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描いていた、先にいる私

 大学からの帰り道。

 今日は、少しだけ遠回りをしてみることにした。

 特に理由はない。

 ただ。

 いつもとは違う道を歩いてみたかった。

 最近。

 街を歩いていると。

 今まで気にも留めなかったものが、目に入るようになった。

 働いている人。

 行き交う人。

 それぞれが持っている、知らない日常。

 「…………」

 そんなことを考えながら。

 気の向くままに歩いていると。

 「あれ……?」

 見覚えのある校門が、目に入った。

 小学校。

 私が、六年間通った場所。

 「懐かしい……」

 思わず、足を止める。

 校舎。

 校庭。

 昇降口。

 あの頃と、あまり変わっていない。

 ただ。

 少しだけ、小さく見えた。

 「…………」

 校門の向こう。

 一人の女性が歩いていた。

 どこか懐かしい横顔。

 「……え?」

 思わず、足を止める。

 まさか。

 でも。

 あの人は。

 「あの……小野先生?」

 女性が振り返る。

 「はい?」

 「やっぱり! 小野先生ですよね!」

 「ええ、そうだけど……」

 先生が、不思議そうに私を見る。

 「もしかして、昔の教え子さん?」

 「はい! 水瀬いろはです!」

 「水瀬……?」

 先生が、少し考える。

 そして。

 「あっ!」

 ぱっと表情が明るくなった。

 「水瀬神社の、いろはちゃん!」

 「はい!」

 「まあ! 大きくなって!」

 先生が、嬉しそうに笑った。

 「そうかあ。いろはちゃんかあ」

 「お久しぶりです!」

 「本当に久しぶりね。元気だった?」

 「はい!」

 懐かしい。

 声も。

 笑い方も。

 あの頃のままだった。

◇

 「先生、今もこちらにいらっしゃるんですね」

 「ええ。今は校長をしているの」

 「校長先生!?」

 「ふふ。驚いた?」

 「はい!」

 驚いた。

 とても。

 私の知っている先生は。

 いつも教室の前に立っていたから。

 「せっかくだから、久しぶりに中を見ていく?」

 「いいんですか?」

 「ちょうど子どもたちも下校したところだし、少しなら案内できるわ」

 「ありがとうございます!」

 先生に案内されて。

 懐かしい校舎へ。

◇

 廊下を進む。

 掲示板には、子どもたちの絵。

 教室には、小さな机と椅子。

 黒板。

 窓際の花。

 全部。

 懐かしい。

 「いろはちゃん」

 「はい?」

 「そういえば、昔の夢は叶ったの?」

 「……夢、ですか?」

 「ええ」

 先生が、懐かしそうに笑う。

 「覚えてる? 将来の夢を発表した授業」

 「……あ」

 そういえば。

 そんな授業があった。

 「いろはちゃん、あのとき、何になりたいって言ったか覚えてる?」

 「えっと……」

 考えてみる。

 でも。

 すぐには出てこなかった。

 先生が、優しく微笑む。

 「神社で働きたいって、言ってたのよ」

 「…………」

 神社。

 その言葉を聞いた瞬間。

 忘れていた景色が、浮かんできた。

◇

 『大きくなったら、何になりたいですか?』

 黒板に書かれた、大きな文字。

 みんなが、それぞれの夢を発表していた。

 お医者さん。

 ケーキ屋さん。

 サッカー選手。

 学校の先生。

 『次は、水瀬さん』

 『はい!』

 小さな私は、元気よく立ち上がった。

 『神社で働きたいです!』

 『どうして?』

 『お父さんとお母さんみたいになりたいからです!』

 あの頃の私は。

 迷わず。

 そう答えていた。

◇

 「……思い出しました」

 「ふふ。そう?」

 「はい……」

 そうだった。

 あの頃。

 私は。

 神社で働くことを、夢見ていた。

 神社が好きで。

 父と母が好きで。

 自分も、あんなふうになりたくて。

 だから。

 神社で働きたいと、思っていた。

 なのに。

 いつからでしょう。

 夢だったはずの未来が。

 当たり前になって。

 いつの間にか。

 背負わなければならないものに、変わっていた。

 誰かに、そう言われたわけでもないのに。

 「…………」

 「どうしたの?」

 「いえ……」

 私は、小さく首を振る。

 「先生、よく覚えていましたね」

 「そうねえ」

 先生が、少し笑う。

 「水瀬神社の子だから、印象に残っていたのかもしれないわね」

 「……ありがとうございます」

 「でも、今も神社にいるんでしょう?」

 「はい」

 「じゃあ、夢は叶ったのね」

 「…………」

 私は。

 すぐには、頷けなかった。

 夢は。

 叶った。

 ……のでしょうか。

 あの頃の私が、思い描いていた未来。

 今の私は。

 本当に。

 そこにいるのでしょうか。

◇

 「……先生」

 「なあに?」

 「先生は、どうして教師になろうと思ったんですか?」

 「……私?」

 「はい」

 先生は少し驚いたように目を丸くした。

 そして。

 「そうねえ……」

 懐かしそうに、教室を見渡した。

 「私が学生だった頃はね、公務員って、間違いのない選択肢の一つだったの」

 「……はい」

 「安定しているし、親も喜んでくれる。周りからも、いい仕事に就いたねって言われる」

 先生は、少し笑った。

 「もちろん、子どもは好きだったわ。でも、絶対に教師になりたいっていう、強い夢があったわけじゃなかったの」

 「……そうなんですね」

 「ふふ。意外?」

 「……少し」

 正直に答えると、先生は笑った。

 「きっかけなんて、そんなものよ」

 「…………」

 私は、先生を見つめた。

 小学生だった頃。

 教壇に立つ先生は、何でも知っていて。

 何でもできて。

 最初から、先生になるために生まれてきたような人だと思っていた。

 でも。

 そうじゃなかった。

 先生にも。

 迷ったり。

 選んだりした時間があった。

 「でも……」

 私は、もう一つ聞いてみた。

 「どうして、今も続けられているんですか?」

 先生は、私を見た。

 そして。

 優しく微笑んだ。

 「あなたたちが、いてくれたからよ」

 「……私たち?」

 「ええ」

 先生は、ゆっくりと話し始めた。

 「教師になろうと決めたときの気持ちだけだったら、きっと、ここまで続けられなかったと思う」

 「…………」

 「毎年、新しい子どもたちが入学してきて」

 「はい」

 「六年生になった子たちを、送り出して」

 先生が、教室を見渡す。

 「もちろん、楽しいことばかりじゃなかったわ。何度も壁にぶつかったし、悩んだことも、数えきれないくらいあった」

 「…………」

 「でもね」

 先生は、続けた。

 「それ以上に、たくさんの子どもたちと出会えたの」

 「……はい」

 「泣いていた子が笑えるようになったり。苦手だったことが、少しずつできるようになったり」

 「…………」

 「そして、卒業していく」

 先生は、窓の外を見た。

 「それで終わりかと思ったら、そうでもないのよ」

 「……?」

 「高校に受かったよって、報告に来てくれる子もいる」

 「はい」

 「好きな人ができたって、照れながら話してくれる子もいる」

 「…………」

 「就職が決まったとか、結婚したとか。大人になってから、顔を見せてくれる子もいるの」

 先生が、私を見る。

 「今日の、あなたみたいにね」

 「…………」

 「そういうとき、思うの」

 先生は、少しだけ目を細めた。

 「この仕事を続けてきて、よかったなって」

 私は。

 何も言えなかった。

 「私も、もうすぐ定年だけど……」

 先生が、笑う。

 「ようやく、教師としての自分を好きになれたかな」

 「……先生」

 「ふふ。ずいぶん時間がかかっちゃったわね」

 そんなこと。

 ないと思った。

 先生が、ここまで歩いてきた時間。

 出会ってきた人たち。

 送り出してきた子どもたち。

 その全部が。

 今の先生を作っている。

 「……ありがとうございます」

 「どうしたの、急に」

 「いえ……」

 私は、笑った。

 「先生に会えて、よかったです」

 先生も。

 笑ってくれた。

 「私もよ。いろはちゃん」

◇

 「また、いつでも顔を見せてね」

 「はい!」

 校門の前。

 小野先生が、手を振ってくれた。

 「先生も、お元気で!」

 「ありがとう。いろはちゃんもね」

 私も、大きく手を振る。

 そして。

 ゆっくりと歩き出した。

 夕暮れの帰り道。

 小学生の頃。

 何度も歩いた道。

 あの頃は。

 ランドセルを背負って。

 友達と笑いながら。

 毎日のように、ここを歩いていた。

 「…………」

 大きくなったら。

 神社で働きたい。

 あの頃の私は。

 迷わず、そう言っていた。

 誰かに言われたからじゃない。

 そうしなければならないと、思っていたわけでもない。

 ただ。

 お父さんと、お母さんみたいになりたかった。

 それだけだった。

 「…………」

 いつからでしょう。

 夢だったはずの未来が。

 当たり前になって。

 いつの間にか。

 自分が背負うものになっていた。

 誰かに、背負わされたわけでもないのに。

 自分で。

 勝手に。

 そう思い込んでいた。

 「……夢、か」

 小さく呟く。

 先生は。

 最初から教師になることが夢だったわけじゃない。

 でも。

 長い年月をかけて。

 たくさんの人と出会って。

 今では。

 教師としての自分を好きになれたと言っていた。

 私は。

 その逆なのかもしれない。

 好きだったから。

 夢に描いた。

 なのに。

 いつの間にか。

 その気持ちを忘れてしまっていた。

 「…………」

 ふと。

 佐伯さんの言葉が浮かんだ。

 『いろんな人に会ったり、いろんなことがあって、途中で違う道に進む人もいる』

 あのときは。

 まだ、よく分からなかった。

 でも。

 今日。

 少しだけ分かった気がする。

 人は。

 最初に決めた気持ちのまま。

 ずっと歩いていくわけじゃない。

 途中で。

 好きになることもあれば。

 迷うこともある。

 そして。

 忘れていた気持ちを。

 思い出すことだってある。

 「…………」

 神社で働くこと。

 それは。

 確かに、私の夢だった。

 でも。

 今の私が。

 その道を選びたいのか。

 それは。

 まだ、分からない。

 ただ。

 今日。

 一つだけ。

 分かったことがある。

 私が。

 神社で働きたいと思ったのは。

 誰かに決められたからじゃない。

 小さな私が。

 自分で。

 そう思ったから。

 それが。

 少しだけ。

 嬉しかった。

◇

 恋愛経験ゼロ。

 妄想の中では恋愛無双。

 幼い頃。

 夢に描いた未来。

 いつしか。

 当たり前になっていた道。

 でも。

 その始まりは。

 確かに。

 私が選んだ道でした。

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