辿る、記憶
十二月。
朝の空気は、日に日に冷たくなっていました。
「……ふふ」
私は、境内を掃きながら。
自分の手元を見つめます。
淡いピンクベージュの手袋。
小さなリボンのついた、可愛らしい手袋です。
先日。
佐伯さんからいただいた、誕生日プレゼント。
「……ふふふ」
いけません。
つい、顔が緩んでしまいます。
「いろは」
「ひゃいっ!」
振り返ると。
母が立っていました。
「ずいぶん楽しそうね」
「そ、そんなことありません!」
「そう?」
母は、私の手元に目を向けます。
「あら。その手袋、さっそく使ってるのね」
「は、はい」
「よかったわね」
「…………」
どうしてでしょう。
母の笑顔が。
すべてを見透かしているように思えます。
「大切にしなさいね」
「……はい」
私は、小さく頷きました。
もちろんです。
大切にしますとも。
……ただ。
できれば。
もう少し、眺めていたい気もしますが。
佐伯さんに。
使ってくださいと言われましたので。
ちゃんと、使っています。
◇
大学の昼休み。
「で?」
向かいに座る小宮さんが。
身を乗り出してきました。
「誕生日、どうだったの?」
「……え?」
「え? じゃないでしょ。佐伯くんと出かけたんでしょ?」
「は、はい」
「どこ行ったの?」
「水族館に行って、それからお昼を食べて……」
「うんうん」
「お買い物をして、最後に景色の綺麗な場所へ……」
「へえ」
小宮さんが、にやりと笑います。
「それで?」
「……それで?」
「何か進展は?」
「し、進展!?」
進展。
進展とは。
つまり。
交際。
婚約。
結婚。
「…………っ!」
いけません。
一気に進みすぎました。
「いろは?」
「な、何でもありません!」
「また変なこと考えてたでしょ」
「か、考えてません!」
小宮さんは、楽しそうに笑いました。
「でも、よかったじゃん。誕生日に二人でお出かけなんて」
「……はい」
思い返すだけで。
胸が、温かくなります。
「あ、それ」
小宮さんが、私の手元を指差しました。
「手袋、可愛いね」
「……!」
「もしかして、プレゼント?」
「は、はい」
「佐伯くんから?」
私は、小さく頷きました。
「へえー!」
小宮さんは、手袋をじっと見つめます。
「あ、このブランド!」
「ご存じですか?」
「知ってるよ。いろは、好きそうだもんね」
「……はい」
「佐伯くん、なかなかやるじゃん」
「そ、そうでしょうか」
「そうだよ。ちゃんと使ってるのもいいね」
「…………」
実は。
飾っておこうかと。
少しだけ、思いました。
……少しだけです。
「まさか、飾ろうとか思ってなかったよね?」
「…………」
「思ってたんだ」
なぜ。
わかるのでしょう。
◇
「そういえば、いろは」
食事を終えた頃。
小宮さんが、思い出したように言いました。
「冬休み、どうするの?」
「冬休み、ですか?」
「うん。何か予定ある?」
「実は……」
私は、少し迷ってから。
口を開きました。
「旅行に行こうかと、考えているんです」
「えっ、旅行?」
「はい」
「佐伯くんと?」
「ち、違います!」
思わず、大きな声が出てしまいました。
周囲の視線が、こちらに向きます。
「…………」
私は、慌てて声を落としました。
「……一人です」
「一人?」
「はい」
小宮さんは、少し驚いた顔をしました。
「へえ。いろはが一人旅かあ」
「……変でしょうか」
「全然! いいと思う!」
その言葉に。
少しだけ、安心します。
「でも、珍しいね。どうしたの?」
「……少し」
私は、手元のノートに目を落としました。
「自分の知らない場所を、見てみたくなったんです」
小宮さんは。
何も言わずに、続きを待ってくれました。
「今まで、あまり遠くへ出かけることもありませんでしたし」
「そっか」
「それに……」
私は、ノートを開きます。
そこには。
いくつかの地名が並んでいました。
京都。
金沢。
長野。
北海道。
「まだ、どこに行くか決めていなくて」
「結構調べてるじゃん!」
「……はい」
「いいねえ。どこも楽しそう」
小宮さんは、ノートを覗き込みました。
「でも、冬なら北海道もよくない?」
「北海道……」
「雪景色も綺麗だろうし、美味しいものも多いし。札幌とか小樽とか」
「……小樽」
その名前を聞いた瞬間。
ふと。
懐かしい景色が、頭に浮かびました。
白く染まった街。
大きな雪だるま。
そして。
私の手を引いて歩く、誰かの姿。
「…………」
あれは。
いつのことだったでしょう。
「いろは?」
「あ、はい」
「どうしたの?」
「いえ……少し、昔のことを」
私は、ノートに書かれた北海道の文字を見つめました。
「実は、母の実家が小樽にあるんです」
「えっ、そうなの?」
「はい。小さい頃に、何度か行ったことがあって」
「じゃあ、ちょうどいいじゃん!」
小宮さんが笑います。
「旅行しながら、おばあちゃんにも会えるし」
「……そうですね」
幼い頃。
祖母に手を引かれて歩いた、雪の街。
あのとき見た景色は。
もう、はっきりとは思い出せません。
けれど。
なぜでしょう。
また、あの街を歩いてみたい。
そんな気持ちになりました。
「札幌も行ってみたいし、小樽もいいよね」
「はい」
「じゃあ、北海道にする?」
「……少し、考えてみます」
そう答えながら。
私の目は。
何度も、北海道の文字へ戻っていました。
◇
その日の夜。
私は、自分の部屋でノートを開いていました。
机の上には。
北海道の旅行情報。
札幌。
小樽。
雪景色。
街並み。
美味しそうな食べ物。
見ているだけで。
胸が弾みます。
私は、小樽の写真を眺めました。
石造りの建物。
雪の積もった道。
どこか懐かしい街並み。
「…………」
昔。
ここを歩いたことがあったでしょうか。
記憶の中にある景色と。
写真の景色を。
一つずつ、重ねてみます。
けれど。
思い出せそうで。
思い出せません。
「……小樽」
口に出してみました。
すると。
なぜか。
祖母の笑顔が浮かびました。
そういえば。
最後に会ったのは、いつだったでしょう。
久しぶりに。
会いたくなりました。
私は、ノートの新しいページを開きました。
そして。
ゆっくりと。
文字を書き込みます。
『北海道』
その下に。
『札幌・小樽』
「…………」
まだ、予約もしていません。
日程だって、決まっていません。
それでも。
書き終えた文字を見ていると。
胸の奥が、少し温かくなりました。
幼い頃に訪れた、あの街。
記憶の中では。
今も、雪が降っています。
私は、ノートに書かれた文字を。
もう一度、見つめました。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
幼い頃。
確かに見たはずの景色。
忘れてしまった、記憶。
もう一度。
あの街を歩いたら。
何かを。
思い出せるでしょうか




