知る、過去
祖母が持ってきたのは。
少し古びた、一冊のアルバムでした。
「……懐かしいねえ」
祖母は、表紙をそっと撫でます。
「これ、お母さんが若い頃の写真なんだよ」
「……そうなんですね」
私は、祖母の隣に座りました。
目の前に置かれたアルバム。
その表紙には。
長い年月を感じさせる、小さな傷がいくつもありました。
「じゃあ、開けるよ」
「……はい」
祖母が、ゆっくりとページをめくりました。
◇
最初に目に入ったのは。
若い頃の祖母と祖父。
そして。
まだ幼い、母の姿でした。
「……可愛い」
思わず、声が漏れます。
「ふふ。お母さんにも、こんな頃があったんだよ」
「……当たり前ですけど、不思議です」
写真の中の母は。
今の私よりも、ずっと幼くて。
無邪気な笑顔を浮かべていました。
「これは、小学校に入った頃かな」
「……お母さん、髪が短かったんですね」
「そうそう。昔は活発な子でねえ」
「……へえ」
私の知らない母。
それだけで。
何だか、不思議な気持ちになりました。
祖母は、楽しそうにページをめくっていきます。
運動会。
家族旅行。
学校の行事。
写真の中の母は。
少しずつ、大人になっていきました。
そして。
あるページで。
祖母の手が止まりました。
「……ああ、これだね」
「……?」
「お母さんが、一番張り切っていた頃の写真だよ」
私は、アルバムを覗き込みました。
そこには。
見慣れない制服を着た、一人の女性。
きちんとまとめられた髪。
首元のスカーフ。
背筋を伸ばした姿。
そして。
今と変わらない、優しい笑顔。
「…………」
私は、写真を見つめました。
もう一度。
顔を近づけます。
「……え?」
見覚えのある顔。
でも。
見たことのない姿。
「……おばあちゃん」
「何だい?」
「これ……」
私は、写真を指差しました。
「……お母さん、ですか?」
祖母は、少し驚いたように私を見ました。
「そうだよ」
「…………」
「知らなかったのかい?」
「……はい」
私は、もう一度写真を見ました。
制服。
スカーフ。
そして。
写真の背景には、大きな飛行機。
「……もしかして」
祖母は、にっこり笑いました。
「お母さんね」
そして。
何でもないことのように、言いました。
「昔、客室乗務員をしていたんだよ」
「…………」
私は、固まりました。
客室乗務員。
飛行機。
お母さん。
「……ええっ!?」
思わず、大きな声が出ました。
祖母は、楽しそうに笑います。
「そんなに驚くことかい?」
「だ、だって……!」
私は、もう一度写真を見ました。
確かに。
何度見ても。
お母さんです。
「……全然、知りませんでした」
「そうだったんだねえ」
「お母さん、そんなお仕事をしていたんですか?」
「そうだよ。ずっと憧れていた仕事だったんだ」
「……憧れ」
「小さい頃から、飛行機が好きでねえ」
祖母は、写真を見つめました。
「大きくなったら、空を飛ぶ仕事がしたいって、よく言ってたよ」
「…………」
私は、静かに耳を傾けました。
「勉強も頑張ってね。やっと夢が叶ったときは、本当に嬉しそうだった」
「……そうだったんですね」
「うん。毎日が楽しいって、よく話してくれたよ」
祖母の声は。
どこか、誇らしげでした。
私は、写真の中の母を見つめました。
今の母しか。
私は、知りません。
朝、台所に立つ姿。
神社の仕事を手伝う姿。
私の話を聞きながら、優しく笑う姿。
でも。
その前にも。
母には、母の人生があったのです。
「……お母さんにも」
私は、小さく呟きました。
「夢が、あったんですね」
祖母は、ゆっくり頷きました。
「そうだねえ」
◇
「……でも」
私は、ふと疑問に思いました。
「どうして、お仕事を辞めたんでしょう」
祖母は、私を見ました。
「お母さん、今は神社にいますよね」
「そうだね」
「ずっと憧れていたお仕事だったのに……」
言いかけて。
私は、口を閉じました。
結婚したから。
きっと。
そういうことなのでしょう。
でも。
それだけで。
ずっと憧れていた仕事を。
辞められるものなのでしょうか。
祖母は、私の顔を見つめていました。
そして。
少しだけ、懐かしそうに笑いました。
「……そうだねえ」
「…………」
「その話をするには」
祖母は、アルバムのページを。
もう一枚、めくりました。
「お父さんの話も、しなくちゃいけないね」
「……お父さん?」
私は、思わず聞き返しました。
「そう。いろはのお父さん」
祖母は、写真の中の母を見つめました。
「二人が、どうやって出会ったのか」
「…………」
お父さんと。
お母さん。
そういえば。
私は。
二人の出会いについても。
詳しく聞いたことがありません。
祖母は、少し楽しそうに微笑みました。
「ふふ。あの二人らしい、不思議なご縁だったんだよ」
「……ご縁」
その言葉に。
なぜか。
胸の奥が、小さく揺れました。
私は、祖母の隣で。
静かに背筋を伸ばしました。
「……聞かせてください」
祖母は、優しく頷きました。
「もちろんだよ」
そして。
懐かしい時間をたどるように。
ゆっくりと、話し始めました。
◇
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
知らなかった。
母の夢。
知らなかった。
母の仕事。
そして。
まだ、知らない。
父と母の、出会い。
一冊のアルバムが。
私の知らない時間へと。
扉を開こうとしていました。




