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引き寄せられた場所

「北海道?」


夕食の席。


私の言葉に、父が箸を止めました。


「はい」


「一人でか?」


「はい」


「……そうか」


父は、それだけ言って。


再び箸を動かしました。


…………。


え?


それだけですか?


もう少し。


こう。


驚くとか。


心配するとか。


何かあるのではないでしょうか。


「あなた」


母が父を見ます。


「もう少し聞いてあげたら?」


「……何をだ?」


「旅行のことよ」


「ああ」


父は私に向き直りました。


「いつ行くんだ?」


「冬休みの間に、三泊四日くらいで考えています」


「そうか」


「札幌と、小樽に行こうかと」


「そうか」


…………。


そうか。


便利な言葉ですね。


「お父さん、反対ではないんですか?」


「反対?」


父は不思議そうに首を傾げました。


「なぜだ?」


「いえ、その……一人なので」


「もう二十一歳だろう」


「……はい」


「自分で決めたなら、いいんじゃないか」


あまりにも、あっさり。


私は少し拍子抜けしてしまいました。


母が小さく笑います。


「お父さんらしいわね」


「ただ」


父が続けました。


「冬の北海道は、こちらとは寒さが違う。準備はしっかりしなさい」


「はい」


「移動も、天候によっては予定どおりにいかないことがある」


「はい」


「それと、宿は早めに決めておいた方がいい」


「はい!」


……あれ?


心配していないわけでは。


ないようです。


少しだけ。


嬉しくなりました。


◇


「小樽なら、おばあちゃんにも会えるわね」


母が言いました。


「はい。そのつもりです」


「きっと喜ぶわ」


「しばらく会えていませんから」


「そうねえ」


母は、どこか懐かしそうに笑いました。


「小樽も、ずいぶん変わったでしょうね」


「お母さんは、最近行っていないんですか?」


「そうね。なかなか機会がなくて」


「……そうなんですね」


私は、旅行用に買った小さなノートを開きました。


札幌。


小樽。


行ってみたい場所。


食べてみたいもの。


調べたことが、少しずつ増えています。


「もう、こんなに調べたの?」


母が覗き込みます。


「はい。まだ決まっていないことも多いんですけど……」


「楽しそうね」


「……はい」


そう言ってから。


自分でも、少し驚きました。


楽しみ。


そう。


私は今。


自分で考えて。


自分で決めることを。


楽しんでいるのです。


◇


「……そういえば」


父が、ふと思い出したように顔を上げました。


「札幌には、昔お世話になった方がいるな」


「お知り合いですか?」


「ああ。神職の先輩だ」


「神職の……」


「若い頃、いろいろと相談に乗っていただいた」


父が昔の話をするのは、珍しいことです。


私は思わず身を乗り出しました。


「お父さんも、北海道に行ったことがあるんですか?」


「ああ」


「旅行で?」


「いや。用事があってな」


「そうなんですね」


父は、少し考えてから続けました。


「もし時間があれば、顔を出してくれないか」


「私が、ですか?」


「無理にとは言わん。せっかくの旅行だからな」


私は、ノートに書かれた予定を見ました。


まだ。


何も決まっていない。


だからこそ。


行きたい場所を、これから決められる。


「……はい」


顔を上げます。


「せっかくですから、ご挨拶してきます」


「そうか」


父は、いつものように頷きました。


「では、手土産を用意しておこう」


「ありがとうございます」


「渡すのを忘れるなよ」


「忘れません!」


「そうか」


「……お父さん」


「ん?」


「私、もう二十一歳です」


「知っている」


「でしたら、もう少し信用してください!」


母が吹き出しました。


「ふふっ。いろは、昔から忘れ物が多かったものね」


「お母さんまで!」


「遠足の日に、お弁当を忘れたこともあったわね」


「そ、それは小学生の頃です!」


「水筒もあったな」


「お父さん!」


どうして。


こういうことだけ。


お二人とも、よく覚えているのでしょう。


◇


部屋に戻った私は、旅行のノートを開きました。


札幌。


小樽。


行ってみたい場所。


食べてみたいもの。


そして。


父がお世話になったという、神職の先輩。


私は、札幌のページに新しい予定を書き加えました。


『お父さんの先輩に、ご挨拶』


「…………」


少しずつ。


予定が埋まっていきます。


まだ、知らない場所。


まだ、会ったことのない人。


考えるだけで。


胸が弾みました。


……そういえば。


佐伯さんにも。


お話ししなければ。


私はスマートフォンを手に取りました。


『佐伯さん。以前お話しした一人旅ですが、北海道に行くことにしました』


文章を確認します。


……うん。


問題ありません。


送信。


すると。


しばらくして、返信が届きました。


『北海道ですか! いいですね。札幌とかですか?』


『はい。札幌と小樽を考えています』


『小樽もいいですね。冬は寒そうですけど、楽しそうです』


私は、思わず笑顔になりました。


『はい。今から楽しみです』


『旅行、気をつけて行ってきてくださいね』


「…………」


その言葉を見つめます。


そして。


私は、机の上に置いた手袋に目を向けました。


佐伯さんが、私のために選んでくださったもの。


この手袋をつけて。


知らない街を歩く。


……きっと。


素敵な旅になると思います。


『ありがとうございます。帰ってきたら、お話し聞いてくださいね』


送信。


……あ。


お話し、聞いてくださいね。


それって。


帰ってきたら。


また、お会いしたいという意味では?


「…………!」


い、いえ!


そういうつもりでは!


いえ、そういうつもりもありますけれど!


……ありますね。


大いに。


あります。


スマートフォンが震えました。


『もちろんです。楽しみにしてます』


「…………」


もちろん。


楽しみにしてます。


……佐伯さん。


そんなに簡単に。


私の次の楽しみまで。


作らないでください。


恋愛経験ゼロ。


妄想の中では恋愛無双。


初めての、一人旅。


不安しかないけど。


なぜだろう。


行くべき場所。


そんな気がした。

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