視線の先、約束
秋祭り当日。
朝。
いつもより早く、
境内へ出る。
「…………」
静かです。
ですが。
いつもの朝とは、
少し違う。
今日を迎えるために。
何日もかけて、
準備してきた境内。
並べたもの。
運んだもの。
飾ったもの。
その一つ一つを、
確認していく。
「いろは」
「はい」
「そっちは大丈夫?」
母の声。
「はい。問題ございません」
「じゃあ、そろそろ着替えてきなさい」
「はい」
「今日は忙しくなるわよ」
「分かっております」
社務所へ向かおうとして。
ふと。
石段を見る。
「…………」
まだ。
佐伯さんが来るには、
少し早い時間。
「…………」
別に。
待っているわけでは、
ありません。
社務所へ入り。
白衣に袖を通す。
緋袴を整え。
髪を確認する。
「…………」
鏡の中には。
いつもの、
巫女姿の私。
「よし」
小さく呟いて。
社務所を出る。
境内には。
少しずつ、
人が集まり始めていました。
「おはようございます」
「おはようございます、水瀬さん」
「今日はよろしくね」
「はい。よろしくお願いいたします」
一人。
また一人。
挨拶を交わしていく。
「…………」
秋祭り。
水瀬神社にとって。
一年の中でも、
大切な一日。
今日は。
水瀬神社の娘として。
巫女として。
しっかりと、
務めなければなりません。
「いろは」
「はい、お父様」
「始めるぞ」
「はい」
そして。
秋祭りが、
始まりました。
境内に。
太鼓の音が、
響く。
「…………」
御神前へ進み。
一礼。
何度も、
繰り返してきた所作。
いつも通りに。
丁寧に。
「…………」
顔を上げる。
その時。
人の集まる、
境内の向こう。
見慣れた姿が、
目に入った。
「…………!」
佐伯さん。
いつもの朝とは違い。
今日は、
参拝する人たちの中にいる。
「…………」
目が、合った。
佐伯さんが。
ほんの少し、
笑う。
「…………」
いけません。
今は。
巫女です。
視線を、
戻す。
今は。
目の前のことに、
集中しなければ。
「…………」
そう思うのに。
人の流れが変わるたび。
境内のどこかに。
佐伯さんの姿を、
探してしまう。
「…………」
いけません。
今日は。
いつもの朝とは、
違うのです。
「水瀬さん」
「はい」
声をかけられ。
振り向く。
参拝に来ていた、
年配の女性。
「立派になったねえ」
「え?」
「小さい頃から見てるから」
「…………」
「もう、すっかり巫女さんだね」
「ありがとうございます」
笑顔で、
頭を下げる。
「…………」
小さい頃から。
ずっと。
ここにいる。
そして。
これからも。
「…………」
きっと。
「いろは」
「はい」
母に呼ばれ。
我に返る。
「こちら、お願いできる?」
「はい」
考えるのをやめて。
また、
人の中へ。
「こんにちは」
「こちらへどうぞ」
「足元、お気をつけください」
一人ずつ。
丁寧に。
いつもと同じように。
「…………」
ふと。
少し離れた場所に、
佐伯さんが見えた。
こちらを。
見ている。
「…………」
朝。
二人でいる時とは、
違う。
なんだか。
少しだけ、
恥ずかしい。
それでも。
「…………」
ちゃんと。
見ていてほしいと、
思いました。
◇
少し離れた場所で。
俺は、
境内を眺めていた。
「…………」
自分が運んだもの。
自分が並べたもの。
その中を。
水瀬さんが、
歩いている。
「…………」
いつも。
朝に会う時とは、
全然違う。
次々と声をかけられ。
そのたびに、
笑顔で応えている。
迷うことなく。
この場所に、
馴染んでいる。
「…………」
水瀬神社の。
巫女。
知っていたはずなのに。
今日。
初めてちゃんと、
見た気がした。
参拝を終えても。
すぐには、
帰らなかった。
境内の端に立ち。
なんとなく。
水瀬さんを、
目で追う。
「…………」
あ。
子どもが、
水瀬さんのところへ走っていく。
何かを話して。
水瀬さんが、
しゃがんだ。
目線を合わせて。
笑っている。
「…………」
あんな顔も、
するんだ。
毎朝会って。
メッセージもして。
家で一緒に、
夕飯まで食べたのに。
まだ。
俺の知らない水瀬さんが、
たくさんいる。
「…………」
もっと。
知りたい。
そう思った。
「佐伯さん」
「!」
声に振り向く。
「こんにちは」
「こんにちは」
いつの間にか。
水瀬さんが、
すぐ近くに立っていた。
「来てくださったのですね」
「はい」
「せっかく手伝ったんで」
「ちゃんと見ておこうかなって」
「…………」
水瀬さんが、
少しだけ笑う。
「どうでしたか?」
「え?」
「秋祭り」
「ああ」
境内を見渡す。
「すごくいいですね」
「準備してた時とは、全然違って」
「こんなに人が来るんだなって」
「はい」
「毎年、たくさんの方が来てくださいます」
「…………」
「水瀬さんも」
「はい?」
「なんか」
言葉を探す。
「いつもと、違いました」
「…………」
「ちゃんと、巫女さんなんだなって」
「ちゃんと?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「ふふっ」
「分かっております」
「でも」
佐伯さんが、
もう一度。
私を見る。
「似合ってます」
「…………」
「巫女姿」
「…………!」
何を。
急に。
「ありがとうございます……」
「毎朝見てるんですけどね」
「でしたら、今さらではございませんか」
「そうなんですけど」
佐伯さんは。
少しだけ、
境内を見渡して。
「今日は」
「水瀬さんが、ここにいる理由まで」
「見えた気がして」
「…………」
ここにいる、
理由。
「…………」
「変な言い方でしたね」
「いえ」
私は。
自分の足元を見る。
ずっと。
ここにいるから。
考えたことなど、
ありませんでした。
私が。
ここにいる、
理由なんて。
「水瀬さん」
「はい」
「俺」
佐伯さんが、
少しだけ笑う。
「手伝えて、よかったです」
「秋祭りの準備」
「…………」
「今日ここに来たら」
「俺が運んだやつとか、並べたやつとか」
「ちゃんと使われてて」
「なんか、嬉しくて」
「…………」
「それに」
一度。
佐伯さんの視線が、
境内へ向く。
そして。
また、
私へ戻る。
「水瀬さんが大事にしてる場所のこと」
「少しだけ、知れた気がします」
「…………」
大事にしている。
その言葉が。
胸の中に、
静かに残った。
私は。
この場所を。
「…………」
大事に、
しているのでしょうか。
「いろはー」
「!」
母の声。
振り返ると。
少し離れた場所から、
こちらを呼んでいる。
「すみません」
「いえ」
「戻らなければ」
「はい」
一歩。
歩き出して。
「…………」
振り返る。
「佐伯さん」
「はい?」
「私も」
「佐伯さんに、
手伝っていただけて」
「よかったです」
「…………」
「ありがとうございました」
佐伯さんが。
少しだけ、
目を丸くして。
「どういたしまして」
笑った。
「では」
「はい」
「また」
「…………」
また明日。
そう言いかけて。
今日はまだ。
秋祭りが、
終わっていない。
「また、あとで」
「はい」
「また、あとで」
「…………」
あとで。
ほんの少し先の、
小さな約束。
それだけなのに。
なんだか、
嬉しかった。
◇
それから。
秋祭りは、
さらに賑わいを増していった。
「こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
「お気をつけてお帰りください」
声をかけ。
頭を下げ。
また、
次の方へ。
「…………」
忙しい。
考える暇など、
ないはずなのに。
ふとした瞬間。
境内の端へ、
目が向く。
「…………」
いた。
佐伯さん。
まだ、
帰っていない。
「…………」
また、あとで。
ほんの少し先の、
小さな約束。
だからでしょうか。
姿を見つけるたび。
少しだけ、
安心しました。
やがて。
境内を包んでいた賑わいも、
少しずつ落ち着いていく。
「いろは」
「はい」
「こっちはもう大丈夫よ」
母が、
境内を見渡す。
「少し休んできたら?」
「ですが」
「朝からずっとでしょう?」
「…………」
「それに」
母の視線が。
私の後ろへ、
向く。
「待ってる人もいるみたいだし」
「え?」
振り返る。
「…………!」
少し離れたところに。
佐伯さんが、
立っていました。
「…………」
母。
やはり。
油断なりません。
「佐伯さん」
「お疲れさまです」
「お待たせしてしまいましたか?」
「いえ」
佐伯さんが、
首を振る。
「さっき」
「また、あとでって言ったんで」
「…………」
「帰るのも違うかなって」
「…………」
そんな。
律儀に、
守らなくても。
いいはずなのに。
「水瀬さん?」
「いえ」
「…………」
少しだけ。
嬉しいです。
なんて。
言えるはずもなく。
「お待たせいたしました」
そう言って。
佐伯さんの、
隣へ歩いた。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
また、あとで。
伝えてくれた、安心感。
ただ、
その場所へ。




