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34/75

生まれた、トゲ

翌朝。


目が覚める。


「…………」


昨夜のことを、

思い出す。


丸い月。


静かな夜道。


隣を歩いていた、

佐伯さん。


『来年も』


『見られるといいですね』


「…………」


来年も。


「…………」


布団の中。


そっと、

目を閉じる。


「…………」


妄想の中で。


昨夜よりも、

少しだけ。


佐伯さんとの距離を、

近づけてみる。


「…………っ」


近い。


ですが。


もう少し。


あと、

少しだけ……


「…………」


……あれ?


「…………」


いけそうなのに。


いけない。


「…………」


おかしいです。


私の妄想なのに。


「…………」


もう一度。


今度は、

少しだけ違う妄想を。


佐伯さんが、

こちらを見る。


『水瀬さん』


「…………っ」


だめ。


顔が。


昨夜の佐伯さんに、

なってしまう。


「…………」


いつもなら。


もっと自由に。


好きなように、

描けるのに。


「…………」


なのに。


佐伯さんだけ。


思い通りに、

動いてくれません。


「…………」


妄想なのに。


「…………」


しばらくして。


私は、

目を開けました。


「…………」


朝から。


何をしているのでしょう。


「…………」


なんだか。


少しだけ、

敗北した気分です。


「…………」


気を取り直して。


朝の支度を、

始めましょう。


◇


境内へ出る。


いつもの時間。


いつもの場所。


そして。


「おはようございます、水瀬さん」


「…………っ!」


「?」


本物。


「お、おはようございます」


佐伯さんが、

首を傾げる。


「水瀬さん?」


「はい」


「今日、なんか変じゃないですか?」


「変ではございません」


「そうですか?」


「はい」


「…………」


見られません。


今朝だけは。


まともに、

その顔を。


「昨日は、ありがとうございました」


「え?」


「散歩」


「…………」


散歩。


月。


佐伯さん。


近い。


もっと、近く。


「…………っ」


「水瀬さん?」


「はい!」


「やっぱり変ですよ」


「変ではございません」


「でも」


「変ではございません」


「……二回言った」


「…………」


佐伯さんが、

少し笑う。


「まあ、いいですけど」


「…………」


よくありません。


まったく。


よくありません。


妄想の中では、

思い通りにならないくせに。


現実では。


どうしてそんなに、

簡単に笑うのですか。


「では、また明日」


「はい。また明日」


佐伯さんが、

石段を下りていく。


「…………」


その背中を、

見送る。


「…………」


今朝の妄想。


そして。


今の、佐伯さん。


「…………」


やはり。


現実の方が、

ずっと。


「…………っ」


何を考えているのですか、

私は。


◇


「いろはー!」


大学の講義を終え。


待ち合わせ場所へ向かうと、

結衣が手を振っていました。


「お待たせしました」


「全然。じゃ、行こっか」


「はい」


今日の目的は。


秋の、

デザートビュッフェです。


店内へ入ると。


栗。


さつまいも。


かぼちゃ。


ぶどう。


秋色のデザートが、

ずらりと並んでいました。


「…………!」


「いろは、顔」


「?」


「めちゃくちゃ嬉しそう」


「そのようなことは」


「あるある」


「…………」


否定は、

できません。


「とりあえず取ってこよ」


「はい」


二人で皿を手に取り。


気になるものを、

少しずつ。


席へ戻ると。


結衣がバッグから、

何かを取り出しました。


「じゃーん」


「…………!」


推しの、

アクリルスタンド。


「小宮さん」


「持ってきてると思ったでしょ?」


「さすがです」


「いろはもでしょ?」


「無論です」


「知ってた」


私も。


そっと、

バッグを開きました。


私のバッグからも。


同じ人物の、

別衣装。


「準備いいねえ」


「推し活ですので」


「はいはい」


アクリルスタンドを、

デザートの隣へ。


角度を整えて。


「もうちょい右」


「こちらですか?」


「そこ。いい感じ」


「では」


一枚。


もう一枚。


「…………」


完璧です。


「そういえば、いろは」


「はい?」


結衣が、

スマートフォンを手に取る。


「取れたよ」


「何がですか?」


「ライブのチケット」


「…………」


「二枚。連番」


「…………!」


私は。


思わず、

身を乗り出しました。


「本当ですか!?」


「ほんとほんと」


結衣が、

画面をこちらへ向ける。


「…………!」


間違いありません。


「小宮さん……!」


「近い近い」


「ありがとうございます!」


「私も行くんだから、お礼はいいって」


「ですが……!」


「はいはい。落ち着いて」


「…………」


落ち着けません。


ライブ。


生の推し。


同じ空間。


同じ時間。


「…………」


もし。


ステージの上から。


こちらを見て。


目が、合って。


『来てくれたんだ』


「…………っ!」


「いろは?」


『会いたかった』


「…………!」


「おーい」


『今日は、俺だけ見てて』


「…………っ!」


「帰ってこーい」


「!」


目の前で。


結衣が、

手を振っていました。


「……また行ってたでしょ」


「何のことでしょう」


「妄想」


「…………」


問題ありません。


私の妄想力は。


今日も、

絶好調のはず……です。


「で、何着てく?」


「服、ですか?」


「ライブだよ? 大事でしょ」


「…………」


確かに。


推しに、

会うのですから。


「新しく買おっかなー」


「私も、少し考えます」


「いろはなら絶対かわいいって」


「そうでしょうか」


「うん。推しもびっくりするよ」


「…………」


推しが。


私を見て。


「…………っ」


「また行こうとした」


「行っておりません」


「今、入口に立ってた」


「何の入口ですか」


「妄想の」


「…………」


小宮さんも……

油断なりません。


「それにしても」


小宮さんが、

モンブランを口に運ぶ。


「いろは、楽しみすぎじゃない?」


「当然です」


「即答」


「ライブなのですよ?」


「知ってるって」


「しかも、生です」


「ライブだからね」


「同じ空間に、推しが」


「うん」


「存在するのです」


「普段も存在はしてるよ」


「…………」


そういうことでは、

ありません。


小宮さんは、

分かっていません。


「でもさ」


「はい?」


「いろはって、推しの前だとどうなるんだろ」


「…………」


どうなる。


「絶対、固まりそう」


「失礼ですね」


「じゃあ目合っても平気?」


「無論です」


「ほんとに?」


「…………」


たぶん。


「今、弱くなった」


「気のせいです」


「でも」


小宮さんが、

フォークを置く。


「楽しみだね」


「はい」


「久しぶりじゃない? 二人でライブ」


「そうですね」


「グッズも買いたいし」


「もちろんです」


「終わったあと、どっか寄る?」


「良いですね」


「じゃあ、それも考えとこ」


「はい」


「…………」


ライブ。


推し。


小宮さんと、

過ごす一日。


楽しみな予定が、

また一つ増えました。


「…………」


その時。


ふと。


今朝の、

佐伯さんの顔が浮かぶ。


「…………」


ライブの日。


佐伯さんは、

何をしているのでしょう。


「いろは?」


「!」


「今度は誰?」


「え?」


「妄想」


「しておりません」


「じゃあ、何考えてたの?」


「…………」


佐伯さんが。


何をしているのか。


「…………」


「秘密です」


「ふーん?」


小宮さんが、

じっとこちらを見る。


「な、なんですか」


「別に?」


「…………」


その顔。


何か、

言いたそうです。


ですが。


小宮さんは、

それ以上。


何も聞いてきませんでした。


◇


同じ頃。


「佐伯くん」


「はい?」


「今日さ」


井上さんが、

カウンター越しにこちらを見る。


「なんか、機嫌よくない?」


「そうですか?」


「うん」


井上さんが、

コーヒーを淹れながら。


ちらりと、

俺を見る。


「なんかいいことあった?」


「別に」


「ふーん」


「なんですか」


「別に?」


「…………」


絶対、

何か言いたそうだ。


「佐伯くん」


「はい」


「顔に出るタイプだったんだね」


「何がですか」


「さあ?」


「…………」


昨日。


月を見ながら、

水瀬さんと歩いた。


「…………」


いや。


それだけだ。


本当に。


ただ、

一緒に歩いただけ。


「…………」


なのに。


思い出すと。


少しだけ、

口元が緩んだ。


「ほら」


「え?」


「今」


井上さんが、

俺を指さす。


「笑った」


「笑ってませんよ」


「笑ってたって」


「気のせいです」


「へえ」


「…………」


井上さんは。


それ以上、

聞いてこなかった。


ただ。


少しだけ、

楽しそうに笑っている。


「……仕事してください」


「してるけど?」


「…………」


敵わない。


俺は、

カウンターのグラスを手に取る。


いつもの店内。


いつもの仕事。


なのに。


「…………」


昨日から。


何度も。


月明かりの下にいた、

水瀬さんを思い出していた。


「佐伯くん」


「はい」


「三番、お願い」


「はい」


考えるのをやめて。


料理を運ぶ。


「お待たせしました」


テーブルへ置き。


カウンターへ戻る。


「…………」


仕事。


仕事。


「…………」


今は、

仕事に集中しよう。


そう思った時。


ポケットの中で、

スマートフォンが震えた。


「…………」


休憩に入り。


画面を見る。


届いていたのは。


水瀬さんからの、

メッセージだった。


『今日、小宮さんと』


『秋のデザートビュッフェに来ました』


続けて。


一枚の写真。


栗や、

さつまいものデザート。


その隣には。


小さな、

アクリルスタンド。


「…………」


誰だろう。


男の人。


「…………」


そういえば。


水瀬さんの好きなもの。


まだ、

聞いてなかったな。


『すごく美味しそうですね』


そう返して。


もう一度、

写真を見る。


「…………」


この人が。


水瀬さんの、

好きな人なんだろうか。


「…………」


好きな人。


いや。


推し、か。


たぶん。


「…………」


『ありがとうございます』


『栗のケーキが、とても美味しかったです』


少しして。


もう一通。


『それと』


『ライブのチケットが取れました』


「ライブ?」


思わず、

声に出る。


『先ほどの方の、ですか?』


『はい』


『小宮さんと行ってきます』


「…………」


楽しみなのだろう。


文面だけでも、

なんとなく分かる。


『楽しんできてください』


送信。


「…………」


画面を閉じる。


それだけなのに。


何かが……


引っかかった。


「佐伯くん」


「!」


顔を上げる。


井上さんが、

こちらを見ていた。


「休憩、終わるよ」


「あ、はい」


スマートフォンを、

ポケットへしまう。


「…………」


「何?」


「え?」


「今度は、ちょっと機嫌悪くなった?」


「なってませんよ」


「そう?」


「はい」


「ふーん」


「…………」


さっきと、

同じ返事。


なのに。


今度は少しだけ。


その「ふーん」が、

引っかかった。


「佐伯くん」


「はい」


「四番、お願い」


「あ、はい」


考えるのをやめて。


料理を手に取る。


「お待たせしました」


いつもの仕事。


いつもの店内。


それなのに。


「…………」


何度か。


ポケットの中のスマートフォンが、

気になった。


「…………」


別に。


新しいメッセージを、

待っているわけじゃない。


「…………」


たぶん。


◇


夜。


自宅へ戻り。


夕食を済ませる。


風呂から上がって。


ベッドに腰掛ける。


「…………」


スマートフォンを、

手に取る。


水瀬さんとの、

メッセージ画面。


最後に届いているのは。


『ライブ、今から楽しみです』


「…………」


楽しみ、か。


「…………」


俺は。


文字を打って。


消して。


また、打つ。


『水瀬さんって』


「…………」


そこまで入力して。


指が、止まった。


『水瀬さんって』


何を、

聞くつもりだったんだろう。


推しのこと?


どこが好きなのか。


いつから好きなのか。


「…………」


違う。


知りたいのは。


たぶん、

そこじゃない。


「…………」


入力した文字を、

すべて消す。


代わりに。


『今日は楽しかったですか?』


送信。


少しして。


『はい!』


「…………」


その一文字だけで。


さっきまでの引っかかりが、

ほんの少し。


軽くなった。


◇


『今日は楽しかったですか?』


「…………」


佐伯さんから届いた、

メッセージ。


『はい!』


そう返して。


今日撮った写真を、

もう一度見る。


デザート。


小宮さん。


そして。


私の、推し。


「…………」


いつか。


佐伯さんにも。


私の好きなものを、

お伝えできたら。


「…………」


そう思いながら。


結局。


そのことは、

メッセージには書きませんでした。


恋愛経験ゼロ。

妄想の中では恋愛無双。


今までは。

推し活に、

何の迷いもなかった。


むしろ。

それだけだった。


でも、今は。


楽しみなのに。


何かが……

引っかかる。

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