知らなかった、背中
北海道。
札幌。
初めての、一人旅。
そして。
初めての、雪道。
「……よいしょ」
私は、キャリーケースを持ち上げました。
「……よいしょっ」
重い。
想像以上に、重いです。
どうしてでしょう。
仙台では、あんなに軽快に転がっていたのに。
北海道に来た途端。
まるで。
旅を拒否しているかのようです。
「…………」
いえ。
原因は、わかっています。
雪です。
車輪が、雪に埋まるのです。
「……これが、北の大地」
恐るべし。
北海道。
私は、キャリーケースを抱えるようにして歩き始めました。
……次に来るときは。
荷物を減らしましょう。
まだ、到着したばかりですが。
早くも、一つ。
学びました。
◇
ホテルに荷物を預けた私は。
札幌の街へと繰り出しました。
「……わあ」
大きな建物。
行き交う人々。
広い道路。
そして。
街のあちこちに残る、白い雪。
仙台とは、似ているようで。
どこか違います。
私は、スマートフォンを取り出しました。
今日の予定。
まずは、札幌の街を歩くこと。
そして、午後には。
お父さんの神職の先輩に、ご挨拶。
「……よし」
私は、歩き出しました。
誰かに連れてきてもらったわけではありません。
自分で調べて。
自分で決めて。
自分で、ここまで来ました。
……もっとも。
空港では、三回ほど案内板を確認しましたし。
駅では、乗り場を間違えそうになりましたが。
それも。
きっと、旅の醍醐味です。
たぶん。
◇
「……綺麗」
私は、大通公園に立っていました。
雪の積もった木々。
冬の空。
遠くに見える、テレビ塔。
写真では、何度も見た景色。
でも。
実際に目の前にすると。
まるで、違います。
冷たい空気。
足元の雪を踏む音。
頬に触れる、冬の風。
写真には。
写らないものが、たくさんありました。
私は、スマートフォンで写真を撮りました。
一枚。
もう一枚。
「……ふふ」
なんだか。
観光客みたいです。
……いえ。
観光客でした。
私は。
自分で自分に突っ込みを入れながら。
小さく笑いました。
◇
昼食は。
札幌らしいものを食べようと決めていました。
「……味噌ラーメン」
目の前には。
湯気の立つ、大きな丼。
温かいスープ。
太めの麺。
香ばしい香り。
「……いただきます」
一口。
「…………!」
美味しい。
冷えた身体に。
温かさが、染み渡ります。
「……幸せです」
思わず、呟きました。
誰かと一緒に食べるご飯も、好きです。
でも。
一人で。
自分の食べたいものを選んで。
自分の好きな時間に食べる。
そんな楽しさも。
あるのですね。
私は、もう一口。
麺をすすりました。
……ただ。
少しだけ。
量が多い気がします。
「…………」
北海道。
恐るべし。
二度目です。
◇
午後。
私は、札幌市内にある神社を訪ねました。
お父さんから教えてもらった場所です。
境内には。
静かに雪が積もっていました。
仙台の水瀬神社とは、違う景色。
けれど。
鳥居をくぐるときの気持ちは。
不思議と、変わりません。
「……失礼します」
私は、社務所を訪ねました。
「水瀬宗一郎の娘の、いろはと申します」
少し緊張しながら、名前を告げます。
すると。
奥から、一人の男性が姿を現しました。
白髪交じりの髪。
穏やかな表情。
年齢は、父よりもずっと上でしょうか。
「おお。宗一郎くんの娘さんか」
「はい。初めまして」
私は、深く頭を下げました。
「遠いところ、よく来たね」
「いえ。こちらこそ、お時間をいただいてありがとうございます」
男性は、優しく笑いました。
「そんなにかしこまらなくていいよ。お父さんから連絡はもらっているから」
「……はい」
私は、鞄から包みを取り出しました。
「こちら、父から預かってまいりました」
「おや。わざわざありがとう」
男性は、包みを受け取りました。
「相変わらず、律儀だねえ。宗一郎くんは」
「……そうでしょうか」
「昔から、そうだったよ」
昔から。
その言葉に。
私は、少しだけ興味を引かれました。
◇
温かいお茶をいただきながら。
私は、男性と向かい合っていました。
「それにしても、よく似ているね」
「……父に、ですか?」
「うん。目元がね」
「そうでしょうか」
「宗一郎くんも、若い頃はそんな顔をしていたよ」
「…………」
若い頃の、お父さん。
想像してみます。
今より若い、お父さん。
髪が黒くて。
少しだけ、表情が柔らかくて。
そして。
やっぱり。
「……何をだ?」
と、言っている姿。
「…………」
……あまり、変わりません。
「どうかしたかい?」
「い、いえ!」
私は、慌てて首を振りました。
男性は、楽しそうに笑いました。
「宗一郎くんも、昔はよく考え込んでいたよ」
「……お父さんが?」
「そう。今では立派な宮司さんだけどね」
私は、湯飲みを置きました。
「……何を、考えていたのでしょうか」
男性は、少しだけ目を細めました。
「自分の進む道について、かな」
「…………」
その言葉に。
私は、思わず顔を上げました。
「宗一郎くんもね。家の神社を継ぐことについて、いろいろ考えていた時期があったんだ」
「……そうだったんですか」
「うん」
男性は、ゆっくりと頷きました。
「家のことだから、という気持ちもあっただろうし。自分が本当にそれでいいのか、考えることもあったんだろうね」
「…………」
私は、父の姿を思い浮かべました。
毎朝。
当たり前のように、境内を掃き。
参拝者を迎え。
神社を守っている父。
その背中を。
私は、ずっと見てきました。
迷いなんて。
ないのだと思っていました。
「……お父さんも、迷っていたんですね」
「そうだね」
男性は、微笑みました。
「でも、迷うことは悪いことじゃないよ」
「…………」
「大事なのは、そのあと自分でどうするか、だからね」
私は、静かに頷きました。
「……はい」
その言葉は。
なぜか。
胸の奥に、残りました。
◇
帰り際。
男性は、私を境内まで見送ってくださいました。
「北海道は、初めてかい?」
「小さい頃に来たことはあるんですが、ほとんど覚えていなくて」
「そうか。じゃあ、今回はいろいろ見ていくといい」
「はい」
「お父さんにも、よろしく伝えておいてね」
「はい。ありがとうございました」
私は、深く頭を下げました。
そして。
鳥居をくぐり。
雪の積もった道へと歩き出しました。
「…………」
お父さんも。
迷っていた。
その事実が。
まだ、少し不思議でした。
私にとって。
父は、ずっと父でした。
宮司で。
神社を守る人で。
そこにいることが、当たり前の人。
けれど。
父にも。
私と同じように。
自分の未来を考えていた時間があったのですね。
「……そっか」
私は、白い息を吐きました。
誰かの背中を見ているだけでは。
わからないことも、ある。
その背中が。
どんな道を歩いてきたのか。
知らないまま。
私は、ずっと。
見ていたのかもしれません。
◇
ホテルへ戻る頃には。
空が、少し暗くなり始めていました。
私は、部屋の窓から。
札幌の街を見下ろしました。
白い雪。
街の灯り。
行き交う人々。
「…………」
今日。
私は、いろいろなものを見ました。
初めての街。
初めての景色。
初めての、一人での食事。
そして。
知らなかった、お父さんの姿。
私は、机の上にノートを開きました。
今日の出来事を。
忘れないように。
一つずつ、書き留めます。
最後に。
少し迷ってから。
こんな言葉を、書きました。
『お父さんも、迷っていた』
「…………」
書き終えた文字を。
しばらく、見つめます。
私は。
まだ、自分の進む道を決められていません。
でも。
今まで知らなかったことを。
少しずつ、知っていけば。
いつか。
自分で選べる日が来るのでしょうか。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
知らなかった、景色。
知らなかった、過去。
そして。
知らなかった。
お父さんの背中。
私の旅は。
まだ、始まったばかりです。




