あの日、結ばれていたご縁
「私、佐伯さんのことが好きです」
一瞬。
言葉が出なかった。
聞き間違いかと思った。
でも。
水瀬さんは、まっすぐ俺を見ていた。
少し緊張した表情。
それでも、目を逸らさずに。
俺の返事を待っている。
「……水瀬さん」
ようやく、名前を呼んだ。
「はい」
その声が、少しだけ震えていた。
◇
冷たい朝の風が、境内を通り抜けた。
手には、さっきもらった北海道のお土産。
いつも通り参拝をして。
水瀬さんと話をして。
また明日、と別れる。
今日も、そんな朝になると思っていた。
でも。
水瀬さんは、俺に大切なことを伝えてくれた。
自分の意思で、この神社を継ぐと決めたこと。
そして。
俺への気持ちを、もう隠したくないということ。
……すごいな。
素直に、そう思った。
◇
初めて、この神社を訪れた日のことを思い出した。
あの頃の俺は、何をしたいのかも、どこへ向かいたいのかも、わからなかった。
就職活動もうまくいかず、ただ焦っていた。
そんなとき。
この神社で、水瀬さんと出会った。
最初は、就職祈願のために訪れた場所だった。
それが、いつの間にか。
毎朝、足を運ぶ場所になっていた。
参拝をして。
水瀬さんと、少しだけ話をする。
ほんの短い時間。
それなのに。
その時間が、一日の楽しみになっていた。
◇
一緒に食事をしたこと。
バッティングセンターで笑ったこと。
誕生日に、水族館へ行ったこと。
思い返せば、いろいろな時間を一緒に過ごしてきた。
水瀬さんは、よく笑う。
時々、何かを考え込んで。
急に慌てたような顔をすることもある。
その理由は、よくわからない。
でも。
そんな姿を見るのも、好きだった。
いつからだろう。
朝、境内に水瀬さんの姿が見えないと、少し寂しく感じるようになったのは。
何か面白いことがあると、話したいと思うようになったのは。
……そうか。
俺も、ずっと前から。
水瀬さんのことが、好きだったんだ。
◇
「……ありがとうございます」
俺は、ゆっくり口を開いた。
水瀬さんが、少し驚いたように顔を上げる。
「え……?」
「気持ちを、伝えてくれて」
それだけ言うと、胸の奥が少し軽くなった。
「正直、驚きました」
「……はい」
「でも、すごく嬉しかったです」
水瀬さんの頬が、ほんのり赤くなった。
俺は、一度息を吸った。
「俺も、話していいですか?」
「……はい」
◇
「俺は、今まで自分のことばかり考えていました」
水瀬さんは、黙って聞いてくれている。
「うまくいかないことがあると、何が悪かったんだろうって考えて。なかなか前に進めなくて」
言葉にすると、少し情けない。
でも。
今は、格好をつけたくなかった。
「そんな俺にとって、ここへ来る時間は、本当に大切だったんです」
「……佐伯さん」
「水瀬さんと話すと、不思議と気持ちが落ち着いて」
朝の挨拶。
何でもない会話。
一緒に笑った時間。
「また明日も会えたらいいなって。いつの間にか、そう思うようになっていました」
水瀬さんが、そっと目を伏せた。
◇
「でも……」
俺は、少し言葉を止めた。
今まで。
自分が何を望んでいるのか、はっきり言えないことが多かった。
選んで、間違えるのが怖かった。
だから。
答えを出さずに、立ち止まってしまうこともあった。
だけど。
水瀬さんは、勇気を出してくれた。
自分の未来も。
自分の気持ちも。
誰かに決めてもらうのではなく、自分で選んで。
俺に、伝えてくれた。
だったら。
俺も、自分の気持ちから逃げたくない。
「……水瀬さん」
「はい」
俺は、彼女の目を見た。
「俺も、水瀬さんのことが好きです」
◇
水瀬さんが、目を大きく見開いた。
「……え?」
「一緒にいる時間が、好きです」
言葉を続けた。
「これからも、朝だけじゃなくて。もっと、いろいろな時間を一緒に過ごしたいと思っています」
水瀬さんは、何度か瞬きをした。
それから。
「……本当、ですか?」
小さな声で、そう尋ねた。
「はい」
俺は、頷いた。
「本当です」
水瀬さんの目に、うっすらと涙が浮かんだ。
でも。
その表情は、笑っていた。
「……よかった」
その一言が、胸に残った。
◇
しばらく、二人とも何も言わなかった。
境内には、朝の光が差し込んでいる。
いつもと同じ場所。
いつもと同じ時間。
なのに。
目の前の景色が、少し違って見えた。
「……水瀬さん」
「はい」
「これからも、よろしくお願いします」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
何だか、堅苦しい挨拶みたいだ。
でも。
水瀬さんは、嬉しそうに笑った。
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
◇
水瀬さんと別れ、参道を歩き始めた。
手には、北海道のお土産。
足元には、冬の朝の光。
俺は、少しだけ空を見上げた。
この神社を初めて訪れた日。
俺は、誰かに選んでもらうことばかり願っていた。
そして今日。
水瀬さんが、俺に想いを伝えてくれた。
正直、驚いた。
でも。
その言葉が、嬉しかった。
俺も、ずっと伝えられずにいた気持ちを、ようやく言葉にできた。
誰かに選んでもらうことを願っていた俺が。
初めて、自分の気持ちで応えられた。
これからは。
水瀬さんが勇気を出してくれたように。
俺も、自分から一歩を踏み出せる人間になりたい。
そんなことを思いながら。
俺は、いつもの参道を歩いていった。




