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背中を押す、推し

 昼休み。


 大学の食堂。


「…………ふふっ」


「…………」


「ふふっ」


「…………」


「……ふふ」


「いろは」


「はい?」


「さっきから何ニヤニヤしてんの?」


「ニヤニヤ?」


 何のことでしょう。


「してませんよ」


「してる」


「してません」


「してるって」


「これは通常です」


「そんな通常、初めて見たけど」


「…………」


 失礼な。


 私はいつだって通常です。


 結衣は呆れたようにため息をつくと、私の手元へ視線を落とした。


「で?」


「なんですか?」


「さっきから何見てんの?」


「…………」


 私の手元。


 そこには。


 小さなアクリルスタンド。


「あ」


「ん?」


「…………」


 見つかりました。


 結衣が顔を近づける。


「ちょっと待って。それって」


「…………」


「例の限定アクスタじゃない?」


「そうです」


「え? なんで持ってんの?」


「持っていてはいけませんか?」


「いや、そうじゃなくて。それって売ってないやつでしょ?」


「それは……」


 手元のアクスタを見る。


 昨日。


 私の手に。


 これを渡してくれた人。


「……いただきました」


「誰に?」


「…………」


「誰?」


「……佐伯さんに」


「へぇー」


「…………」


 なんですか。


 その顔は。


「佐伯くんがねぇ」


「なんですか?」


「別に?」


「絶対、何かあります」


「何もないって」


 あります。


 その口元。


 少し笑っています。


「で、それで朝からニヤニヤしてたんだ?」


「だから、ニヤニヤはしていません」


「はいはい」


「それに」


 アクスタを持ち上げる。


「推しですから」


「ふーん」


「…………」


「推しが理由なんだ?」


「そうですけど?」


「そっかそっか」


「なんですか」


「別に?」


「…………」


 今日の結衣。


 なんだか腹が立ちます。


「でもさ」


「はい?」


「大学まで持ってくる?」


「…………」


 視線を逸らす。


「傷ついたらどうすんの?」


「ケースに入れてきました」


「準備万端じゃん」


「当然です」


「そこまでして持ってきたかったんだ?」


「…………」


 だって。


 嬉しかったのです。


 ずっと欲しかった。


 でも。


 普通には手に入らないもの。


 それを。


 佐伯さんが。


「……大切なものですから」


 そう答えると。


 結衣が一瞬、黙った。


「そっか」


「はい」


「大切なんだ」


「大切です」


「ふーん」


「…………」


 またです。


「何なんですか、その顔は」


「なんでもないよ」


 絶対。


 何かあります。


◇


 その日の夜。


「……さて」


 机の上。


 アクスタを置く。


「…………」


 少し右。


「……違いますね」


 少し左。


「…………」


 一歩下がって見る。


 もう少し。


 ほんの少しだけ。


「……ここです」


 決まりました。


 朝起きても見える。


 机に座っても見える。


 そして。


 日差しも直接当たらない。


「完璧です」


 満足。


 スマホを手に取り。


 一枚。


「……ふふっ」


 やっぱり。


 いいですね。


 そのままベッドに腰掛け。


 何となくSNSを開く。


 指を滑らせていると。


「……あ」


 以前から気になっていた洋食屋さん。


 ふわふわのオムライス。


 肉汁たっぷりのハンバーグ。


 昔ながらのナポリタン。


 そして。


 数量限定のプリン。


「ここ……行ってみたかったんですよね」


 場所を見る。


 大学からも。


 それほど遠くない。


「今度、結衣を……」


 メッセージアプリを開く。


 いつもなら。


 ここで結衣に送る。


『今度ここ、行きませんか?』


 それだけ。


 なのに。


「…………」


 今日は。


 指が止まった。


「……?」


 なぜでしょう。


 ふと。


 顔を上げる。


 机の上。


 さっき置いたばかりのアクスタ。


「…………」


『推しが理由なんだ?』


 昼間の結衣の言葉が浮かぶ。


「……もちろんです」


 推しだから。


 嬉しい。


 ずっと欲しかったものだから。


 大切にしたい。


 それだけです。


「…………」


 なのに。


 アクスタを見て。


 浮かんできたのは。


 推しではなく。


『なら、よかったです』


 佐伯さん。


「…………」


 昨日も。


 そうでした。


 手の中には。


 ずっと欲しかった推し。


 それなのに。


 目で追っていたのは。


 帰っていく佐伯さん。


「…………」


 いけません。


 また。


 変なことを考えています。


 視線をスマホへ戻す。


「結衣に……」


 もう一度。


 そう思った時。


「…………あ」


 そういえば。


 私。


 ちゃんとお礼をしたでしょうか。


 もちろん。


 ありがとうございますとは言いました。


 でも。


 普通には手に入らない。


 こんなに貴重なものを。


 わざわざ私のために。


「……お礼」


 その言葉で。


 思い出した。


『お詫びです』


「…………」


 あの時。


 佐伯さんは。


 そう言って。


 私を誘ってくれた。


 なら。


「……お礼だって、いいですよね?」


 これは。


 お礼。


 アクスタのお礼。


 ただ。


 一緒にランチを食べて。


 私がご馳走する。


 それだけ。


「…………」


 それだけです。


 結衣とのトーク画面を閉じる。


 そして。


 佐伯さんとの画面を開いた。


「…………」


 閉じる。


「…………」


 また開く。


「……何をしているのでしょう」


 自分でも分かりません。


 ただ。


 心臓が。


 少しだけ。


 うるさい。


『佐伯さん。今度、お時間ありますか?』


「…………」


 送信。


 ブブッ。


「早っ」


『ありますよ。どうしました?』


「…………」


 まだ。


 何も言っていません。


 ここからです。


『行ってみたい洋食屋さんがあるんですけど』


 そして。


『よかったら、一緒に行きませんか?』


「…………」


 あとは。


 送るだけ。


 それだけなのに。


 指が動かない。


 これを送れば。


 また。


 二人で。


「…………」


 視線を上げる。


 机の上。


 小さな推し。


「……お礼です」


 ぽつりと呟く。


「お礼ですから」


 送信。


「…………っ」


 スマホを伏せた。


 見ません。


 絶対に。


 ブブッ。


「早いです……」


 恐る恐る。


 画面を見る。


『いいですよ』


「…………!」


 続けて。


『いつ行きます?』


「…………」


 決まりました。


 私から誘って。


 佐伯さんと。


 二人で。


「……デート」


「…………」


「お礼です!」


 誰もいない部屋で。


 慌てて訂正した。


 机の上。


 小さな推しは。


 何も言わず。


 こちらを見ている。


「…………ありがとうございます」


 推しに。


 こんなお礼を言う日が来るなんて。


 思いませんでした。


 恋愛経験ゼロ。


 妄想の中では恋愛無双。


 昨日は。


 手の中にいた、推し。


 今日は。


 その推しに。


 背中を押されて。


 初めて。


 私から。


 誘えました。

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