触れる、記憶
◇
土曜日。
午前九時四十分。
「…………」
早い。
待ち合わせは。
十時。
分かっています。
ですが。
家にいても。
落ち着かなかったのです。
駅前。
スマホを。
確認する。
九時四十一分。
一分。
しか。
経っていません。
服。
おかしく。
ないでしょうか。
家を出る前。
何度も。
鏡を。
見ました。
お母様にも。
確認しました。
『いいんじゃない?』
それだけ。
でした。
もう少し。
何か。
あっても。
よかったのでは。
ないでしょうか。
スマホ。
九時四十三分。
あと。
十七分。
長い。
普段なら。
十七分など。
すぐなのに。
今日は。
長い。
周りを見る。
待ち合わせを。
している人。
楽しそうに。
話している。
男女。
いけません。
見ないように。
しましょう。
これは。
お詫び。
です。
デートでは。
ありません。
「水瀬さん?」
「…………!」
振り返る。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
佐伯さん。
「早いですね」
「佐伯さんも」
「俺は十分前ですけど」
スマホ。
九時五十分。
いつの間に。
「待ちました?」
「いえ」
「本当に?」
「今、来たところです」
嘘です。
二十分前です。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい」
佐伯さんが。
歩き出す。
私も。
隣へ。
神社では。
ありません。
大学でも。
ありません。
待ち合わせをして。
二人で。
同じ場所へ。
向かっています。
「水瀬さん」
「はい!」
「どうしました?」
「何がでしょう」
「いや、急に止まったから」
足まで。
止まっていました。
「すみません」
「緊張してます?」
「しておりません」
「そうですか?」
「はい」
佐伯さんが。
少し。
笑う。
「なら、いいですけど」
して。
おります。
とても。
◇
「佐伯さん」
「はい?」
「結局」
「はい」
「どちらへ?」
「ああ」
佐伯さんが。
少し。
笑う。
「もう少しだけ、内緒で」
内緒。
「遠くはないですから」
「はい」
気になります。
非常に。
気になります。
ですが。
昨日までの。
私とは。
違います。
水族館。
映画館。
遊園地。
一日中。
考えました。
そして。
何一つ。
決められませんでした。
だから。
今日は。
考えません。
佐伯さんが。
選んだ。
その場所へ。
ついて行く。
そう。
決めました。
並んで。
歩く。
少しずつ。
駅前の。
賑やかさが。
遠くなる。
「もう少しです」
「はい」
やがて。
佐伯さんの。
足が。
止まる。
「着きました」
「ここ……ですか?」
「はい」
昨日。
買った。
情報誌には。
載っていない。
場所。
佐伯さんが。
前を見る。
少しだけ。
懐かしそうな。
顔。
「ここ」
「はい」
「俺にとって」
一度。
言葉を。
止める。
「大事な場所なんです」
大事な。
場所。
「就活」
「はい」
「全然うまくいかなかった時、あったじゃないですか」
もちろん。
覚えています。
就職祈願。
それが。
私たちの。
始まり。
「何社受けてもダメで」
「自分だけ、どこにも行けないような気がして」
「そういう時」
「はい」
「よく、ここに来てたんです」
初めて。
知りました。
「ここに来たからって、何か解決するわけじゃないんですけど」
「ぼーっとしてると」
「また、やるかって思えたんです」
佐伯さんの。
大事な。
場所。
私は。
昨日。
一日かけて。
探しました。
初めて。
二人で。
行く場所。
水族館。
映画館。
遊園地。
どれも。
素敵で。
どれも。
選べなかった。
でも。
佐伯さんが。
選んだのは。
その。
どれでもなく。
「水瀬さん?」
「はい」
「すみません」
「何がですか?」
「せっかく出かけたのに、こんな場所で」
「もっと普通に、水族館とかの方がよかったですよね」
「いいえ」
「え?」
「ここで、よかったです」
水族館も。
行きたい。
映画館も。
遊園地も。
いつか。
一緒に。
行ってみたい。
でも。
今日。
最初に。
来た場所が。
ここで。
よかった。
「佐伯さんにとって」
「はい」
「大切な場所なのでしょう?」
「まあ」
少し。
照れたように。
笑う。
「そうですね」
「でしたら」
「連れてきてくださって、ありがとうございます」
佐伯さんが。
少しだけ。
目を見開く。
そして。
笑った。
「よかった」
「はい」
「水瀬さんなら」
「連れてきてもいいかなって、思ったんです」
「…………」
え。
「水瀬さん?」
今。
何と。
「少々」
「はい?」
「お待ちください」
本日。
一度目の。
脳内崩壊。
です。
◇
「ここに来ていた頃は」
「はい」
「本当に、何も決まってなかったんです」
「周りは内定決まっていくし」
「俺だけ、ずっと同じところにいる感じで」
以前。
佐伯さんが。
話してくれた。
何社。
受けても。
決まらない。
就職先。
「地元に戻るのも考えたんですけど」
「大船渡に?」
「はい」
「でも、それも」
「逃げるみたいな気がして」
「別に、戻ることが悪いわけじゃないんですけどね」
「自分がどうしたいのか、分からなかったんです」
「だから」
「はい」
「ここに来て」
佐伯さんが。
少し。
笑う。
「何も考えないようにしてました」
「考えに来ていたのではないのですか?」
「逆です」
「考えすぎてたんで」
「ここに座って」
「ぼーっとして」
「腹減ったな、とか」
「今日何食おうかな、とか」
思っていたより。
普通です。
「それで」
「帰る頃には」
「まあ、明日もやるかって」
それだけ。
なのでしょう。
きっと。
佐伯さんにとっては。
でも。
その。
それだけを。
繰り返して。
今。
ここにいる。
「連れてきていただけて」
「はい」
「やはり、よかったです」
「ありがとうございます」
「そんな大した場所じゃないですよ」
佐伯さんにとって。
大切な場所。
それを。
私に。
見せてくれた。
そのことが。
嬉しかった。
「水瀬さん」
「はい」
「そろそろ、腹減りません?」
「そうですね」
「この近くに、よく行く定食屋があるんです」
「佐伯さんが?」
「はい」
「安いし、量も多いし」
「味も、うまいです」
「行きます?」
「行きたいです」
「即答ですね」
「では」
「行きましょう」
◇
少し。
歩いて。
着いた。
定食屋。
外観は。
昔ながらの。
定食屋。
という。
言葉が。
似合います。
「ここです」
「はい」
佐伯さんが。
迷いなく。
扉を開ける。
「いらっしゃいませー」
店内。
漂う。
いい匂い。
壁には。
たくさんの。
メニュー。
焼き魚。
生姜焼き。
唐揚げ。
とんかつ。
「空いてるところ、座りましょう」
「はい」
向かいに。
座る。
「おすすめはありますか?」
「俺の?」
「はい」
「生姜焼きですね」
「では、それにします」
「早くないですか?」
「おすすめなのでしょう?」
「まあ、そうですけど」
「では、決まりです」
佐伯さんが。
少し。
笑う。
「水瀬さん、今日ずっとそんな感じですね」
「どんな感じでしょう」
「俺が言ったところ、全部すぐ決める」
確かに。
昨日は。
あれほど。
決められなかったのに。
「嫌でしたか?」
「いや」
佐伯さんが。
首を振る。
「なんか、嬉しいです」
嬉しい。
「自分が好きなところを、気に入ってもらえるの」
「まだ食べてないですけどね」
危険。
です。
何気なく。
そういうことを。
言うのは。
やめて。
いただきたい。
「水瀬さん?」
「生姜焼きにします」
「急に戻った」
「生姜焼きです」
「分かりました」
◇
運ばれてきた。
生姜焼き定食。
「いただきます」
「いただきます」
一口。
「…………!」
「どうです?」
「美味しいです」
「ですよね」
「ここの生姜焼き、結構好きなんですよ」
佐伯さんが。
よく。
食べている。
味。
同じものを。
今。
私も。
食べている。
「水瀬さん?」
「はい」
「また止まってます」
「味わっています」
「長くないですか?」
「丁寧に味わっています」
「冷めますよ」
「食べます」
美味しい。
でも。
それ以上に。
少し。
不思議。
朝まで。
私は。
佐伯さんの。
大切な場所を。
知らなかった。
この店も。
知らなかった。
好きな。
定食も。
知らなかった。
今日だけで。
少しずつ。
増えていく。
私の知らなかった。
佐伯さん。
もっと。
知りたい。
「…………!」
箸が。
止まる。
「また?」
「今度は何ですか?」
「何でもありません」
「絶対なんかあるでしょ」
「ありません」
「食べます」
危険です。
本当に。
今日は。
危険です。
◇
店を。
出る。
「ごちそうさまでした」
「うまかったですね」
「はい」
「このあと、どうします?」
このあと。
「特に決めてないんですけど」
「せっかくだし、街の方でも歩きます?」
「行きたいです」
「また即答」
「じゃあ、行きましょう」
「はい」
並んで。
歩き出す。
次は。
どこへ。
行くのでしょう。
決まっていない。
それなのに。
不安は。
ありません。
むしろ。
少し。
楽しみ。
佐伯さんと。
二人で。
歩く。
それだけで。
あ。
もしかして。
昨日。
カフェにいた。
あの人たちも。
『どこでもいいよ』
『じゃあ、適当に歩こっか』
今なら。
少しだけ。
分かる気がします。
「水瀬さん?」
「はい」
「なんか笑ってません?」
「気のせいです」
「そうですか?」
「はい」
昨日は。
まったく。
参考にならないと。
思いました。
申し訳ありません。
少しだけ。
参考に。
なりました。
◇
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
誰もが知っている。
どんなに人気な場所より。
あなたにとって。
唯一の場所。
そこで。
触れた記憶。
今日という日を。
大切にする。




