まっさらな、道
翌朝。
いつもの時間。
いつもの境内。
箒を動かしながら。
私は。
何度も。
社殿を見ていた。
御神木。
石段。
見慣れた景色。
昨日までは。
この先も。
ずっと。
ここにいるものだと。
思っていた。
でも。
今は。
ここにいることも。
ここを出ることも。
自分で。
選んでいい。
自由。
そのはずなのに。
どうして。
こんなに。
落ち着かないんだろう。
「おはようございます」
「…………」
「水瀬さん?」
「…………」
「水瀬さん」
「はいっ」
顔を上げる。
佐伯さんが。
立っていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「……大丈夫ですか?」
「何がです?」
「さっきから、ぼーっとしてたので」
「…………」
「寝不足ですか?」
「違います」
「じゃあ、何かありました?」
「…………」
あった。
母に。
就職をどうするのか。
聞かれた。
それだけ。
たった。
それだけなのに。
今まで。
決まっていると思っていた未来が。
急に。
分からなくなった。
就職。
その言葉で。
真っ先に浮かんだのは。
やっぱり。
佐伯さんだった。
初めて会った日。
佐伯さんは。
この神社に。
就職祈願に来ていた。
祈って。
落ち込んで。
悩んで。
それでも。
前へ進もうとしていた。
私は。
ずっと。
それを見てきた。
「佐伯さん」
「はい?」
「就職活動……大変でしたよね」
「……急にどうしたんですか?」
「…………」
佐伯さんは。
自分の未来を。
決めたかった。
でも。
選ばれなくて。
決められなかった。
私は。
決まっていると。
思っていた。
だから。
決めようとすら。
しなかった。
全然。
違うはずなのに。
今になって。
少しだけ。
佐伯さんが。
悩んでいた理由が。
分かった気がした。
「やっぱり、何かありました?」
「……昨日」
「はい」
「母に言われたんです」
「何をですか?」
「就職、どうするのって」
「就職?」
「はい」
「水瀬さん、まだ二年ですよね?」
「すぐに就職活動をするって話じゃなくて」
「はい」
「来年になったら、就職のことも考え始めるでしょうって」
「なるほど」
「私」
箒を。
少しだけ。
握り直す。
「神社を継ぐものだと思ってたんです」
「…………」
「ずっと」
「そうだったんですね」
「でも母に」
「神社を継ぐにしても、就職するにしても、自分がどうしたいのか考えた方がいいって言われて」
「…………」
「自由に選んでいいって言われただけなのに」
笑おうとして。
うまく。
笑えなかった。
「何も、分からなくなっちゃって」
「…………」
佐伯さんが。
少しだけ。
考える。
「変じゃないと思います」
「え?」
「選べる方が、迷うこともありますから」
「…………」
「俺は」
佐伯さんが。
境内を見る。
「選ばれなくて、ずっと悩んでましたけど」
「…………」
「水瀬さんは、選べるんですよね」
「……はい」
「だったら」
佐伯さんが。
少し考える。
「悩んでもいいんじゃないですか」
「え?」
「すぐに決めなくても」
「…………」
「自分で選べるなら、ちゃんと悩んで決めた方がいいと思います」
「でも」
「はい?」
「考えても、何も浮かばないんです」
「…………」
「昨日、考えてみたんですけど」
神社を継ぐ。
就職する。
その先を。
いくら考えても。
「本当に、何も浮かばなくて」
「…………」
「自分のことなのに」
少し。
俯く。
「私って、何も考えてなかったんだなって」
「それなら」
「はい?」
「これから考えればいいんじゃないですか?」
「…………」
「水瀬さん、まだ二年生ですよね」
「はい」
「明日までに決めろって言われたわけじゃないんですよね?」
「それは……そうですけど」
「知らないものから選ぶのって、無理じゃないですか」
「……知らないもの」
「神社以外の仕事とか。神社の外で働くこととか」
「…………」
「いろいろ見てからでも、遅くないと思います」
「いろいろ……」
「やっぱりここがいいって思うかもしれないし」
「…………」
「違うところを見つけるかもしれない」
佐伯さんが。
私を見る。
「どっちでも、自分で決めたなら」
少しだけ。
笑って。
「その方が、水瀬さんらしい気がします」
「…………」
私らしい。
その答えが。
何なのかは。
まだ。
分からない。
でも。
昨日より。
少しだけ。
顔を上げられた気がした。
「明確に、これがしたいって決めて」
「…………」
「そのままブレずに、最後まで自分の道を進める人って、たぶんそんなに多くないと思うんです」
「……はい」
「なんとなく、ぼやけた景色だけ見ながら進む人もいるし」
佐伯さんが。
少し考える。
「いろんな人に会ったり、いろんなことがあって、途中で違う道に進む人もいる」
「…………」
「今の水瀬さんには、考える時間があります」
考える。
時間。
「いきなりこんな話になって、不安になるのは分かりますけど」
「はい……」
「一回、気持ちをリセットして」
佐伯さんが。
境内の外へ。
視線を向ける。
「少し、視野を広げてみてもいいんじゃないですか?」
「視野を……」
「はい」
「それで、答えが出なかったとしても」
佐伯さんが。
私を見る。
「少なくとも、今よりは前に進んでると思います」
「…………」
「一人で考えてもいいし。誰かの話を聞いてもいい」
「はい」
「知らなかったものを知るだけでもいい」
少し。
笑って。
「何も、マイナスにはならないと思いますよ」
「…………」
答えを。
教えてくれたわけじゃない。
神社を継げとも。
就職した方がいいとも。
言わなかった。
ただ。
今まで。
神社の中だけにあった。
私の未来を。
少しだけ。
外へ。
広げてくれた。
「……佐伯さん」
「はい?」
「ありがとうございます」
「いや、俺は別に」
「少しだけ」
境内を見る。
昨日から。
ずっと。
重かったものが。
ほんの少し。
軽くなった気がする。
「何を考えればいいのかは、分かった気がします」
「それなら、よかったです」
「はい」
何になりたいのか。
どこで働きたいのか。
まだ。
何も分からない。
神社を。
継ぎたいのかも。
分からない。
でも。
分からないなら。
知らないものを。
見てみればいい。
いろんな人の。
話を聞いて。
いろんな場所を。
見て。
それから。
考える。
「…………」
「水瀬さん?」
「はい?」
「また考え込んでますよ」
「今度は前向きな方です」
「なら、いいですけど」
「はい」
佐伯さんが。
社殿へ向かう。
いつものように。
参拝をして。
いつものように。
戻ってくる。
「じゃあ、大学行ってきます」
「はい。行ってらっしゃい」
石段へ向かう。
その背中を。
見送る。
「……佐伯さん」
「はい?」
振り返った。
「今度」
「はい」
「佐伯さんの話も、聞かせてください」
「俺の?」
「はい」
「何の話ですか?」
「いろいろです」
「範囲広すぎません?」
「今、視野を広げているところなので」
「もう始まってるんですか」
「善は急げです」
「使い方、合ってます?」
「たぶん」
「たぶんなんですね」
佐伯さんが。
笑う。
私も。
少しだけ。
笑った。
◇
大学。
空き時間。
私は。
図書館にいた。
「…………」
目の前には。
何冊もの本。
就職。
業界。
資格。
働き方。
気になったものを。
とりあえず。
集めてみた。
「…………」
多い。
世の中には。
こんなに。
仕事があるんですね。
知っていた。
つもりだった。
でも。
自分が。
その中から。
何かを選ぶ。
そう考えたことは。
一度もなかった。
一冊。
開く。
ページをめくる。
もう一冊。
開く。
「…………」
分からない。
でも。
昨日とは。
少し違う。
昨日は。
分からないことが。
怖かった。
今は。
分からないから。
知ろうとしている。
「いろは?」
「…………」
「いろは」
「はいっ」
顔を上げる。
「何してんの?」
「結衣」
目の前に。
結衣が立っていた。
「珍しいね」
「何がです?」
「いろはが図書館で、そんな真面目そうな本読んでるの」
「失礼ですね」
「何読んでんの?」
「…………」
結衣が。
机の上を見る。
「就職?」
「はい」
「……いろはが?」
「なぜ二回驚くんですか」
「だって」
結衣が。
向かいに座る。
「神社継ぐんじゃないの?」
「…………」
やっぱり。
そう思うよね。
「私も、そう思ってました」
「え?」
「昨日までは」
「何かあった?」
「…………」
私は。
昨日。
母に言われたことを。
結衣に話した。
◇
「なるほどね」
「はい」
「それで急に就職の本?」
「視野を広げようと思いまして」
「誰かに言われた?」
「…………」
「佐伯くん?」
「なぜ分かったんですか」
「分かりやす」
「…………」
そこは。
今。
関係ありません。
「結衣は?」
「ん?」
「卒業したら、どうするんですか?」
「私?」
「はい」
今まで。
聞いたことがなかった。
友達なのに。
結衣が。
どんな未来を。
考えているのか。
私は。
知らない。
「んー」
結衣が。
少し考える。
「普通に就職かな」
「何の仕事ですか?」
「まだ決めてない」
「…………」
「なに、その顔」
「決めてないんですか?」
「決めてないよ」
「でも、就職するんですよね?」
「そのつもり」
「なのに?」
「なのにって」
結衣が。
笑う。
「まだ二年だよ?」
「…………」
「興味ある仕事はいくつかあるけど。絶対これっていうのはないかな」
「そうなんですか……」
「逆に、いろははみんな決まってると思ってたの?」
「…………」
思っていた。
というより。
考えたことすら。
なかった。
「だって」
結衣が。
机の上に積まれた本を見る。
「やってみたいって思っても、実際に調べたら違うかもしれないし」
「はい」
「全然興味なかった仕事でも、話聞いたら面白そうって思うかもしれないし」
「…………」
「就職した後に、やっぱ違うってなる人だっているでしょ」
「それは……」
「あるでしょ?」
「ありますね」
「だったら今から、人生これ一本です、なんて決めなくてもいいんじゃない?」
「…………」
今朝。
佐伯さんに。
言われた言葉を思い出す。
「……同じこと言われました」
「誰に?」
「…………」
「佐伯くん?」
「なぜ毎回分かるんですか」
「いろはだから」
「理由になってません」
「なってるよ」
「なってません」
結衣が。
笑う。
私も。
少しだけ。
笑った。
「じゃあさ」
「はい?」
「せっかく調べるなら、就職だけじゃなくてもいいんじゃない?」
「え?」
「神社継ぐって選択肢もあるんでしょ?」
「……はい」
「だったら、それもちゃんと調べたら?」
「…………」
神社を。
調べる?
「いろはさ」
結衣が。
少しだけ。
真面目な顔になる。
「神社で育ったから、神社のこと全部知ってるって思ってない?」
「…………」
何も。
言えなかった。
知っている。
つもりだった。
毎日。
そこで暮らしているから。
でも。
神社を継ぐ。
それを。
自分の仕事として。
考えたことは。
一度もない。
「……それも、調べてみます」
「うん」
就職。
仕事。
神社。
今までなら。
全部。
別々のものだった。
でも。
今は。
全部が。
私の未来に。
繋がっている。
「…………」
目の前には。
まだ。
何も見えない。
それでも。
昨日までとは。
少し違う。
分からないなら。
知ればいい。
知らないなら。
見ればいい。
そして。
それでも。
分からなかったら。
また。
考えればいい。
今すぐ。
答えを出さなくても。
いいのだから。
もう一度。
目の前の本を見る。
さっきまでは。
答えを探すために。
開いていた。
でも。
今は。
少しだけ。
違う。
答えを。
決めるためじゃない。
まずは。
知るために。
一冊。
手に取る。
ページを。
開く。
そこに。
私の答えが。
書いてあるわけじゃない。
それでも。
昨日まで。
知らなかった何かが。
そこにはある。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
未来の妄想は。
まだ。
描けない。
だから。
今は。
現実を。
もっと知りたい。




