年の瀬、ふたり
十二月三十一日。
今年も、残すところあと一日。
「……よしっ!」
私は、鏡の前で巫女装束の襟元を整えた。
白衣に、緋袴。
いつもと変わらない格好。
けれど、今日は少しだけ気持ちが違う。
なぜなら。
……大晦日だからです!
水瀬神社にとって、一年でも指折りの忙しい日。
特に今夜から明日にかけては、年越しの参拝者の方々をお迎えすることになる。
「いろは、準備はできたか?」
廊下の向こうから、お父さんの声がした。
「はい! 今行きます!」
私は、鏡の中の自分にもう一度頷いた。
……。
…………。
ちなみに。
佐伯さんとは、クリスマス以来、何度か連絡を取り合っています。
昨日も、年末のご挨拶をいただきました。
『明日は神社、忙しいですよね。無理しないでください』
……。
ふふっ。
優しい。
本当に、佐伯さんは優しいです。
『ありがとうございます。佐伯さんも、良いお年をお迎えください』
……と、返信しました。
……。
…………。
良いお年を。
……つまり。
今年は、もうお会いできないということですよね。
……。
少しだけ、寂しいです。
「いろはー!」
「ひゃいっ!? 今行きます!」
いけません!
感傷に浸っている場合ではありません!
◇
午前中から、境内は慌ただしかった。
参道の最終確認。
授与所の準備。
お守りや破魔矢の補充。
そして、新年を迎えるための細かな仕事。
「いろは、そちらの絵馬をお願い」
「はい!」
お母さんに言われ、私は箱を抱えて授与所へ向かった。
「……よいしょっと」
毎年のことながら、年末の神社というのは本当に忙しい。
大学の友人たちは、今頃どうしているのでしょう。
家族と過ごしている人。
友達と年越しをする人。
恋人と一緒に、新年を迎える人。
……。
…………。
恋人と。
……一緒に。
……年越し。
私は、思わず手を止めた。
もしも。
もしもですよ?
佐伯さんと、二人で年越しをするとしたら。
暖かいお部屋で、こたつに入りながら。
年越しそばを食べて。
テレビを見て。
時計の針が十二時を指した瞬間に。
「いろは、あけましておめでとう」
「あなた、今年もよろしくお願いします♡」
そして。
……新年最初の、ちゅっ。
……。
…………。
「……ひゃあっ!?」
「いろは?」
「な、なんでもありません!」
危ない!
今、お守りの箱を落とすところでした!
……というか!
どうして、もう結婚しているんですか!?
しかも!
新年最初の、ちゅっ、って!
……。
…………。
……してみたいですけど。
「いろは、手が止まってるわよ」
「は、はいっ!」
お母さん。
今日も、容赦がありません。
◇
午後。
境内には、少しずつ参拝者の姿が増え始めた。
今年最後のお参りに来た方。
新しい年のお守りを求める方。
家族連れの方々。
「ありがとうございました。どうぞ、良いお年をお迎えください」
私は、何度も頭を下げた。
……。
良いお年を。
今日だけで、何回言ったでしょう。
でも。
不思議と、嫌にはなりません。
ここで生まれ育った私にとって、年末の神社は当たり前の景色。
忙しくて。
寒くて。
時には、足が棒のようになって。
それでも。
新しい年を迎える人たちの笑顔を見ると、少しだけ嬉しくなる。
……。
お父さんも、お母さんも。
ずっと、こうしてきたんですよね。
私は、授与所の奥から境内を見渡した。
……。
いつか。
私も、この神社を。
……。
…………。
その先を考えようとして。
ふと、佐伯さんの顔が浮かんだ。
……。
私は、小さく首を振った。
今は、目の前のお仕事に集中しましょう。
未来のことは。
……少しずつ、考えていけばいいんです。
◇
夕方。
いったん落ち着いた境内に、冷たい風が吹き抜けた。
「……さむっ」
私は、思わず肩をすくめた。
日が暮れると、さすがに冷え込みます。
「いろは、少し休んでおいで」
お母さんが、温かいお茶を差し出してくれた。
「ありがとうございます」
湯呑みを両手で包む。
……温かい。
そのとき。
スマートフォンが、小さく震えた。
……あ。
佐伯さんです。
『今日は何時頃までお仕事ですか?』
……。
私は、少し考えてから返信した。
『今夜は年越しなので、日付が変わってからもお手伝いです』
すぐに返事が届いた。
『やっぱり忙しいんですね』
『はい。でも毎年のことなので、大丈夫です!』
……。
少しして。
もう一通。
『寒いので、気をつけてくださいね』
……。
…………。
「……ふふっ」
本当に。
優しい人です。
『ありがとうございます。佐伯さんも、暖かくしてお過ごしください』
送信。
……。
…………。
今年も、あと数時間。
佐伯さんと出会ってから、半年と少し。
本当に、いろいろなことがありました。
……来年も。
一緒に、いられたらいいな。
◇
夜。
境内の灯りが、次々とともされた。
参道には、新年を待つ人たちが集まり始めている。
「いろは、授与所をお願いね」
「はい!」
私は、背筋を伸ばした。
ここからが、本番です。
冷たい空気の中。
人々の話し声が重なり、境内は昼間とは違う賑わいに包まれていた。
時計を見る。
午後十一時を、少し過ぎたところ。
……。
今年も、あと一時間。
私は、そっと息を吐いた。
そのとき。
「……あの」
聞き慣れた声がした。
「……え?」
顔を上げる。
参拝者の列の向こう。
黒いコートを着た、一人の男性が立っていた。
……。
…………。
「……佐伯さん!?」
「こんばんは、水瀬さん」
佐伯さんが、少し照れくさそうに笑った。
「……来ちゃいました」
……。
…………。
え。
ええっ!?
ど、どうして!?
「さ、佐伯さん!? どうしてこちらに!?」
「……初詣には、ちょっと早いんですけど」
佐伯さんは、境内を見渡した。
それから、私に向き直る。
「……水瀬さんと、一緒に年を越したくて」
……。
…………。
……え?
……。
…………。
私と。
一緒に。
……年越し?
「……ひゃいっ!?」
今年最後の夜。
私の心臓は。
どうやら、まだまだ休ませてもらえそうにありません。
◇
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
年越しまで、あと少し。
まさか。
今年最後の妄想が。
……現実になるなんて。




