帰り道の、空
朝。
カーテンを開けると、札幌の街に柔らかな光が差し込んでいた。
昨日まで降っていた雪は止み、遠くの空には青色が覗いている。
「……晴れた」
今日は、仙台へ帰る日。
ベッドの上に広げた荷物を、一つずつ鞄へしまっていく。
お父さんとお母さんへの湯呑み。
大学の友人たちへのお菓子。
それから、佐伯さんへのお土産。
割れないように包んだ湯呑みを、もう一度確かめた。
「……よし」
忘れ物は、ない。
◇
ホテルを出ると、冷たい空気が頬に触れた。
札幌駅へ向かう道には、昨夜の雪が残っている。
行き交う人たちの間を、ゆっくり歩いた。
北海道に来たばかりの頃は、知らない場所を一人で歩くことに緊張していた。
今も、道に迷わないか心配になることはある。
けれど。
立ち止まって、行き先を確かめればいい。
わからなければ、誰かに尋ねればいい。
そう思えるようになった。
◇
新千歳空港。
搭乗手続きを済ませ、出発までの時間を過ごす。
窓の向こうには、飛行機が並んでいた。
「…………」
初めて北海道へ向かった日のことを思い出す。
あの日は、何度も搭乗券を確かめて。
飛行機に乗る前から、胸がいっぱいだった。
今は、少し違う。
窓の外を眺めながら、温かい飲み物を口にした。
「……お世話になりました」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
◇
搭乗案内が始まった。
私は列に並び、機内へ向かった。
座席に着いて、シートベルトを締める。
窓の外には、白く覆われた滑走路が見えた。
やがて、機体がゆっくりと動き出す。
速度が上がり、身体が座席に押しつけられる。
そして。
ふわりと、地面が遠ざかった。
「……わぁ」
窓の下に広がる、雪の街。
建物も、道路も、少しずつ小さくなっていく。
やがて雲の中へ入り、景色が白く包まれた。
◇
しばらくして。
雲を抜けると、青い空が広がっていた。
私は、窓の外を見つめた。
どこまでも続く空。
その下には、今は見えない街がある。
札幌も。
小樽も。
おばあちゃんの家も。
少しずつ、遠くなっていく。
でも。
そこで過ごした時間が、なくなるわけではない。
「……また、来よう」
小さく呟いて、座席に深く腰を下ろした。
◇
お父さんと、お母さん。
二人が出会ったのも、この空の上だった。
偶然の出会いから始まって。
もう一度会いたいと思って。
少しずつ、お互いを知って。
そして、二人で未来を選んだ。
お母さんは、自分の好きだった仕事を離れて。
お父さんは、神社を継ぐ道を選んだ。
きっと、簡単なことばかりではなかったはずだ。
それでも。
今の二人は、幸せそうに笑っている。
「…………」
神社のこと。
大学を卒業してからのこと。
今までは、考えようとするたびに、どこかで立ち止まっていた。
お父さんとお母さんの期待に応えたい。
その気持ちは、今も変わらない。
でも。
それだけで、自分の未来を決めたくはない。
北海道に来て。
いろいろな場所を歩いて。
お父さんとお母さんが、それぞれの人生を選んできたことを知った。
私にも、選んでいい未来がある。
そして。
自分がどうしたいのか。
今なら、ちゃんと言葉にできる気がする。
仙台に帰ったら。
お父さんとお母さんに、話そう。
私が見つけた、自分なりの答えを。
◇
そして、佐伯さんの事……。
帰ったら、会いたい。
北海道で見た景色のこと。
おばあちゃんから聞いた話のこと。
伝えたいことが、たくさんある。
そして。
もう一つ。
ずっと胸の奥にしまっていた、大切な気持ち。
「……佐伯さん」
小さく名前を呟いた。
少しだけ、頬が熱くなる。
でも。
もう、自分の気持ちを誤魔化すつもりはない。
窓の外には、青い空が広がっていた。
帰ったら。
お父さんとお母さんに、自分の未来について話そう。
そして、佐伯さんにも。
私が選んだ答えを。
ちゃんと、自分の言葉で。
◇
雲の切れ間から、地上の景色が見え始めた。
やがて、機内に着陸を知らせる案内が流れた。
もうすぐ、仙台だ。
私は、窓の外に目を向けた。
行きと同じ空のはずなのに。
今は、少し違って見えた。
◇
仙台空港に着いたのは、午後だった。
飛行機を降りると、北海道とは違う空気を感じた。
「……帰ってきた」
見慣れた案内表示。
聞き慣れた言葉。
荷物を受け取り、到着ロビーへ向かう。
スマートフォンを取り出して、お母さんに連絡を入れた。
『無事に着きました。これから帰ります』
送信すると、ほどなく返事が届いた。
『おかえり。気をつけてね』
その短い言葉に、自然と笑みがこぼれた。
◇
仙台へ向かう電車の窓から、冬の景色を眺めた。
北海道へ出発したときと、同じ道。
けれど、今は少し違って見える。
一人で飛行機に乗って。
知らない街を歩いて。
初めて会う人の話を聞いて。
おばあちゃんから、お父さんとお母さんの昔のことを教えてもらった。
自分で行き先を決めて。
自分の足で歩いて。
そして、帰ってきた。
そのことが、少し誇らしかった。
◇
家の近くまで来ると、見慣れた鳥居が目に入った。
水瀬神社。
「……ただいま」
境内には、いつもの静かな空気が流れていた。
石畳を歩きながら、社殿を見上げる。
ここで生まれて。
ここで育って。
ずっと、当たり前のように過ごしてきた。
この場所が大切だという気持ちは、今も変わらない。
でも。
大切だからこそ。
これからのことを、自分の言葉で伝えたい。
◇
玄関の戸を開ける。
「ただいま帰りました!」
奥から、足音が聞こえた。
「おかえり、いろは!」
お母さんが、笑顔で迎えてくれた。
「寒かったでしょう。まずは中に入りなさい」
「はい!」
少し遅れて、お父さんも顔を出した。
「おかえり。どうだった、北海道は」
「……はい」
私は、二人の顔を見た。
話したいことが、たくさんある。
見てきた景色のこと。
出会った人たちのこと。
そして。
これからの、自分のこと。
「お父さん、お母さん」
「ん?」
「あとで、少しお話ししたいことがあります」
二人は顔を見合わせた。
お母さんが、穏やかに頷く。
「もちろん。まずは荷物を置いておいで」
「はい」
私は、鞄を持ち直した。
◇
自分の部屋に戻ると、見慣れた景色が迎えてくれた。
机も。
本棚も。
窓から見える境内も。
出発した日と、何も変わっていない。
私は、鞄をそっと床に置いた。
変わったのは、きっと。
私の方なんだ。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
旅先で見つけた、自分の答え。
その答えをこの場所で。
ちゃんと、伝えたい。




