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あの日の約束

夕食の時間。


 私は、いつものように両親と食卓を囲んでいた。


「そういえば、今日、小野先生に会ったの」

「まあ、小野先生に?」

 母が顔を上げた。

「うん。今は校長先生なんだって」

「そうなのね。懐かしいわ」

「私が小学生の頃のこと、いろいろ話してくれたよ」

「ふふ。いろは、先生のこと大好きだったものね」

「……うん」

 少し迷ってから、私は続けた。

「私、昔は神社で働くのが夢だったんだって」

「あら。覚えていなかったの?」

「……お母さんは、覚えてたの?」

「もちろん。小さい頃、よく言っていたもの」

「…………」

 私が忘れていた夢を。

 お母さんは、覚えていた。


「……ねえ、お父さん」

「ん?」

「お父さんは、どうして宮司になったの?」

 父の箸が止まった。

「どうして、か」

「うん」

 父は少し考えてから、静かに答えた。

「そうだな。家が神社だったというのは、もちろんある」

「……うん」

「ただ、それだけで決めたわけでもないんだが……」

 父は、少し困ったように笑った。

「今となっては、何が一番のきっかけだったのか、よく覚えていないな」

「……そうなの?」

「ああ。宮司になってからも、特別なことを意識していたわけじゃない」

 父は、いつものように味噌汁を一口飲んだ。

「朝が来れば、境内を掃除して。参拝に来られる方を迎えて。行事があれば、その準備をして」

「…………」

「そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか、こんな歳になっていたよ」

 父が笑う。

「……それだけ?」

「それだけだな」

「…………」

 思わず、母を見る。

 母も、くすくすと笑っていた。

「お父さんらしいわね」

「そうか?」

「ええ」

 私は、もう一度父を見る。

 何か。

 特別な理由があると思っていた。

 宮司という仕事を選んだ理由。

 続けてきた理由。

 でも。

 父にとっては。

 毎日を過ごしてきたこと、そのものなのかもしれない。

「……そっか」

 私は、小さく頷いた。


「……じゃあ、お母さんは?」

「私?」

「お母さんも、最初から神社で働きたかったの?」

「そうねえ。昔は、いろんなことを考えていたわね」

「……どんなこと?」

「ふふ。それは、また今度ね」

「ええっ」

 お母さんまで。

 何だか、ずるい。

 そこで私は、ふと思いついた。

「……じゃあ、どうしてお父さんと結婚したの?」

「……え?」

 今度は母が目を丸くした。

 そして。

「それは、また別のお話ね」

「ええっ!?」

 母が楽しそうに笑う。

「ずるいです、お母さん!」

「あら。そう?」

「そうです! 私ばっかり質問してるみたいじゃないですか!」

「ふふ。じゃあ、私からも一つ聞いていい?」

「……はい?」

 母が、にっこりと微笑んだ。

「いろはは?」

「……私?」

「ええ。気になる人とか、好きな人はいないの?」

「…………」

 ……はい?

「もちろん、アイドル以外でね」

「…………っ!?」

 な。

 ななな。

 何を。

 突然。

「い、いません!」

「あら、そうなの?」

「そ、そうです!」

「ふふ。ずいぶん慌てるのね」

「慌ててません!」

 慌てています。

 ものすごく。

 だって。

 今。

 頭の中に。

 思い浮かんだ人が。

 一人。

「……お父さん!」

「ん?」

 父が顔を上げる。

「お母さんに何か言ってください!」

「……何をだ?」

「…………」

 しかも。

 父は何事もなかったように、お茶を飲んでいる。

「ふふ」

 母が笑った。

「いろはも、大きくなったのね」

「……もう二十歳です!」

「あら。そうだったわね」

 もう。

 絶対。

 分かっていて言っていますよね。

 この人。

「でも、そうね」

 母は、少しだけ優しい表情になった。

「私たちの昔のことも、いつかゆっくり話しましょうか」

「……うん」

 私は、小さく頷いた。

 ……ただし。

 次に聞くときは。

 もう少し。

 心の準備をしてからにしようと思います。


◇


 翌朝。

 境内には、冷たい空気が流れていた。

 吐く息が、白い。

「……寒いですね」

 誰に言うでもなく、呟いた。

 もうすぐ、十二月。

 石段の脇に並ぶ木々も、すっかり冬の装いだ。

 私は、竹箒を手に境内を掃いていた。

 昨日。

 小野先生に会って。

 お父さんと、お母さんの話を聞いて。

 少しずつ。

 知らなかったことが、見えてきた。

 でも。

 知れば知るほど。

 分からなくなることもある。

「…………」

 お父さんは。

 いつの間にか、宮司としての日々が当たり前になっていたと言った。

 お母さんは。

 昔、いろんなことを考えていたと言った。

 そして私は。

 神社で働くことが、夢だった。

 ……はずなのに。

「おはようございます、水瀬さん」

「……あっ!」

 顔を上げる。

 石段を上り終えた佐伯さんが、こちらに手を振っていた。

「お、おはようございます!」

「今日も寒いですね」

「そうですね。もう冬です」

「水瀬さん、手、冷たそうですね」

「え?」

 言われて、自分の手を見る。

 竹箒を握る指先が、少し赤くなっていた。

「手袋、した方がいいですよ」

「……そうですね」

 佐伯さんは、いつものように笑った。

 それから、社殿へ向かう。

 私は、その背中を見送った。

「…………」

 昨日。

 お母さんに聞かれたことを思い出す。

『気になる人とか、好きな人はいないの?』

 ……。

 …………。

 なぜ。

 今。

 思い出してしまったのでしょう。

 しかも。

 目の前に。

 その人が。

「…………っ」

 私は、慌てて箒を動かした。

 落ち葉が、勢いよく舞い上がる。

 ……掃除。

 掃除に集中です。


◇


「水瀬さん?」

「は、はい!」

 参拝を終えた佐伯さんが、戻ってきた。

「……どうかしました?」

「え?」

「さっきから、何か考え事してるみたいだったので」

「…………」

 そんなに。

 分かりやすかったでしょうか。

「……少しだけ」

 私は、箒を止めた。

「最近、いろんなことを考えていて」

「……将来のことですか?」

「……はい」

 佐伯さんは、小さく頷いた。

 以前。

 私が将来のことを考え始めたとき。

 いろんな仕事を知ってみたらどうかと、言ってくれた人。

 だから。

 私が何に悩んでいるのか。

 きっと、分かっている。

「何か、見つかりました?」

「……まだ、分かりません」

 私は、正直に答えた。

「でも、今まで知らなかったことが、たくさんあるんだなって」

「そっか」

「……はい」

「じゃあ、少しずつ進んでるんですね」

「…………」

 少しずつ。

 進んでいる。

 そうなのでしょうか。

 自分では。

 同じ場所を、ぐるぐる回っている気がしていたけれど。

「……そうだと、いいんですけど」

「俺は、そう思いますよ」

 佐伯さんが笑う。

 それ以上。

 何かを聞かれることはなかった。

 ただ。

 いつものように。

 隣にいてくれた。

「……あ、そうだ」

 佐伯さんが、ふと思い出したように言った。

「水瀬さん」

「はい?」

「十二月三日って、予定ありますか?」

「…………」

 十二月。

 三日。

 ……私の。

 誕生日。

「……特に、ありませんけど」

「よかった」

 佐伯さんが、ほっとしたように笑う。

「前に、約束したじゃないですか」

「……約束?」

「誕生日、俺が祝うって」

「…………」

 あ。

 そうでした。

 佐伯さんのお誕生日のとき。

 確かに。

 そんな約束を。

 ……しました。

「もしよかったら、その日、一緒に出かけませんか?」

「…………」

 え。

 今。

 何と。

「……お出かけ、ですか?」

「はい」

「……二人で?」

「もちろん」

 も。

 もちろん。

 もちろん!?

 それは。

 つまり。

 お誕生日。

 二人きり。

 お出かけ。

 ……デート。

 デート。

 デートですよね!?

 頭の中で。

 何かが、勢いよく走り出した。

『誕生日おめでとう、水瀬さん』

『佐伯さん……』

『今日は、ずっと一緒にいよう』

『……はい』

 ……。

 …………。

 ………………。

「水瀬さん?」

「は、はいっ!」

 現実に引き戻された。

 佐伯さんが、不思議そうにこちらを見ている。

「予定、ありました?」

「ありまへぇん!」

 即答。

 ……。

 …………。

 しまった。

 噛みました。

 よりによって。

 こんな大事な場面で。

「……ぷっ」

 佐伯さんが、思わず吹き出した。

「す、すみません。笑うつもりじゃ……」

「わ、笑わないでください!」

「いや、だって……」

 佐伯さんは、口元を押さえながら笑っている。

 もう。

 穴があったら入りたい。

 いえ。

 今すぐ。

 境内に穴を掘りたい。

「……じゃあ、三日。空けておいてください」

「……はい」

 今度は。

 ちゃんと言えました。

 ……たった二文字ですけど。

「詳しいことは、また連絡しますね」

「はい!」

「じゃあ、また」

「……また、明日」

 佐伯さんが、石段を下りていく。

 私は。

 その背中が見えなくなるまで。

 ずっと、立っていた。

「…………」

 十二月三日。

 私の誕生日。

 佐伯さんと。

 二人で。

 お出かけ。

「…………」

 ……どうしましょう。

 将来のことを考えていたはずなのに。

 今。

 頭の中は。

 十二月三日のことで、いっぱいです。


◇


恋愛経験ゼロ。


妄想の中では恋愛無双。


将来のことは。


まだ何も進まない。


でも今は。


それどころではなくなりました。

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