残る、声
二十数年前。
北海道。
新千歳空港。
多くの人が行き交うロビー。
その片隅。
一人の青年が、ベンチに腰を下ろしていた。
「…………」
うなだれたまま、動かない。
彼の名前は、水瀬宗一郎。
後に、水瀬神社の宮司となる男。
「……飛行機って、あんなに揺れるのか」
初めての飛行機。
どうやら、相当こたえたらしい。
「……帰りも乗るんだよな」
深いため息が漏れた。
◇
数時間前。
仙台空港。
宗一郎は、搭乗口の前に立っていた。
「…………」
手には、一枚の航空券。
行き先は、北海道。
人生で初めての、飛行機だった。
「……まあ、大丈夫だろう」
周囲の人々は、慣れた様子で搭乗口へと進んでいく。
宗一郎も、その後に続いた。
機内へ入ると。
制服姿の女性が、笑顔で迎えた。
「こんにちは」
「……どうも」
軽く頭を下げ、座席を探す。
窓側の席。
荷物を棚に収め、腰を下ろした。
「…………」
窓の外には、大きな翼。
その向こうには、空港の建物が見える。
宗一郎は、シートベルトを締めた。
「……よし」
何が「よし」なのか。
自分でも、よくわからない。
◇
やがて。
飛行機が動き始めた。
ゆっくりと滑走路へ向かう。
「…………」
宗一郎は、窓の外を見つめた。
そして。
機体が停止する。
一瞬の静寂。
次の瞬間。
ゴオオオオッ!
「……っ!?」
背中が、座席に押しつけられる。
想像以上の加速。
「お、おい……」
思わず、肘掛けを握った。
機体が浮き上がる。
地面が、みるみる遠ざかっていく。
「…………」
宗一郎は、口を閉じた。
いや。
閉じるしかなかった。
◇
しばらくして。
飛行機は、雲の上へと出た。
窓の外には、青い空。
白い雲。
初めて見る景色だった。
「……すごいな」
思わず、呟く。
しかし。
その感動は、長く続かなかった。
ガタン。
「……ん?」
機体が、小さく揺れた。
続いて。
ガタガタッ。
「…………」
宗一郎は、肘掛けを握り直した。
再び、揺れる。
「……大丈夫なのか、これ」
周囲を見渡す。
誰も、騒いでいない。
隣の席の男性など、目を閉じて眠っている。
「…………」
自分だけが。
おかしいのだろうか。
そう考えたとき。
「お客様、大丈夫ですか?」
不意に、声をかけられた。
顔を上げると、一人の客室乗務員が立っていた。
「少し、お顔の色が優れないようでしたので」
「……ああ、大丈夫です」
「そうですか?」
優しく、落ち着いた声。
不思議と、耳に心地よかった。
「飛行機は、初めてですか?」
「……はい」
「少し揺れていますが、心配ありませんよ」
「……そうなんですか」
その声を聞いていると。
張り詰めていた気持ちが、すっと落ち着いていくようだった。
「お飲み物はいかがですか?」
「……水を、お願いします」
「かしこまりました」
女性は、軽く頭を下げた。
そして、通路の奥へと歩いていった。
宗一郎は、その背中を見送った。
「…………」
まだ、飛行機は怖い。
それでも。
先ほどまでの緊張は、少し和らいでいた。
◇
しばらくして。
女性が、水を持って戻ってきた。
「お待たせしました」
「……ありがとうございます」
宗一郎は、紙コップを受け取った。
一口飲む。
冷たい水が、喉を通っていく。
「少しは、落ち着かれましたか?」
「……はい。おかげさまで」
「それは、よかったです」
女性は、にっこりと笑った。
「北海道には、ご旅行ですか?」
「……まあ、そんなところです」
「そうなんですね」
女性は、それ以上尋ねなかった。
「北海道は、いいところですよ」
「……そうですか」
「はい。美味しいものも、たくさんありますし」
宗一郎は、少しだけ笑った。
「楽しみにしておきます」
「ぜひ」
女性は、嬉しそうに頷いた。
「それでは、ごゆっくりお過ごしください」
「……ありがとうございます」
女性が離れていく。
宗一郎は、紙コップを手にしたまま。
小さく息を吐いた。
「……親切な人だな」
そして。
再び、窓の外へ目を向けた。
◇
やがて。
飛行機は、新千歳空港に到着した。
「……やっと着いた」
宗一郎は、深く息を吐いた。
着陸の瞬間も、なかなかのものだった。
荷物を手に取り、出口へ向かう。
「ありがとうございました」
乗客を見送る、客室乗務員たち。
その中に。
先ほどの女性がいた。
「お客様」
聞き覚えのある声に、足が止まった。
「……はい?」
振り返ると、女性が微笑んでいた。
「お顔の色、少し良くなりましたね」
「……おかげさまで」
「北海道、楽しんでくださいね」
「……ありがとうございます」
宗一郎は、軽く頭を下げた。
そして。
飛行機を降りた。
不思議なものだ。
あれほど怖かった飛行機なのに。
最後に耳に残っていたのは。
あの、心地よい声だった。
◇
新千歳空港。
「…………」
宗一郎は、ベンチから顔を上げた。
いつまでも、ここにいるわけにはいかない。
ポケットから、一枚の紙を取り出す。
そこには。
札幌市内の住所が書かれていた。
「……さて」
紙を折りたたみ、ポケットへ戻す。
そして。
大きく息を吸った。
「……行くか」
宗一郎は、荷物を手に取った。
向かう先は、札幌。
彼は、人の流れに加わり。
空港の出口へと歩き出した。




