踏み入る、日常
大学祭、当日。
「いろは」
「…………」
「いろは?」
「はい」
待ち合わせ場所。
小宮さんが、
私をじっと見ている。
「な、なんでしょう」
「いや」
「ちゃんと完全装備だなと思って」
「…………っ」
「服の話だよ?」
「分かっております」
「ほんとに?」
「分かっております!」
朝から。
この方は。
油断なりません。
「ほら、行こ」
「はい」
歩き出す。
佐伯さんの大学まで、
あと少し。
「…………」
近づくにつれて。
学生らしき人が、
増えていく。
楽しそうに話す人。
友人と歩く人。
大学祭のパンフレットを、
手にしている人。
その中に。
普段の佐伯さんも、
いるのでしょう。
「…………」
神社ではない。
カフェでもない。
私の知らない。
佐伯さんの、
日常。
「いろは」
「はい?」
小宮さんが、
前を指差す。
「着いたよ」
「…………」
顔を上げる。
大学の正門。
その向こうには。
たくさんの人。
たくさんの声。
そして。
どこかに。
佐伯さんがいる。
「…………」
いざ。
です。
「まず、どこ行く?」
小宮さんが、
パンフレットを見る。
「佐伯さんのところへ」
「即答」
「…………」
「焼きそばが気になっただけです」
「朝ごはん食べたよね?」
「食べました」
「ふーん」
「…………」
歩いていくと。
鉄板の前に。
エプロン姿の、
佐伯さん。
「湊、次これお願い!」
「分かった」
「あと紅しょうが足りない!」
「さっき出しただろ」
「もうないの」
「早すぎだろ」
「だって売れてんじゃん」
「…………」
湊。
今。
佐伯さんのことを。
湊、と。
「大学の友達なら普通じゃない?」
「…………」
「私だって、いろはって呼ぶし」
「何も申しておりません」
「ふーん」
「…………」
焼きそばの香りが。
先ほどより少しだけ。
気にならなくなりました。
「湊」
「ん?」
「これ終わったら、ちょっと休憩しない?」
「いいけど」
「じゃあ後でね」
「おう」
「…………」
後で。
休憩。
二人で。
いえ。
他の方もいるかもしれません。
休憩くらい。
普通です。
「いろは」
「はい」
「歩くの遅くなってる」
「なっておりません」
「別に?」
「…………」
また。
それです。
「いらっしゃいませー!」
声が飛び交う中。
「あ」
佐伯さんと、
目が合う。
「水瀬さん」
佐伯さんが、
笑う。
こちらへ、
歩いてくる。
「来てくれたんですね」
「はい」
「ありがとうございます」
「…………」
いつもの。
佐伯さん。
それだけで。
先ほどまでの。
名前のない何かが。
少しだけ。
薄くなる。
「小宮さんも」
「こんにちは」
「こんにちは」
「水瀬さん」
「はい」
「今日」
「…………」
「いつもと雰囲気、違いますね」
「…………!」
雰囲気。
「その服」
「すごく似合ってます」
「…………」
服。
ですよね。
当然です。
「なんか」
佐伯さんが、
私を見る。
「いつもより、大人っぽいというか」
「…………っ!?」
大人っぽい。
「水瀬さん?」
待ってください。
まさか。
『中から整えるの』
「…………」
いえ。
そんなはずは。
ありません。
見えるはずが。
「どうしました?」
「み、見えておりませんよね?」
「え?」
「…………」
「何がですか?」
「…………」
終わりました。
私は今。
自ら。
何かあると、
申告しました。
「いろは」
隣から。
小宮さんの声。
「はい」
「大丈夫」
「…………?」
小宮さんが、
私の肩に手を置く。
そして。
とても優しい顔で。
「服の上から下着は見えないから」
「小宮さんっ!!」
「下着?」
「佐伯さんは聞かないでください!」
「いや、今」
「聞かないでください!」
「…………」
佐伯さんが。
困っています。
当然です。
「中から整えたもんね?」
「小宮さん!!」
「ぶっ……」
「佐伯さんも笑わないでください!」
最悪です。
大学祭。
到着して。
まだ。
数分です。
「ご、ご注文は?」
話を。
変えましょう。
今すぐに。
「焼きそば二つ」
「小宮さん」
「ん?」
「私が聞かれました」
「じゃあ、いろはは?」
「…………」
佐伯さんを見る。
「焼きそばを」
「一つ?」
「はい」
「分かりました」
佐伯さんが、
笑いながら鉄板へ戻る。
「…………」
その隣には。
先ほどの、
女の人。
「湊、注文入った?」
「二つ」
「了解」
「…………」
また。
湊。
「いろは」
「はい」
「下着より、そっちが気になる?」
「…………」
「小宮さん」
「なに?」
「今日」
「先に帰っていただいても、
よろしいでしょうか」
「まだ焼きそばも食べてないんだけど」
「…………」
本当に。
連れてくるのでは、
ありませんでした。
「はい、お待たせ」
佐伯さんが、
焼きそばを差し出す。
「ありがとうございます」
受け取ろうとすると。
「湊」
「ん?」
隣の女性が、
こちらを見る。
「友達?」
「うん」
「…………」
友達。
「へえ」
女性が、
少し笑う。
「初めて見た」
「大学の友達じゃないから」
「そっか」
「…………」
初めて。
それは。
向こうも。
同じなのですね。
「水瀬さん」
「はい?」
「こっち、大学の友達です」
「初めまして」
「初めまして」
頭を下げる。
普通に。
感じの良い方です。
「…………」
だからこそ。
困ります。
嫌なところがあれば。
この。
よく分からない気持ちを。
そのせいに、
できたのですが。
「じゃあ湊」
女性が、
鉄板の方を見る。
「私、飲み物取ってくるね」
「分かった」
「あとで休憩ね」
「おう」
「…………」
あとで。
やはり。
二人で。
「…………」
女性が離れていく。
その背中を。
少しだけ、
目で追ってしまう。
「水瀬さん?」
「はい」
「どうかしました?」
「いえ」
「…………」
聞いて。
どうするのでしょう。
あの方とは。
仲が良いのですか、と。
二人で。
休憩するのですか、と。
「…………」
聞けません。
そんなこと。
私には。
何の関係も。
「いろは」
小宮さんが、
焼きそばを一口。
「これ、美味しいよ」
「…………」
「食べないの?」
「食べます」
一口。
「…………」
美味しい。
悔しいくらい。
普通に。
美味しいです。
「どうですか?」
佐伯さんが、
少し期待するように聞く。
「…………」
「美味しいです」
「よかった」
嬉しそうに、
笑う。
「…………」
やはり。
分かりません。
先ほどまで。
胸の奥にあったものが。
佐伯さんが笑うだけで。
少し。
小さくなるのです。
「佐伯」
後ろから、
声が飛ぶ。
「悪い、ちょっと来て!」
「あ、今行く」
佐伯さんが、
こちらを見る。
「すみません」
「いえ」
「ゆっくり見て回ってください」
「はい」
「俺も、あとで少し抜けられると思うんで」
「…………」
あとで。
「その時」
佐伯さんが、
少し笑う。
「一緒に回りませんか?」
「…………!」
一緒に。
「はい」
考えるより先に、
答えていました。
「じゃあ、連絡します」
「はい」
佐伯さんが、
戻っていく。
その背中を見送る。
「…………」
「よかったね」
「っ」
隣を見る。
小宮さんが。
焼きそばを食べながら、
笑っている。
「何がですか」
「休憩」
「…………」
休憩。
そういえば。
先ほど。
あの方とも。
「…………」
「いろは」
「はい」
「また顔変わった」
「変わっておりません」
「忙しいねえ」
「何がですか」
「中から整えたのに」
「小宮さん」
「はい」
「帰しますよ」
「いろはにそんな権限ある?」
「…………」
ありません。
非常に。
悔しいです。
◇
焼きそばを食べ終え。
小宮さんと、
大学祭を回る。
教室の展示。
ステージ。
模擬店。
どこも。
私の大学祭と、
大きくは変わりません。
それなのに。
「…………」
不思議です。
ここを。
佐伯さんが、
毎日のように歩いている。
そう思うだけで。
少しだけ。
違って見える。
「いろは」
「はい」
「楽しそうだね」
「そう見えますか?」
「うん」
「…………」
その時。
スマホが、
震えた。
『水瀬さん』
『今、休憩入れました』
「…………!」
『どこにいます?』
「小宮さん」
「はいはい」
「佐伯さんが」
「分かってる」
「まだ何も言っておりません」
「顔見れば分かるって」
「…………」
そんなに。
分かりやすいのでしょうか。
私。
『今、模擬店の近くにおります』
送信。
すぐに。
『じゃあ、そっち行きます』
「…………」
来る。
佐伯さんが。
「じゃ」
小宮さんが、
パンフレットを畳む。
「私、一人で回ってくるね」
「え?」
「気になるところ、あったし」
「ですが」
「大丈夫」
小宮さんが、
少し笑う。
「あとで合流しよ」
「…………」
「それまで」
「佐伯くんに案内してもらいなよ」
「…………」
佐伯さんと。
二人で。
「小宮さん」
「ん?」
「最初から、そのつもりでしたか?」
「さあ?」
「…………」
答える気は。
ないようです。
「じゃ、またあとで」
手を振って。
小宮さんが、
人混みの中へ消えていく。
「…………」
一人。
残されました。
いえ。
もうすぐ。
二人に、
なります。
「水瀬さん」
「…………!」
声に振り向く。
人混みの向こうから。
佐伯さんが、
こちらへ歩いてくる。
「すみません、お待たせしました」
「いえ」
「小宮さんは?」
「一人で見て回ると」
「あ、そうなんですね」
「はい」
「…………」
「…………」
二人。
です。
「じゃあ」
佐伯さんが、
パンフレットを覗き込む。
「どこか、行きたいところあります?」
「…………」
近い。
「水瀬さん?」
「は、はい」
「何か気になるところとか」
「そうですね」
パンフレットを見る。
見ます。
見ているのですが。
「…………」
文字が。
まったく。
頭に入ってきません。
「おすすめは、ありますか?」
「俺の?」
「はい」
「じゃあ」
佐伯さんが、
少し考える。
「俺がよくいるところから、案内します」
「…………」
佐伯さんが。
普段、いるところ。
「お願いします」
神社では。
私の日常を。
見てもらいました。
今度は。
私が。
佐伯さんの日常を、
歩いていきます。
◇
「ここが、講義棟です」
「講義棟」
「普段は、この辺にいることが多いですね」
佐伯さんの隣を、
歩く。
すれ違う学生たち。
掲示板。
並んだ教室。
「…………」
ここで。
佐伯さんは。
授業を受けて。
友人と話して。
就職活動をして。
あの日も。
きっと。
「佐伯さん」
「はい?」
「就職活動をされていた頃も」
「ここに?」
「ああ」
佐伯さんが、
少し笑う。
「ここから面接行ったこともありますよ」
「…………」
「落ちた日も、普通に次の日ここ来てましたし」
「そう、だったのですね」
知らなかった。
神社へ来る前の。
佐伯さん。
私が知っていたのは。
石段を上ってきて。
祈って。
少し困ったように笑う。
その姿だけ。
「…………」
あの頃。
私は。
佐伯さんのことを。
ほとんど。
知らなかったのですね。
「こっちが、図書館です」
「よく利用されるのですか?」
「就活中は、結構」
「エントリーシート書いたり」
「企業調べたり」
「そうだったのですね」
「あの頃は、ここにいる時間も長かったですね」
「…………」
私の知らない。
あの頃の、
佐伯さん。
神社へ来るまでにも。
佐伯さんには、
佐伯さんの日常があった。
◇
「次は」
佐伯さんが、
少し先を指差す。
「学食、行ってみます?」
「学食」
「今日も一部だけ開いてるんです」
「ぜひ」
建物に入り。
並んだテーブルを、
眺める。
「ここで、お昼を?」
「結構食べますね」
「何を召し上がるのですか?」
「日替わりとか」
「なるほど」
「あと、カレー」
「カレー」
「安いんですよ」
「重要ですね」
「重要です」
「…………」
なんだか。
とても。
普通です。
「…………」
でも。
その普通が。
少し、嬉しい。
「佐伯」
不意に。
声が飛んできた。
「ん?」
振り向くと。
数人の学生が、
こちらを見ている。
そのうちの一人が、
佐伯さんに近づいてきた。
「あれ?」
そして。
私を見る。
「もしかして」
「この前言ってた、
呼ぼうか迷ってた人?」
「…………」
え。
「おい」
佐伯さんが、
少し慌てる。
「余計なこと言うなよ」
「だって、お前」
「いいから」
「…………」
呼ぼうか。
迷っていた。
「水瀬さん」
「は、はい」
「こいつ、同じゼミの友達です」
「初めまして」
「初めまして」
頭を下げる。
すると。
「佐伯が誰か学祭に呼ぶなんて珍しいから」
「お前ほんと黙れ」
「…………」
珍しい。
「じゃ、ごゆっくり」
「だから」
友人は。
楽しそうに笑いながら、
去っていく。
「…………」
「すみません」
「いえ」
「変なこと言って」
「いえ」
「…………」
「…………」
聞きたい。
呼ぼうか。
迷っていた。
それは。
どういう意味なのか。
けれど。
聞いたら。
何かが。
変わってしまいそうで。
「水瀬さん?」
「はい」
「次、行きます?」
「…………」
「はい」
今は。
もう少しだけ。
知らない佐伯さんを。
見ていたい。
◇
少し歩くと。
外から、
大きな歓声が聞こえた。
「何でしょう」
「ステージですね」
「ステージ?」
「軽音とか、ダンスとか」
佐伯さんと並んで、
外へ出る。
人だかりの向こう。
ステージの上で、
学生たちが踊っている。
「…………」
「見ていきます?」
「はい」
少し離れた場所で、
足を止める。
音楽。
歓声。
拍手。
その中で。
「…………」
ふと。
隣を見る。
佐伯さんは、
ステージを見ている。
「…………」
大学祭。
来てみたかったのは。
佐伯さんの大学を、
知りたかったから。
そのはずです。
けれど。
今。
ステージよりも。
隣にいる人を、
見ている時間の方が。
長い気がします。
「水瀬さん」
「っ」
佐伯さんが、
こちらを向く。
「はい?」
「…………」
目が合う。
「いや」
少し笑って。
「楽しんでもらえてるかなって」
「…………」
「はい」
それは。
間違いなく。
「とても」
曲が終わり。
大きな拍手が、
広がる。
「すごかったですね」
「ですね」
人が動き始める。
私たちも、
その流れに合わせて歩き出す。
「…………」
すると。
「あ」
佐伯さんが、
足を止めた。
「水瀬さん」
「はい?」
「すみません」
スマホを見る。
「そろそろ戻らないと」
「…………」
もう。
「休憩、終わりですか?」
「はい」
「そうですか」
「…………」
短かった。
そう思ってしまったことに。
自分で、
少し驚く。
「でも」
佐伯さんが、
こちらを見る。
「来てくれて、よかったです」
「…………」
「水瀬さんに」
少しだけ、
間を置いて。
「俺の大学、見てもらえて」
「…………」
秋祭りの日。
私も。
同じようなことを、
思っていました。
私のいる場所を。
佐伯さんに、
見てもらえたことが。
嬉しかった。
「私も」
「はい?」
「来られて、よかったです」
そして。
今日。
少しだけ。
佐伯さんのことを。
知れた気がします。
「じゃあ」
佐伯さんが、
少し名残惜しそうに笑う。
「戻ります」
「はい」
「小宮さんにも、よろしく伝えてください」
「分かりました」
「それと」
「はい?」
「また、明日」
「…………」
いつもの言葉。
大学で聞くと。
少しだけ。
違って聞こえる。
「はい」
「また、明日」
佐伯さんが、
人混みの中へ戻っていく。
「…………」
その背中を。
見えなくなるまで、
目で追う。
神社では。
私が待つ側で。
佐伯さんが、
来る人でした。
今日は。
私が。
佐伯さんのいる場所へ、
来た。
「…………」
また一つ。
佐伯さんを。
知りました。
◇
「いろはー」
聞き慣れた声。
振り向く。
小宮さんが、
片手に何かを持って歩いてくる。
「小宮さん」
「終わった?」
「はい」
「そっか」
私の顔を、
じっと見る。
「…………」
「なんですか」
「楽しかった?」
「はい」
「へえ」
「何ですか、その反応は」
「別に?」
「…………」
また。
それです。
「で?」
「何がですか」
「佐伯くんの大学」
「…………」
改めて。
辺りを見る。
たくさんの学生。
校舎。
模擬店。
遠くから聞こえる、
ステージの音。
「少し」
「うん」
「分かった気がします」
「佐伯くんのこと?」
「…………」
「はい」
小宮さんが、
少しだけ笑う。
今度は。
からかうような笑いでは、
ありませんでした。
「そっか」
「…………」
知らなかった場所を。
一つ知った。
それだけなのに。
佐伯さんが。
昨日より少し。
近くなった気がしました。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
知らなかった場所。
知らなかった時間。
知らなかった、
あなた。
少しだけ。
覗いた。
日常。




