↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
38/78

踏み入る、日常

大学祭、当日。


「いろは」

「…………」

「いろは?」

「はい」


待ち合わせ場所。

小宮さんが、

私をじっと見ている。


「な、なんでしょう」

「いや」

「ちゃんと完全装備だなと思って」

「…………っ」

「服の話だよ?」

「分かっております」

「ほんとに?」

「分かっております!」


朝から。

この方は。

油断なりません。


「ほら、行こ」

「はい」


歩き出す。


佐伯さんの大学まで、

あと少し。


「…………」


近づくにつれて。

学生らしき人が、

増えていく。


楽しそうに話す人。

友人と歩く人。

大学祭のパンフレットを、

手にしている人。


その中に。

普段の佐伯さんも、

いるのでしょう。


「…………」


神社ではない。

カフェでもない。


私の知らない。

佐伯さんの、

日常。


「いろは」

「はい?」


小宮さんが、

前を指差す。


「着いたよ」

「…………」


顔を上げる。


大学の正門。

その向こうには。


たくさんの人。

たくさんの声。


そして。

どこかに。

佐伯さんがいる。


「…………」


いざ。

です。


「まず、どこ行く?」


小宮さんが、

パンフレットを見る。


「佐伯さんのところへ」

「即答」


「…………」


「焼きそばが気になっただけです」

「朝ごはん食べたよね?」

「食べました」

「ふーん」

「…………」


歩いていくと。


鉄板の前に。

エプロン姿の、

佐伯さん。


「湊、次これお願い!」

「分かった」

「あと紅しょうが足りない!」

「さっき出しただろ」

「もうないの」

「早すぎだろ」

「だって売れてんじゃん」


「…………」


湊。


今。

佐伯さんのことを。


湊、と。


「大学の友達なら普通じゃない?」

「…………」

「私だって、いろはって呼ぶし」

「何も申しておりません」

「ふーん」

「…………」


焼きそばの香りが。

先ほどより少しだけ。

気にならなくなりました。


「湊」

「ん?」

「これ終わったら、ちょっと休憩しない?」

「いいけど」

「じゃあ後でね」

「おう」


「…………」


後で。

休憩。


二人で。


いえ。

他の方もいるかもしれません。


休憩くらい。

普通です。


「いろは」

「はい」

「歩くの遅くなってる」

「なっておりません」

「別に?」

「…………」


また。

それです。


「いらっしゃいませー!」


声が飛び交う中。


「あ」


佐伯さんと、

目が合う。


「水瀬さん」


佐伯さんが、

笑う。


こちらへ、

歩いてくる。


「来てくれたんですね」

「はい」

「ありがとうございます」


「…………」


いつもの。

佐伯さん。


それだけで。


先ほどまでの。

名前のない何かが。


少しだけ。

薄くなる。


「小宮さんも」

「こんにちは」

「こんにちは」


「水瀬さん」

「はい」

「今日」

「…………」

「いつもと雰囲気、違いますね」

「…………!」


雰囲気。


「その服」

「すごく似合ってます」

「…………」


服。

ですよね。


当然です。


「なんか」


佐伯さんが、

私を見る。


「いつもより、大人っぽいというか」

「…………っ!?」


大人っぽい。


「水瀬さん?」


待ってください。


まさか。


『中から整えるの』


「…………」


いえ。

そんなはずは。

ありません。


見えるはずが。


「どうしました?」

「み、見えておりませんよね?」

「え?」

「…………」

「何がですか?」

「…………」


終わりました。


私は今。

自ら。

何かあると、

申告しました。


「いろは」


隣から。

小宮さんの声。


「はい」

「大丈夫」

「…………?」


小宮さんが、

私の肩に手を置く。


そして。

とても優しい顔で。


「服の上から下着は見えないから」

「小宮さんっ!!」

「下着?」

「佐伯さんは聞かないでください!」

「いや、今」

「聞かないでください!」

「…………」


佐伯さんが。

困っています。


当然です。


「中から整えたもんね?」

「小宮さん!!」

「ぶっ……」

「佐伯さんも笑わないでください!」


最悪です。


大学祭。

到着して。

まだ。

数分です。


「ご、ご注文は?」


話を。

変えましょう。


今すぐに。


「焼きそば二つ」

「小宮さん」

「ん?」

「私が聞かれました」

「じゃあ、いろはは?」

「…………」


佐伯さんを見る。


「焼きそばを」

「一つ?」

「はい」

「分かりました」


佐伯さんが、

笑いながら鉄板へ戻る。


「…………」


その隣には。


先ほどの、

女の人。


「湊、注文入った?」

「二つ」

「了解」

「…………」


また。


湊。


「いろは」

「はい」

「下着より、そっちが気になる?」

「…………」

「小宮さん」

「なに?」

「今日」

「先に帰っていただいても、

よろしいでしょうか」

「まだ焼きそばも食べてないんだけど」

「…………」


本当に。


連れてくるのでは、

ありませんでした。


「はい、お待たせ」


佐伯さんが、

焼きそばを差し出す。


「ありがとうございます」


受け取ろうとすると。


「湊」

「ん?」


隣の女性が、

こちらを見る。


「友達?」

「うん」

「…………」


友達。


「へえ」


女性が、

少し笑う。


「初めて見た」

「大学の友達じゃないから」

「そっか」

「…………」


初めて。


それは。


向こうも。

同じなのですね。


「水瀬さん」

「はい?」

「こっち、大学の友達です」

「初めまして」

「初めまして」


頭を下げる。


普通に。

感じの良い方です。


「…………」


だからこそ。

困ります。


嫌なところがあれば。


この。

よく分からない気持ちを。


そのせいに、

できたのですが。


「じゃあ湊」


女性が、

鉄板の方を見る。


「私、飲み物取ってくるね」

「分かった」

「あとで休憩ね」

「おう」


「…………」


あとで。


やはり。

二人で。


「…………」


女性が離れていく。


その背中を。

少しだけ、

目で追ってしまう。


「水瀬さん?」

「はい」

「どうかしました?」

「いえ」

「…………」


聞いて。

どうするのでしょう。


あの方とは。

仲が良いのですか、と。


二人で。

休憩するのですか、と。


「…………」


聞けません。


そんなこと。


私には。

何の関係も。


「いろは」


小宮さんが、

焼きそばを一口。


「これ、美味しいよ」

「…………」

「食べないの?」

「食べます」


一口。


「…………」


美味しい。


悔しいくらい。

普通に。

美味しいです。


「どうですか?」


佐伯さんが、

少し期待するように聞く。


「…………」

「美味しいです」

「よかった」


嬉しそうに、

笑う。


「…………」


やはり。

分かりません。


先ほどまで。

胸の奥にあったものが。


佐伯さんが笑うだけで。


少し。

小さくなるのです。


「佐伯」


後ろから、

声が飛ぶ。


「悪い、ちょっと来て!」

「あ、今行く」


佐伯さんが、

こちらを見る。


「すみません」

「いえ」

「ゆっくり見て回ってください」

「はい」

「俺も、あとで少し抜けられると思うんで」

「…………」


あとで。


「その時」


佐伯さんが、

少し笑う。


「一緒に回りませんか?」

「…………!」


一緒に。


「はい」


考えるより先に、

答えていました。


「じゃあ、連絡します」

「はい」


佐伯さんが、

戻っていく。


その背中を見送る。


「…………」


「よかったね」

「っ」


隣を見る。


小宮さんが。

焼きそばを食べながら、

笑っている。


「何がですか」

「休憩」

「…………」


休憩。


そういえば。

先ほど。

あの方とも。


「…………」


「いろは」

「はい」

「また顔変わった」

「変わっておりません」

「忙しいねえ」

「何がですか」

「中から整えたのに」

「小宮さん」

「はい」

「帰しますよ」

「いろはにそんな権限ある?」

「…………」


ありません。


非常に。

悔しいです。


◇


焼きそばを食べ終え。


小宮さんと、

大学祭を回る。


教室の展示。

ステージ。

模擬店。


どこも。


私の大学祭と、

大きくは変わりません。


それなのに。


「…………」


不思議です。


ここを。

佐伯さんが、

毎日のように歩いている。


そう思うだけで。


少しだけ。

違って見える。


「いろは」

「はい」

「楽しそうだね」

「そう見えますか?」

「うん」

「…………」


その時。


スマホが、

震えた。


『水瀬さん』

『今、休憩入れました』


「…………!」


『どこにいます?』


「小宮さん」

「はいはい」

「佐伯さんが」

「分かってる」

「まだ何も言っておりません」

「顔見れば分かるって」

「…………」


そんなに。

分かりやすいのでしょうか。


私。


『今、模擬店の近くにおります』


送信。


すぐに。


『じゃあ、そっち行きます』


「…………」


来る。


佐伯さんが。


「じゃ」


小宮さんが、

パンフレットを畳む。


「私、一人で回ってくるね」

「え?」

「気になるところ、あったし」

「ですが」

「大丈夫」


小宮さんが、

少し笑う。


「あとで合流しよ」

「…………」

「それまで」

「佐伯くんに案内してもらいなよ」

「…………」


佐伯さんと。

二人で。


「小宮さん」

「ん?」

「最初から、そのつもりでしたか?」

「さあ?」

「…………」


答える気は。

ないようです。


「じゃ、またあとで」


手を振って。


小宮さんが、

人混みの中へ消えていく。


「…………」


一人。

残されました。


いえ。


もうすぐ。


二人に、

なります。


「水瀬さん」

「…………!」


声に振り向く。


人混みの向こうから。


佐伯さんが、

こちらへ歩いてくる。


「すみません、お待たせしました」

「いえ」

「小宮さんは?」

「一人で見て回ると」

「あ、そうなんですね」

「はい」

「…………」

「…………」


二人。

です。


「じゃあ」


佐伯さんが、

パンフレットを覗き込む。


「どこか、行きたいところあります?」

「…………」


近い。


「水瀬さん?」

「は、はい」

「何か気になるところとか」

「そうですね」


パンフレットを見る。


見ます。


見ているのですが。


「…………」


文字が。

まったく。

頭に入ってきません。


「おすすめは、ありますか?」

「俺の?」

「はい」

「じゃあ」


佐伯さんが、

少し考える。


「俺がよくいるところから、案内します」

「…………」


佐伯さんが。

普段、いるところ。


「お願いします」


神社では。

私の日常を。

見てもらいました。


今度は。


私が。

佐伯さんの日常を、

歩いていきます。


◇


「ここが、講義棟です」

「講義棟」

「普段は、この辺にいることが多いですね」


佐伯さんの隣を、

歩く。


すれ違う学生たち。

掲示板。

並んだ教室。


「…………」


ここで。

佐伯さんは。


授業を受けて。

友人と話して。

就職活動をして。


あの日も。

きっと。


「佐伯さん」

「はい?」

「就職活動をされていた頃も」

「ここに?」

「ああ」


佐伯さんが、

少し笑う。


「ここから面接行ったこともありますよ」

「…………」

「落ちた日も、普通に次の日ここ来てましたし」

「そう、だったのですね」


知らなかった。


神社へ来る前の。

佐伯さん。


私が知っていたのは。


石段を上ってきて。

祈って。

少し困ったように笑う。


その姿だけ。


「…………」


あの頃。


私は。


佐伯さんのことを。

ほとんど。


知らなかったのですね。


「こっちが、図書館です」

「よく利用されるのですか?」

「就活中は、結構」

「エントリーシート書いたり」

「企業調べたり」

「そうだったのですね」

「あの頃は、ここにいる時間も長かったですね」

「…………」


私の知らない。


あの頃の、

佐伯さん。


神社へ来るまでにも。


佐伯さんには、

佐伯さんの日常があった。


◇


「次は」


佐伯さんが、

少し先を指差す。


「学食、行ってみます?」

「学食」

「今日も一部だけ開いてるんです」

「ぜひ」


建物に入り。


並んだテーブルを、

眺める。


「ここで、お昼を?」

「結構食べますね」

「何を召し上がるのですか?」

「日替わりとか」

「なるほど」

「あと、カレー」

「カレー」

「安いんですよ」

「重要ですね」

「重要です」

「…………」


なんだか。


とても。

普通です。


「…………」


でも。


その普通が。

少し、嬉しい。


「佐伯」


不意に。

声が飛んできた。


「ん?」


振り向くと。


数人の学生が、

こちらを見ている。


そのうちの一人が、

佐伯さんに近づいてきた。


「あれ?」


そして。

私を見る。


「もしかして」

「この前言ってた、

呼ぼうか迷ってた人?」

「…………」


え。


「おい」


佐伯さんが、

少し慌てる。


「余計なこと言うなよ」

「だって、お前」

「いいから」

「…………」


呼ぼうか。

迷っていた。


「水瀬さん」

「は、はい」

「こいつ、同じゼミの友達です」

「初めまして」

「初めまして」


頭を下げる。


すると。


「佐伯が誰か学祭に呼ぶなんて珍しいから」

「お前ほんと黙れ」

「…………」


珍しい。


「じゃ、ごゆっくり」

「だから」


友人は。


楽しそうに笑いながら、

去っていく。


「…………」


「すみません」

「いえ」

「変なこと言って」

「いえ」

「…………」

「…………」


聞きたい。


呼ぼうか。

迷っていた。


それは。


どういう意味なのか。


けれど。


聞いたら。


何かが。

変わってしまいそうで。


「水瀬さん?」

「はい」

「次、行きます?」

「…………」

「はい」


今は。


もう少しだけ。


知らない佐伯さんを。

見ていたい。


◇


少し歩くと。


外から、

大きな歓声が聞こえた。


「何でしょう」

「ステージですね」

「ステージ?」

「軽音とか、ダンスとか」


佐伯さんと並んで、

外へ出る。


人だかりの向こう。


ステージの上で、

学生たちが踊っている。


「…………」


「見ていきます?」

「はい」


少し離れた場所で、

足を止める。


音楽。

歓声。

拍手。


その中で。


「…………」


ふと。


隣を見る。


佐伯さんは、

ステージを見ている。


「…………」


大学祭。


来てみたかったのは。


佐伯さんの大学を、

知りたかったから。


そのはずです。


けれど。


今。


ステージよりも。


隣にいる人を、

見ている時間の方が。


長い気がします。


「水瀬さん」

「っ」


佐伯さんが、

こちらを向く。


「はい?」

「…………」


目が合う。


「いや」


少し笑って。


「楽しんでもらえてるかなって」

「…………」

「はい」


それは。


間違いなく。


「とても」


曲が終わり。


大きな拍手が、

広がる。


「すごかったですね」

「ですね」


人が動き始める。


私たちも、

その流れに合わせて歩き出す。


「…………」


すると。


「あ」


佐伯さんが、

足を止めた。


「水瀬さん」

「はい?」

「すみません」


スマホを見る。


「そろそろ戻らないと」

「…………」


もう。


「休憩、終わりですか?」

「はい」

「そうですか」

「…………」


短かった。


そう思ってしまったことに。


自分で、

少し驚く。


「でも」


佐伯さんが、

こちらを見る。


「来てくれて、よかったです」

「…………」

「水瀬さんに」


少しだけ、

間を置いて。


「俺の大学、見てもらえて」

「…………」


秋祭りの日。


私も。


同じようなことを、

思っていました。


私のいる場所を。


佐伯さんに、

見てもらえたことが。


嬉しかった。


「私も」

「はい?」

「来られて、よかったです」


そして。


今日。


少しだけ。


佐伯さんのことを。


知れた気がします。


「じゃあ」


佐伯さんが、

少し名残惜しそうに笑う。


「戻ります」

「はい」

「小宮さんにも、よろしく伝えてください」

「分かりました」

「それと」

「はい?」

「また、明日」

「…………」


いつもの言葉。


大学で聞くと。


少しだけ。

違って聞こえる。


「はい」

「また、明日」


佐伯さんが、

人混みの中へ戻っていく。


「…………」


その背中を。


見えなくなるまで、

目で追う。


神社では。


私が待つ側で。


佐伯さんが、

来る人でした。


今日は。


私が。


佐伯さんのいる場所へ、

来た。


「…………」


また一つ。


佐伯さんを。


知りました。


◇


「いろはー」


聞き慣れた声。


振り向く。


小宮さんが、

片手に何かを持って歩いてくる。


「小宮さん」

「終わった?」

「はい」

「そっか」


私の顔を、

じっと見る。


「…………」

「なんですか」

「楽しかった?」

「はい」

「へえ」

「何ですか、その反応は」

「別に?」

「…………」


また。


それです。


「で?」

「何がですか」

「佐伯くんの大学」

「…………」


改めて。


辺りを見る。


たくさんの学生。

校舎。

模擬店。


遠くから聞こえる、

ステージの音。


「少し」

「うん」

「分かった気がします」

「佐伯くんのこと?」

「…………」

「はい」


小宮さんが、

少しだけ笑う。


今度は。


からかうような笑いでは、

ありませんでした。


「そっか」

「…………」


知らなかった場所を。


一つ知った。


それだけなのに。


佐伯さんが。


昨日より少し。


近くなった気がしました。


恋愛経験ゼロ。

妄想の中では恋愛無双。


知らなかった場所。


知らなかった時間。


知らなかった、

あなた。


少しだけ。

覗いた。

日常。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。