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迷走巫女

「いろはー」

「はーい」

 階下から。

 母の声。

「買い物行くけど、付き合う?」

「行きます」

 財布と。

 スマホを持って。

 部屋を出る。

◇

 母との買い物は。

 いつも通り。

 今日の夕食を決めて。

 野菜を選んで。

 肉を選んで。

 ついでに。

 お菓子を。

 カゴに入れる。

「いろは」

「はい?」

「戻して」

「なぜですか」

「昨日も買ったでしょ」

「昨日の私と、今日の私は別人です」

「同一人物です」

「証拠は?」

「産んだの私」

「…………」

 強い。

 仕方なく。

 一つだけ戻す。

「一つは買うのね」

「当然です」

 そんな。

 いつも通りの。

 買い物。

 いつも通りの。

 母との時間。

 だから。

 その後。

 あんなことを。

 聞かれるなんて。

 思ってもいなかった。

◇

 夕食。

 父と。

 母と。

 三人で。

 食卓を囲む。

「これ、今日安かったのよ」

「そうなのか」

「いろはが見つけたの」

「偶然です」

 いつもの。

 会話。

 いつもの。

 夕食。

 何も。

 変わらない。

 はずだった。

「そういえば、いろは」

「はい?」

 母が。

 何でもないことのように。

 言った。

「あなた、就職どうするの?」

「…………」

 え?

「…………」

 今。

 なんて?

「いろは?」

「……は?」

「だから、就職」

「…………」

 就職?

 誰が?

 私が?

「私が?」

「他に誰がいるのよ」

「…………」

 いや。

 待って。

 待ってください。

 就職。

 私。

 その二つが。

 まったく。

 繋がらない。

「……なんで?」

「なんでって」

「私」

 箸を置く。

「神社、継ぐんじゃないの?」

 父と。

 母が。

 顔を見合わせた。

「…………」

 え?

 なに。

 その顔。

「私、何か変なこと言った?」

「いや……」

 父が。

 箸を置く。

「いろはは、そう思っていたのか?」

「そうって……」

「神社を継ぐって」

「…………」

 思っていた。

 というより。

 それ以外を。

 考えたことがなかった。

「だって」

 ここは。

 水瀬神社で。

 お父さんは。

 宮司で。

 私は。

 その娘で。

 小さい頃から。

 ずっと。

 ここで育って。

 巫女として。

 手伝ってきた。

「普通、そうじゃないの?」

「普通ってことはないでしょ」

 母が。

 静かに言う。

「…………」

「神社の娘だからって、あなたの仕事まで決まってるわけじゃないんだから」

「でも……」

「継ぎたいなら、それでもいいのよ」

「…………」

 継ぎたい。

 その言葉に。

 何も。

 返せなかった。

 継ぐ。

 なら。

 分かる。

 ずっと。

 そう思っていたから。

 でも。

 継ぎたい?

「…………」

 考えたことが。

 なかった。

「来年になったら、就職のことも考え始めるでしょう?」

「……うん」

「だから、その前に」

 母が。

 私を見る。

「自分がどうしたいのかくらいは、考えておいた方がいいんじゃない?」

「…………」

「神社を継ぐにしても、就職するにしてもね」

「……うん」

 自分が。

 どうしたいのか。

 それが。

 分からないから。

 困っている。

◇

 お風呂を済ませて。

 部屋に戻る。

 ベッドに。

 倒れ込む。

「…………」

 自分が。

 どうしたいのか。

「…………」

 分からない。

 寝返りを打つ。

 見慣れた。

 天井。

 この部屋も。

 この家も。

 神社も。

 ずっと。

 ここにあった。

 だから。

 その先も。

 ずっと。

 ここにいるものだと。

 思っていた。

 大学を卒業して。

 神社を継ぐ。

 それが。

 私の未来。

「…………」

 でも。

 今日。

 初めて。

 その隣に。

 別の未来を。

 置かれた。

 就職。

 会社員。

 神社とは。

 違う場所で。

 働く私。

「…………」

 想像。

 してみる。

 スーツを着て。

 会社に行って。

 仕事をして。

「…………」

 何の?

「…………」

 分からない。

 そもそも。

 私は。

 何がしたいんだろう。

 スマホを手に取る。

 なんとなく。

 画面を眺める。

 そこには。

 今日までと。

 何も変わらない。

 私の日常。

 大学。

 友達。

 神社。

 そして。

 佐伯さん。

「…………」

 佐伯さん。

 就職活動。

 大変そうだった。

 何度も。

 悩んで。

 それでも。

 自分の未来を。

 探していた。

 私は。

 どうだろう。

「…………」

 探したことすら。

 なかった。

 神社を。

 継ぐ。

 それが。

 嫌だったわけじゃない。

 でも。

 好きだから。

 選んだわけでもない。

 ただ。

 そうなるものだと。

 思っていた。

「…………」

 それは。

 選んだって。

 言えるのかな。

「…………」

 目を閉じる。

 じゃあ。

 私は。

 何がしたい?

「…………」

 神社を。

 継がないとしたら。

 何がしたい?

「…………」

 何も。

 浮かばない。

 やってみたい仕事。

 働いてみたい場所。

 なりたいもの。

 考えれば。

 考えるほど。

 頭の中が。

 真っ白になる。

「……嘘でしょ」

 妄想なら。

 いくらでも。

 できるのに。

 佐伯さんと。

 出かけたり。

 手を繋いだり。

 その先だって。

「…………」

 やめよう。

 今は。

 そっちじゃない。

 自分の。

 未来。

 十年後。

 私は。

 どこにいる?

「…………」

 水瀬神社。

 最初に。

 浮かんだ。

 やっぱり。

 ここなのかな。

 でも。

 それは。

 ここにいたいから?

 それとも。

 ここしか。

 知らないから?

「…………」

 分からない。

 考えるほど。

 分からなくなる。

 今日まで。

 未来なんて。

 決まっていると。

 思っていた。

 だから。

 迷うことすら。

 なかった。

 でも。

 選んでいいと。

 言われた瞬間。

 私は。

 自分が。

 何を選びたいのか。

 分からなくなった。

「…………」

 起き上がる。

 窓を。

 少しだけ開けた。

 冷たい風が。

 部屋に入ってくる。

 見えるのは。

 いつもの。

 境内。

 小さい頃から。

 何度も見てきた景色。

 好きか。

 嫌いか。

 そう聞かれたら。

 好き。

 迷わず。

 そう答えられる。

 ここで育った。

 ここで。

 たくさんの人に会った。

 そして。

 佐伯さんにも。

 出会った。

「…………」

 大切な場所。

 それは。

 間違いない。

 でも。

 大切だから。

 継ぐの?

 好きだから。

 継ぐの?

 それとも。

 水瀬家の娘だから。

 継ぐの?

「…………」

 分からない。

 今まで。

 一度も。

 考えなかったから。

 窓を閉める。

 机の前に座る。

 そこには。

 佐伯さんからもらった。

 推しの。

 アクリルスタンド。

「…………」

 昨日までなら。

 これを見ただけで。

 いくらでも。

 妄想できたのに。

 今夜は。

 何も。

 浮かばなかった。

恋愛経験ゼロ。

妄想の中では恋愛無双。

誰に言われたでもなく。

当たり前に考えていた未来。

自由を知った今。

頭の中は。

真っ白でした。

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