。
手が止まる。
視線の先には、ランニングウェア。
「…………」
明日も。
いつもの時間に。
「…………」
湊は、お守りをもう一度胸ポケットへ戻した。
◇
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
誰かを想って祈ることなんて。
妄想なら、いくらでも。
けれど現実の私は……。
今日、初めて。
あの人のために祈った。




