届かない、距離
翌朝。
目を覚ます。
「…………」
枕元の。
スマホを手に取る。
画面を。
確認する。
「…………」
ありません。
昨夜。
送った。
『今日、かなり忙しかったですか?』
その下には。
既読。
それだけ。
「…………」
寝てしまったのでしょうか。
帰宅して。
疲れて。
そのまま。
そういう日も。
あるでしょう。
「…………」
別に。
気にすることでは。
ありません。
スマホを置く。
顔を洗い。
着替えて。
いつものように。
朝の支度をする。
「…………」
そして。
もう一度。
スマホを見る。
「…………」
ありません。
なぜ。
また。
確認したのでしょう。
◇
境内を。
掃く。
いつもの。
朝。
箒の音。
鳥の声。
少し冷たい。
秋の空気。
「…………」
石段へ。
目を向ける。
誰も。
いません。
まだ。
少し。
早いですから。
掃除を。
続けます。
「…………」
数分後。
また。
石段を見る。
誰も。
いません。
「…………」
今日は。
遅いのでしょうか。
さらに。
数分。
「…………」
来ません。
佐伯さんが。
来ません。
「…………」
そういえば。
昨夜も。
返信が。
ありませんでした。
「…………」
まさか。
何か。
あったのでしょうか。
体調。
事故。
「…………!」
いえ。
待ってください。
なぜ。
いきなり。
そこまで。
「おはよう、いろは」
「…………!」
「え、なに?」
「お、おはようございます」
母でした。
「どうしたの?」
「何がでしょう」
「さっきから石段ばっかり見てるから」
「…………」
見て。
いたのでしょうか。
「別に」
「そう?」
「はい」
「…………」
母が。
石段を見る。
それから。
私を見る。
「今日は来ないの?」
「…………」
誰が。
とは。
聞かなくても。
分かりました。
「知りません」
「そっか」
「…………」
それだけ言って。
母は。
戻っていく。
「…………」
知りません。
そんなこと。
私が。
知るはず。
ありません。
昨日の夜から。
返事も。
ないのですから。
「…………」
もう一度。
石段を見る。
いつもなら。
そろそろ。
聞こえてくる。
足音。
「…………」
今日の朝は。
少しだけ。
静かでした。
◇
午前。
社務所。
「…………」
机の上。
スマホは。
静かなまま。
「…………」
別に。
待っているわけでは。
ありません。
ただ。
置いてあるだけです。
「…………」
画面が。
光る。
「…………!」
手を伸ばす。
『本日限定――』
「…………」
広告。
伏せる。
「何をしているんだ、いろは」
「…………!」
顔を上げる。
「お父様」
「先ほどから、随分とスマートフォンを気にしているようだが」
「気にしておりません」
「そうか」
「はい」
「ならいい」
「…………」
お父様が。
奥へ戻る。
「…………」
そんなに。
見ていたでしょうか。
◇
昼前。
「…………」
まだ。
ありません。
昨夜から。
もう。
何時間。
「…………」
いえ。
数える必要は。
ありません。
佐伯さんにも。
予定があります。
大学。
アルバイト。
就職に向けた。
準備も。
あるでしょう。
毎朝。
必ず。
神社へ来なければならない。
そんな約束を。
したわけでも。
ありません。
メッセージだって。
必ず。
返さなければならないものでは。
ありません。
「…………」
分かっています。
全部。
分かって。
います。
それなのに。
「いろはー」
「…………!」
聞こえた声に。
思わず。
立ち上がる。
「…………」
「なに?」
小宮さん。
「…………」
「え、何その顔」
「別に」
「誰だと思ったの?」
「誰とも」
「ふーん」
「何ですか」
「いや?」
小宮さんが。
こちらへ来る。
「近く通ったから寄っただけ」
「そうでしたか」
「うん」
「…………」
「で?」
「何がですか?」
「佐伯くん」
「…………」
なぜ。
いきなり。
その名前が。
出てくるのでしょう。
「今日来た?」
「…………」
「来ておりません」
「へえ」
「何ですか」
「別に」
また。
それです。
「連絡は?」
「…………」
「小宮さん」
「はい」
「なぜ、それを聞くのですか」
「昨日ちょっと変だったから」
「…………」
やはり。
小宮さんも。
そう思っていた。
「ありません」
「昨日から?」
「…………」
「はい」
「そっか」
「…………」
小宮さんが。
少しだけ。
考える。
「送らないの?」
「何をですか」
「メッセージ」
「…………」
『どうしましたか?』
『何かありましたか?』
頭には。
すぐに。
浮かびました。
ですが。
「送りません」
「なんで?」
「…………」
なぜ。
でしょう。
送りたい。
でも。
送りたくない。
「昨日」
一度。
送っています。
既読も。
ついています。
それなのに。
もう一度。
私から。
送るのは。
「…………」
「しつこいと、思われませんか」
「…………」
小宮さんが。
私を見る。
「いろは」
「はい」
「そういうところだけ、急に弱いよね」
「…………」
どういう。
意味でしょう。
「別に」
小宮さんが。
隣に座る。
「送りたいなら、送ればいいんじゃない?」
「…………」
「でも」
「うん」
「昨日のメッセージにも、まだ」
「返事がない?」
「はい」
「じゃあ待つ?」
「…………」
待つ。
その言葉に。
少しだけ。
胸が。
重くなる。
「小宮さんなら、どうしますか?」
「私?」
「はい」
「送る」
即答。
「…………」
「参考になりません」
「聞いたのいろはじゃん」
「そうですが」
「でも」
小宮さんが。
私を見る。
「いろはが送りたくないなら、送らなくていいと思うよ」
「…………」
「佐伯くんにも何かあるかもしれないし」
「そうですね」
「ただ」
「はい」
「心配なら、心配って言えば?」
「…………」
心配。
している。
のでしょうか。
昨日の。
少し違った。
佐伯さん。
返ってこない。
メッセージ。
今朝。
聞こえなかった。
足音。
「…………」
して。
います。
「…………」
スマホを。
手に取る。
メッセージを。
開く。
最後にあるのは。
昨夜。
私が送った。
『今日、かなり忙しかったですか?』
既読。
「…………」
入力欄を。
押す。
『体調でも崩されましたか?』
「…………」
違う。
消す。
『今日はお見えにならなかったので』
「…………」
これも。
違う。
消す。
『何かありましたか?』
「…………」
指が。
止まる。
「いろは」
「はい」
「何回消すの?」
「見ないでください」
「見えるんだもん」
「…………」
もう一度。
打つ。
『お忙しいところすみません。何かありましたか?』
「…………」
硬い。
消す。
「いろは」
「はい」
「神社への問い合わせじゃないんだから」
「…………」
分かっています。
ですが。
どう書けば。
「普通でいいじゃん」
「普通とは?」
「それを私に聞く時点で、もうダメだね」
「…………」
失礼な。
再び。
画面を見る。
考えて。
考えて。
結局。
残ったのは。
一言。
『大丈夫ですか?』
「…………」
これなら。
「送るの?」
「…………」
親指を。
送信の上に。
置く。
「…………」
押せば。
届きます。
たった。
それだけ。
なのに。
「…………」
押せません。
「いろは?」
「…………」
スマホを。
閉じる。
「やめました」
「そっか」
小宮さんは。
それ以上。
何も言いませんでした。
「…………」
もう少し。
待ちます。
佐伯さんにも。
何か。
事情があるかもしれません。
だから。
もう少しだけ。
「…………」
待って。
みます。
◇
夕方。
「おはようございます」
「お、佐伯くん。おはよ」
バイト先。
昨日と。
同じ。
店。
制服に着替え。
店内へ出る。
「…………」
目に入る。
昨日。
水瀬さんと。
小宮さんが。
座っていた席。
『本当に好きなんですね』
『はい』
「…………」
また。
思い出す。
「佐伯くん」
「はい?」
「そこ、もう拭けてるよ」
「…………」
見る。
さっきから。
同じ場所を。
何度も。
拭いていた。
「すみません」
「今日どうしたの?」
「何がですか?」
「なんか変」
「…………」
「昨日来てた子と、なんかあった?」
「…………」
「あ、その顔」
「何ですか」
「水瀬さん?」
「…………はい」
「なんかあった?」
「何かあったというか」
「うん」
「…………」
少し。
迷う。
こんなこと。
人に話すようなことでも。
ない気がする。
「井上さん」
「ん?」
「ちょっと聞いてもいいですか」
「いいよ」
「…………」
「なに、その間」
「いや」
どう。
話せばいいんだ。
「昨日」
「うん」
「水瀬さん、ライブ行ってたじゃないですか」
「言ってたね」
「そのあと、店に来て」
「うん」
「ずっと」
「ずっと?」
「推しの話してて」
「…………」
井上さんが。
俺を見る。
「楽しそうだった?」
「かなり」
「いいじゃん」
「そうなんですけど」
「うん」
「…………」
そこから。
先が。
言いづらい。
「サイン入りのタオルが当たったらしくて」
「すごいじゃん」
「ライブ中に、それ見せたら」
「うん」
「本人に気づいてもらって」
「へえ」
「ファンサも、もらったみたいで」
「それは嬉しいでしょ」
「…………」
「で?」
「ラジオにもメール送ってました」
「行動早いね」
「来週以降、全部聴くって」
「ガチだ」
「…………」
「佐伯くん」
「はい」
「さっきから何の報告?」
「…………」
確かに。
何の。
報告なんだ。
「いや」
「うん」
「それを見てたら」
「うん」
「なんか」
「…………」
言いたくない。
でも。
ここまで話して。
やめる方が。
もっと。
恥ずかしい。
「面白くなくて」
「…………」
井上さんが。
黙る。
「笑わないでください」
「まだ笑ってないよ」
「今から笑う顔してます」
「してないって」
「…………」
少しだけ。
口元が。
上がっている。
「で?」
「それだけです」
「それだけ?」
「はい」
「それで昨日、水瀬さんにちょっと冷たくした?」
「…………」
「したんだ」
「冷たくしたつもりは」
「じゃあ普通に話した?」
「…………」
話して。
いない。
「メッセージは?」
「来ました」
「返した?」
「一回だけ」
「そのあと」
「…………」
「佐伯くん?」
「返してません」
「うわ」
「…………」
その一文字。
やめてほしい。
「今日、神社は?」
「…………」
「行ってないんだ」
「はい」
「うわあ」
「増やさないでください」
「だって」
井上さんが。
少し笑う。
「佐伯くん」
「はい」
「めちゃくちゃ分かりやすいよ」
「…………」
「何がですか」
「それ、本当に分かってない?」
「…………」
分かっていたら。
こんなところで。
相談なんて。
していない。
「分からないから、聞いてるんです」
「そっか」
井上さんが。
少しだけ。
考える。
「じゃあ聞くけど」
「はい」
「水瀬さんが楽しそうだったことが嫌だった?」
「…………」
違う。
楽しそうなのは。
よかった。
「違います」
「じゃあ、ライブに行ったこと?」
「それも違います」
「ファンサもらったこと?」
「…………」
少し。
引っかかる。
「たぶん」
「たぶん?」
「それだけじゃないです」
「じゃあ何?」
「…………」
何。
なんだろう。
サイン。
ファンサ。
ラジオ。
それだけじゃない。
一番。
引っかかったのは。
『本当に好きなんですね』
『はい』
迷いのない。
あの返事。
「…………」
「好きって」
「ん?」
「すぐ答えたんです」
「水瀬さんが?」
「はい」
「推しのこと?」
「はい」
「…………」
井上さんが。
俺を見る。
そして。
少しだけ。
笑った。
「なるほどね」
「何ですか」
「いや」
「…………」
「佐伯くん」
「はい」
「それ」
少し。
間を置いて。
「嫉妬じゃない?」
「…………」
嫉妬。
その言葉が。
昨日から。
形のなかったものに。
妙に。
しっくりきた。
「…………」
「芸能人に?」
「そこ気にする?」
「気にしますよ」
「じゃあ違うってことにする?」
「…………」
できるなら。
そうしたい。
でも。
昨日からの。
自分を。
思い返す。
返信しなかった。
神社にも。
行かなかった。
それでも。
水瀬さんから。
連絡が来ていないか。
何度も。
スマホを見た。
「…………」
「井上さん」
「ん?」
「俺」
「うん」
「めちゃくちゃダサくないですか」
「うん」
「即答」
「そこは自信持って言える」
「…………」
相談する人を。
間違えたかもしれない。
「で」
井上さんが。
俺を見る。
「水瀬さん、何か悪いことした?」
「…………」
していない。
何も。
「してません」
「だよね」
「はい」
「じゃあ、どうするの?」
「…………」
スマホを。
見る。
昨夜から。
返していない。
メッセージ。
『今日、かなり忙しかったですか?』
「返さないの?」
「…………」
少し。
考える。
今さら。
『忙しかったです』
なんて。
送れない。
忙しくて。
返さなかったわけじゃない。
「明日」
「ん?」
「神社、行きます」
「そっか」
「…………」
逃げたのは。
俺だ。
だったら。
ちゃんと。
会って。
話したい。
何を。
どこまで。
話すのかは。
まだ。
決めていない。
「佐伯くん」
「はい?」
「明日はちゃんと走ってきなよ」
「…………」
「いつもみたいに」
「はい」
明日の朝。
いつもの。
石段を。
上る。
今は。
それだけ。
決めた。
◇
夜。
「…………」
スマホを。
見る。
まだ。
ありません。
『今日、かなり忙しかったですか?』
既読。
その下には。
何も。
ありません。
「…………」
以前。
佐伯さんが。
神社へ。
来なかった時。
私は。
待つことしか。
できませんでした。
連絡先も。
知らない。
どこにいるのかも。
分からない。
何があったのかも。
聞けない。
ただ。
石段を。
見つめて。
待つことしか。
できなかった。
「…………」
あの時は。
連絡先さえ。
知っていれば。
そう。
思いました。
でも。
今は。
知っています。
いつでも。
送れます。
声を。
かけられます。
「…………」
なのに。
送れない。
送った言葉にも。
返事がない。
画面の向こうに。
佐伯さんがいることを。
知っているから。
「…………」
知らなかった時より。
近くなったはずなのに。
どうして。
こんなに。
遠く感じるのでしょう。
「…………」
スマホを。
伏せる。
◇
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
知らなかった頃は。
連絡先さえ知っていれば。
解決すると思っていた。
でも。
知った今は。
近づくほど。
増えていく。
知らなかった。
苦しさ。




