私が、選ぶ道
夕食を終えたあと。
私は、お父さんとお母さんに声をかけた。
「お父さん、お母さん。少し、お時間いいですか?」
「もちろん。北海道の話か?」
「はい。それもあるんですけど……」
お母さんが、温かいお茶を三人分用意してくれた。
居間のテーブルには、北海道で買ってきた二つの湯呑みが並んでいる。
「これ、本当に素敵ね」
お母さんが、湯呑みを手に取った。
「二つ並べると、模様が繋がるんです」
「ほう。よくできてるな」
お父さんも、隣の湯呑みを眺めた。
「ありがとう。大切に使うわね」
「……はい」
私は、二人の向かいに座った。
◇
「北海道は、どうだった?」
お父さんが尋ねた。
「とても、楽しかったです」
札幌の街を歩いたこと。
神社を訪ねたこと。
小樽で、おばあちゃんと過ごしたこと。
私は、旅の思い出を一つずつ話した。
お母さんは懐かしそうに頷き、お父さんは時々質問を挟んだ。
そして。
「……おばあちゃんから、お二人の昔のお話も聞きました」
二人の動きが、ぴたりと止まった。
「……母さん、何を話したの?」
お母さんが、少し困ったように笑う。
「飛行機で出会ったこととか。小樽で、もう一度会ったこととか……」
「……ああ」
お父さんが、湯呑みに視線を落とした。
「財布を落とした話も、か?」
「はい」
「……そこまで話したのか」
お母さんが、くすっと笑った。
「懐かしいわね」
「俺は、あまり思い出したくないんだが……」
「ふふっ」
私も、思わず笑ってしまった。
◇
笑い声が落ち着いたところで、私は背筋を伸ばした。
「……それで、お父さん。お母さん」
「ん?」
「今日は、もう一つお話があります」
二人が、私を見る。
「私の、これからのことです」
少しだけ、緊張した。
でも。
言葉は、不思議と自然に出てきた。
「今まで私は、水瀬神社を継ぐことが、自分の将来なんだと思っていました」
お父さんは、黙って聞いている。
「一人娘だから。いつかは私が継がなければいけないんだって」
私は、一度息を整えた。
「でも、北海道に行って、いろいろなことを考えました」
札幌で訪ねた神社。
小樽で過ごした時間。
おばあちゃんから聞いた、お父さんとお母さんの昔の話。
二人が、それぞれに選んできた人生。
そして。
私が、これから歩いていきたい道。
「……お父さん、お母さん」
私は、二人の顔を見た。
「私、水瀬神社を継ぎたいです」
少しの沈黙。
「一人娘だからでも、継がなければいけないからでもありません」
言葉を、一つずつ確かめる。
「私が、この神社を守っていきたいんです」
お父さんが、静かに目を細めた。
「……そうか」
「はい」
「自分で、決めたんだな」
「はい。私が、決めました」
◇
お父さんは、しばらく何も言わなかった。
怒っているわけでも、困っているわけでもない。
ただ、何かを確かめるように、私を見ていた。
やがて、ゆっくり口を開いた。
「……いろは」
「はい」
「俺はな、お前に神社を継いでほしいと思ったことがないわけじゃない」
「……はい」
「この神社で生まれて育ったお前が、いつかここを守ってくれたら。そう考えたことは、何度もある」
お父さんは、湯呑みに視線を落とした。
「でも、それをお前の人生に押しつけたくはなかった」
「……お父さん」
「俺自身、迷ったからな」
おばあちゃんから聞いた話。
若い頃のお父さんが、神社を継ぐかどうか悩んでいたこと。
「だからこそ、お前には自分で選んでほしかった」
お父さんは、少しだけ笑った。
「……ありがとう、いろは」
その一言に、胸が熱くなった。
「こちらこそ……ありがとうございます」
◇
「私も、嬉しいわ」
お母さんが、そっと口を開いた。
「いろはが自分の気持ちで決めてくれたことが、一番嬉しい」
「……お母さん」
「でもね」
お母さんは、私を見つめた。
「これから、いろいろなことを勉強しなくちゃいけないわね」
「はい」
「神社のことも、世の中のことも。まだまだ知らないことが、たくさんあるでしょう?」
「……はい」
北海道で歩いた、知らない街。
初めて会った人たち。
自分が知らない世界は、思っていたよりずっと広かった。
「だから、これからもっと学びたいです」
私は、二人の顔を見た。
「水瀬神社を継ぐために、必要なことを」
お父さんが、静かに頷いた。
「そうだな。少しずつ、教えていこう」
◇
お母さんが、湯呑みを二つ並べた。
繋がった模様が、テーブルの上に浮かび上がる。
「……ねえ、あなた」
「ん?」
「私たちも、いろはに負けていられないわね」
「そうだな」
お父さんは、少し照れくさそうに笑った。
「まだまだ、教えることは山ほどあるぞ」
「ふふっ。お手柔らかにお願いします」
「それはどうかな」
「ええっ?」
三人で笑った。
いつもの居間。
いつもの食卓。
でも。
今夜は、少しだけ特別だった。
◇
部屋に戻ると、窓の外には静かな境内が広がっていた。
いつもと同じ景色。
でも。
今日は、少しだけ違って見えた。
お父さんとお母さんに、自分の気持ちを伝えられた。
そして、受け止めてもらえた。
「……よかった」
私は、そっと胸に手を当てた。
これから、学ばなければならないことはたくさんある。
簡単な道ではないと思う。
それでも。
自分で選んだ道だから。
一歩ずつ、歩いていきたい。
◇
机の上には、北海道で買ったお土産が置いてある。
佐伯さんへの、小さな箱。
私は、それを手に取った。
「……次は」
思わず、頬が熱くなった。
お父さんとお母さんには、伝えられた。
今度は。
もう一人、大切な人に。
「……佐伯さん」
小さく名前を呼んで、箱をそっと机に戻した。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
自分で選んだ、未来への道。
その一歩を、踏み出せた。
そして、もう一つ。
大切な想いを、伝えるために。




