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浮かぶのはいつも

閉店後。

 最後のお客さんを見送って。

 店内を片づける。

「湊」

「はい?」

「それ、もう拭いたぞ」

「え?」

「さっき、お前がな」

「…………」

 手元を見る。

 同じテーブルを。

 もう一度。

 拭いていた。

「すみません」

「別にいいけどよ」

 マスターが。

 少しだけ。

 こっちを見る。

「何か考え事か?」

「いや……」

 頭に浮かんでいたのは。

 この前の。

 水瀬さんの言葉。

『今度は、佐伯さんからお願いします』

「…………」

「まあ、いいけど」

 マスターは。

 それ以上。

 聞いてこなかった。

 少しして。

「そういや湊」

「はい?」

「次の休み、空いてるか?」

「空いてますけど」

「久しぶりに釣り行こうと思ってな」

「釣り?」

「ああ。お前もどうだ?」

「行きます」

「即答だな」

「釣り、好きなんですよ」

「そうなのか?」

「大船渡にいた頃は、よく行ってました」

 友達と。

 一人で。

 父と。

 海に行って。

 竿を出して。

 ただ。

 待つ。

 そんな時間が。

 昔から。

 嫌いじゃなかった。

「じゃあ決まりだな」

「はい」

 久しぶりに。

 何も考えず。

 竿先だけを見ているのも。

 悪くない気がした。

◇

 数日後。

 朝。

 海。

 潮の匂い。

 波の音。

 少し冷たい風。

「慣れてるな」

「大船渡で、よく釣ってたので」

「なるほどな」

 竿を出して。

 海を見る。

 大学。

 就職活動。

 バイト。

 仙台に来てから。

 いつの間にか。

 こういう時間から。

 遠ざかっていた。

 特に。

 就職活動をしていた頃は。

 何もしていない時間が。

 怖かった。

「こういうのも久しぶりです……」

「釣りがか?」

「はい」

 何も考えず。

 ただ。

 待つ。

 そのはずなのに。

『今度は、佐伯さんからお願いします』

「…………」

「来たか?」

「え?」

「今、竿見ただろ」

「いや、違います」

「そうか」

「はい」

 せっかく。

 何も考えなくていい時間なのに。

 どうして。

 出てくるんだろう。

 しばらく。

 当たりはない。

 ただ。

 海を眺める。

 朝の光が。

 水面に反射している。

 綺麗だ。

 そう思って。

 スマホを取り出した。

 一枚。

 写真を撮る。

「…………」

 綺麗に撮れた。

 そのまま。

 画面を操作する。

 気づけば。

 開いていたのは。

 水瀬さんとの。

 メッセージ画面だった。

「…………」

 なんで。

 水瀬さんなんだろう。

 送る約束なんて。

 していない。

 わざわざ。

 見せる理由もない。

 でも。

 見せたいと。

 思った。

 少し迷って。

 写真を送る。

『綺麗ですね!』

 返事は。

 思ったより。

 早かった。

『海ですか?』

『はい。マスターと釣りに来てます』

『釣り! いいですね』

「…………」

 たった。

 それだけのやり取りなのに。

 少し。

 嬉しい。

『釣れたら写真送ります』

 送信。

「何ニヤニヤしてんだ?」

「してません」

「してるぞ」

「海見てただけです」

「海見てニヤニヤする奴、初めて見たぞ」

「…………」

 スマホを。

 ポケットにしまう。

 綺麗だったから。

 見せたかった。

 それだけ。

 たぶん。

「最近、会ってるのか?」

「水瀬さんですか?」

「ああ」

「前から、朝はよく神社で会ってます」

「朝から?」

「はい」

「お前もマメだな」

「別に、会うために行ってるわけじゃ……」

「だとすれば、逆に不自然すぎるぞ」

「ごく普通に参拝です」

「毎朝?」

「はい」

「毎朝、普通に参拝?」

「……はい」

「へぇ」

「なんですか」

「いや。随分、信心深くなったなと思って」

「…………」

 否定できない。

 毎朝。

 神社へ行く。

 参拝する。

 そして。

 水瀬さんに会う。

 いつの間にか。

 それが。

 俺の日常になっていた。

「それで?」

「はい?」

「神社以外でも会ってるのか?」

「はい」

「へぇ」

「この前、一緒に出かけました」

「二人で?」

「はい」

「デートか」

「違います」

「即答だな」

「お礼です」

「何のお礼だ?」

「この前、相談したじゃないですか」

「ん?」

「クレーンゲームの景品」

「ああ、あれか」

「取れたんですよ」

「おお。やったじゃねえか」

「それを水瀬さんに渡して」

「……巫女さんに?」

「はい」

「なるほどな」

 マスターが。

 小さく頷く。

「それで、お礼に飯か」

「はい」

「なるほどな」

「……なんですか?」

「いや」

 マスターが。

 竿先を見たまま。

 少しだけ笑う。

「あの時、随分必死だった理由が分かった」

「必死ってほどじゃないですよ」

「何回やった?」

「…………」

「湊」

「覚えてません」

「嘘つけ」

「取れたんだからいいじゃないですか」

「まあな」

「…………」

 マスターは。

 それ以上。

 何も言わなかった。

 波の音だけが。

 静かに続く。

「楽しかったか?」

「え?」

「飯」

「…………」

 頭に浮かんだのは。

 料理じゃなかった。

 オムライスを前に。

 嬉しそうにしていた顔。

 バッティングセンターで。

 何度も空振りして。

 ようやく当たった時の顔。

『前です』

『飛びました』

「…………」

「湊?」

「楽しかったです」

「そうか」

「はい」

 楽しかった。

 それは。

 迷わず言える。

 むしろ。

 終わってしまうのが。

 少し。

 惜しいと思ったくらいに。

「湊」

「はい?」

「来てるぞ」

「え?」

 見ると。

 竿先が。

 小さく。

 何度も揺れている。

「あっ」

「ほら、ぼーっとすんな」

「してません」

「してただろ」

 竿を握る。

 手元に。

 確かな感触。

「……来た」

「焦るなよ」

「はい」

 リールを巻く。

 久しぶりの。

 この感覚。

 少しずつ。

 魚影が。

 水面に近づいてくる。

「見えたぞ」

「はい」

 最後に。

 竿を上げる。

「よし」

「おお。いいじゃねえか」

 久しぶりに。

 釣った魚。

 思っていたより。

 嬉しい。

 釣り上げた魚に。

 スマホを向ける。

 一枚。

 写真を撮って。

 そのまま。

 水瀬さんに送った。

『釣れました』

「…………」

 送ってから。

 気づいた。

 まただ。

 海が。

 綺麗だった時も。

 魚が。

 釣れた時も。

 真っ先に。

 水瀬さんに。

 伝えている。

 少しして。

 画面が光った。

『すごい!』

『結構大きくないですか?』

「…………」

 自然と。

 口元が緩む。

「誰に送ってんだ?」

「水瀬さんです」

「あぁ、あの巫女さんか」

「はい」

 マスターが。

 少しだけ笑う。

「……なんですか?」

「いや」

 それだけ言って。

 マスターは。

 また海を見る。

「…………」

 綺麗なものを。

 見せたい。

 嬉しいことを。

 伝えたい。

 そして。

 返事が来ると。

 嬉しい。

「…………」

 いつから。

 こうなったんだろう。

「湊」

「はい?」

「次、どうする?」

「次?」

「場所」

 マスターが。

 海の向こうを指す。

「ここでもう少し待つか。移動するか」

「ああ……」

 竿先を見る。

「もう少し、ここで待ちません?」

「そうするか」

「はい」

 マスターが。

 竿を置き直す。

「釣りってのは、待つ時間の方が長いからな」

「そうですね」

「でも」

 餌を確認しながら。

 何でもないことのように。

 続ける。

「待ってるだけじゃ、釣れない時もある」

「…………」

「場所変えたり。仕掛け変えたり」

 マスターが。

 もう一度。

 竿を振る。

「自分から動かないとな」

「…………」

「それ」

「ん?」

「釣りの話ですよね?」

「他に何の話があるんだよ」

「…………」

 マスターは。

 何事もなかったように。

 海を見る。

 待ってるだけじゃ。

 釣れない時もある。

 自分から。

 動く。

「…………」

『今度は、佐伯さんからお願いします』

 この前の。

 水瀬さんの言葉が。

 浮かんだ。

「…………」

 次は。

 俺から。

 そう約束した。

 だから。

 誘おうと思っていた。

 でも。

 本当に。

 それだけだろうか。

 約束したから。

 誘う。

 そうじゃない。

 俺が。

 誘いたい。

 また。

 一緒に出かけたい。

 今日だって。

 海を見た時。

 水瀬さんに。

 見せたいと思った。

 魚が釣れた時も。

 真っ先に。

 伝えたくなった。

「…………」

 スマホを見る。

 さっき送った。

 海の写真。

 写真でも。

 喜んでくれた。

 でも。

 次に。

 この景色を見るなら。

「…………」

 一緒に。

 見たい。

 そう。

 思った。

 その瞬間。

 今まで。

 曖昧だったものが。

 少しずつ。

 形になっていく。

 毎朝。

 会いたいと思うこと。

 笑っていると。

 嬉しいこと。

 他の男の話をされて。

 面白くなかったこと。

 会えなかった朝が。

 寂しかったこと。

 また。

 会いたいと思うこと。

「…………」

 なんだ。

 ずっと。

 答えは。

 出ていたんじゃないか。

◇

「…………」

 スマホを見る。

 佐伯さんから。

 送られてきた。

 海の写真。

 綺麗。

 そして。

 その次に。

 送られてきた。

 魚の写真。

「…………」

 佐伯さん。

 釣りもするんだ。

 知らなかった。

 また一つ。

 知れた。

 それが。

 なんだか。

 嬉しい。

 もう一度。

 海の写真を開く。

「綺麗……」

 いつか。

 行ってみたい。

 そんなことを。

 思って。

「…………」

 いや。

 待ってください。

 佐伯さんが。

 見ている景色を。

 私にも。

 見せてくれた。

 ということは。

 つまり。

 これは。

 景色の共有。

 二人だけの。

 思い出の。

 共有。

「…………」

 まだ。

 一緒に行ってません。

 落ち着いて。

 私。

恋愛経験ゼロ。

妄想の中では恋愛無双。

送られてきたのは。

海と。

魚の写真。

それだけ。

なのに。

頭の中では。

もう。

二人で。

海を見ていました。

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