生まれた、トゲ
翌朝。
目が覚める。
「…………」
昨夜のことを、
思い出す。
丸い月。
静かな夜道。
隣を歩いていた、
佐伯さん。
『来年も』
『見られるといいですね』
「…………」
来年も。
「…………」
布団の中。
そっと、
目を閉じる。
「…………」
妄想の中で。
昨夜よりも、
少しだけ。
佐伯さんとの距離を、
近づけてみる。
「…………っ」
近い。
ですが。
もう少し。
あと、
少しだけ……
「…………」
……あれ?
「…………」
いけそうなのに。
いけない。
「…………」
おかしいです。
私の妄想なのに。
「…………」
もう一度。
今度は、
少しだけ違う妄想を。
佐伯さんが、
こちらを見る。
『水瀬さん』
「…………っ」
だめ。
顔が。
昨夜の佐伯さんに、
なってしまう。
「…………」
いつもなら。
もっと自由に。
好きなように、
描けるのに。
「…………」
なのに。
佐伯さんだけ。
思い通りに、
動いてくれません。
「…………」
妄想なのに。
「…………」
しばらくして。
私は、
目を開けました。
「…………」
朝から。
何をしているのでしょう。
「…………」
なんだか。
少しだけ、
敗北した気分です。
「…………」
気を取り直して。
朝の支度を、
始めましょう。
◇
境内へ出る。
いつもの時間。
いつもの場所。
そして。
「おはようございます、水瀬さん」
「…………っ!」
「?」
本物。
「お、おはようございます」
佐伯さんが、
首を傾げる。
「水瀬さん?」
「はい」
「今日、なんか変じゃないですか?」
「変ではございません」
「そうですか?」
「はい」
「…………」
見られません。
今朝だけは。
まともに、
その顔を。
「昨日は、ありがとうございました」
「え?」
「散歩」
「…………」
散歩。
月。
佐伯さん。
近い。
もっと、近く。
「…………っ」
「水瀬さん?」
「はい!」
「やっぱり変ですよ」
「変ではございません」
「でも」
「変ではございません」
「……二回言った」
「…………」
佐伯さんが、
少し笑う。
「まあ、いいですけど」
「…………」
よくありません。
まったく。
よくありません。
妄想の中では、
思い通りにならないくせに。
現実では。
どうしてそんなに、
簡単に笑うのですか。
「では、また明日」
「はい。また明日」
佐伯さんが、
石段を下りていく。
「…………」
その背中を、
見送る。
「…………」
今朝の妄想。
そして。
今の、佐伯さん。
「…………」
やはり。
現実の方が、
ずっと。
「…………っ」
何を考えているのですか、
私は。
◇
「いろはー!」
大学の講義を終え。
待ち合わせ場所へ向かうと、
結衣が手を振っていました。
「お待たせしました」
「全然。じゃ、行こっか」
「はい」
今日の目的は。
秋の、
デザートビュッフェです。
店内へ入ると。
栗。
さつまいも。
かぼちゃ。
ぶどう。
秋色のデザートが、
ずらりと並んでいました。
「…………!」
「いろは、顔」
「?」
「めちゃくちゃ嬉しそう」
「そのようなことは」
「あるある」
「…………」
否定は、
できません。
「とりあえず取ってこよ」
「はい」
二人で皿を手に取り。
気になるものを、
少しずつ。
席へ戻ると。
結衣がバッグから、
何かを取り出しました。
「じゃーん」
「…………!」
推しの、
アクリルスタンド。
「小宮さん」
「持ってきてると思ったでしょ?」
「さすがです」
「いろはもでしょ?」
「無論です」
「知ってた」
私も。
そっと、
バッグを開きました。
私のバッグからも。
同じ人物の、
別衣装。
「準備いいねえ」
「推し活ですので」
「はいはい」
アクリルスタンドを、
デザートの隣へ。
角度を整えて。
「もうちょい右」
「こちらですか?」
「そこ。いい感じ」
「では」
一枚。
もう一枚。
「…………」
完璧です。
「そういえば、いろは」
「はい?」
結衣が、
スマートフォンを手に取る。
「取れたよ」
「何がですか?」
「ライブのチケット」
「…………」
「二枚。連番」
「…………!」
私は。
思わず、
身を乗り出しました。
「本当ですか!?」
「ほんとほんと」
結衣が、
画面をこちらへ向ける。
「…………!」
間違いありません。
「小宮さん……!」
「近い近い」
「ありがとうございます!」
「私も行くんだから、お礼はいいって」
「ですが……!」
「はいはい。落ち着いて」
「…………」
落ち着けません。
ライブ。
生の推し。
同じ空間。
同じ時間。
「…………」
もし。
ステージの上から。
こちらを見て。
目が、合って。
『来てくれたんだ』
「…………っ!」
「いろは?」
『会いたかった』
「…………!」
「おーい」
『今日は、俺だけ見てて』
「…………っ!」
「帰ってこーい」
「!」
目の前で。
結衣が、
手を振っていました。
「……また行ってたでしょ」
「何のことでしょう」
「妄想」
「…………」
問題ありません。
私の妄想力は。
今日も、
絶好調のはず……です。
「で、何着てく?」
「服、ですか?」
「ライブだよ? 大事でしょ」
「…………」
確かに。
推しに、
会うのですから。
「新しく買おっかなー」
「私も、少し考えます」
「いろはなら絶対かわいいって」
「そうでしょうか」
「うん。推しもびっくりするよ」
「…………」
推しが。
私を見て。
「…………っ」
「また行こうとした」
「行っておりません」
「今、入口に立ってた」
「何の入口ですか」
「妄想の」
「…………」
小宮さんも……
油断なりません。
「それにしても」
小宮さんが、
モンブランを口に運ぶ。
「いろは、楽しみすぎじゃない?」
「当然です」
「即答」
「ライブなのですよ?」
「知ってるって」
「しかも、生です」
「ライブだからね」
「同じ空間に、推しが」
「うん」
「存在するのです」
「普段も存在はしてるよ」
「…………」
そういうことでは、
ありません。
小宮さんは、
分かっていません。
「でもさ」
「はい?」
「いろはって、推しの前だとどうなるんだろ」
「…………」
どうなる。
「絶対、固まりそう」
「失礼ですね」
「じゃあ目合っても平気?」
「無論です」
「ほんとに?」
「…………」
たぶん。
「今、弱くなった」
「気のせいです」
「でも」
小宮さんが、
フォークを置く。
「楽しみだね」
「はい」
「久しぶりじゃない? 二人でライブ」
「そうですね」
「グッズも買いたいし」
「もちろんです」
「終わったあと、どっか寄る?」
「良いですね」
「じゃあ、それも考えとこ」
「はい」
「…………」
ライブ。
推し。
小宮さんと、
過ごす一日。
楽しみな予定が、
また一つ増えました。
「…………」
その時。
ふと。
今朝の、
佐伯さんの顔が浮かぶ。
「…………」
ライブの日。
佐伯さんは、
何をしているのでしょう。
「いろは?」
「!」
「今度は誰?」
「え?」
「妄想」
「しておりません」
「じゃあ、何考えてたの?」
「…………」
佐伯さんが。
何をしているのか。
「…………」
「秘密です」
「ふーん?」
小宮さんが、
じっとこちらを見る。
「な、なんですか」
「別に?」
「…………」
その顔。
何か、
言いたそうです。
ですが。
小宮さんは、
それ以上。
何も聞いてきませんでした。
◇
同じ頃。
「佐伯くん」
「はい?」
「今日さ」
井上さんが、
カウンター越しにこちらを見る。
「なんか、機嫌よくない?」
「そうですか?」
「うん」
井上さんが、
コーヒーを淹れながら。
ちらりと、
俺を見る。
「なんかいいことあった?」
「別に」
「ふーん」
「なんですか」
「別に?」
「…………」
絶対、
何か言いたそうだ。
「佐伯くん」
「はい」
「顔に出るタイプだったんだね」
「何がですか」
「さあ?」
「…………」
昨日。
月を見ながら、
水瀬さんと歩いた。
「…………」
いや。
それだけだ。
本当に。
ただ、
一緒に歩いただけ。
「…………」
なのに。
思い出すと。
少しだけ、
口元が緩んだ。
「ほら」
「え?」
「今」
井上さんが、
俺を指さす。
「笑った」
「笑ってませんよ」
「笑ってたって」
「気のせいです」
「へえ」
「…………」
井上さんは。
それ以上、
聞いてこなかった。
ただ。
少しだけ、
楽しそうに笑っている。
「……仕事してください」
「してるけど?」
「…………」
敵わない。
俺は、
カウンターのグラスを手に取る。
いつもの店内。
いつもの仕事。
なのに。
「…………」
昨日から。
何度も。
月明かりの下にいた、
水瀬さんを思い出していた。
「佐伯くん」
「はい」
「三番、お願い」
「はい」
考えるのをやめて。
料理を運ぶ。
「お待たせしました」
テーブルへ置き。
カウンターへ戻る。
「…………」
仕事。
仕事。
「…………」
今は、
仕事に集中しよう。
そう思った時。
ポケットの中で、
スマートフォンが震えた。
「…………」
休憩に入り。
画面を見る。
届いていたのは。
水瀬さんからの、
メッセージだった。
『今日、小宮さんと』
『秋のデザートビュッフェに来ました』
続けて。
一枚の写真。
栗や、
さつまいものデザート。
その隣には。
小さな、
アクリルスタンド。
「…………」
誰だろう。
男の人。
「…………」
そういえば。
水瀬さんの好きなもの。
まだ、
聞いてなかったな。
『すごく美味しそうですね』
そう返して。
もう一度、
写真を見る。
「…………」
この人が。
水瀬さんの、
好きな人なんだろうか。
「…………」
好きな人。
いや。
推し、か。
たぶん。
「…………」
『ありがとうございます』
『栗のケーキが、とても美味しかったです』
少しして。
もう一通。
『それと』
『ライブのチケットが取れました』
「ライブ?」
思わず、
声に出る。
『先ほどの方の、ですか?』
『はい』
『小宮さんと行ってきます』
「…………」
楽しみなのだろう。
文面だけでも、
なんとなく分かる。
『楽しんできてください』
送信。
「…………」
画面を閉じる。
それだけなのに。
何かが……
引っかかった。
「佐伯くん」
「!」
顔を上げる。
井上さんが、
こちらを見ていた。
「休憩、終わるよ」
「あ、はい」
スマートフォンを、
ポケットへしまう。
「…………」
「何?」
「え?」
「今度は、ちょっと機嫌悪くなった?」
「なってませんよ」
「そう?」
「はい」
「ふーん」
「…………」
さっきと、
同じ返事。
なのに。
今度は少しだけ。
その「ふーん」が、
引っかかった。
「佐伯くん」
「はい」
「四番、お願い」
「あ、はい」
考えるのをやめて。
料理を手に取る。
「お待たせしました」
いつもの仕事。
いつもの店内。
それなのに。
「…………」
何度か。
ポケットの中のスマートフォンが、
気になった。
「…………」
別に。
新しいメッセージを、
待っているわけじゃない。
「…………」
たぶん。
◇
夜。
自宅へ戻り。
夕食を済ませる。
風呂から上がって。
ベッドに腰掛ける。
「…………」
スマートフォンを、
手に取る。
水瀬さんとの、
メッセージ画面。
最後に届いているのは。
『ライブ、今から楽しみです』
「…………」
楽しみ、か。
「…………」
俺は。
文字を打って。
消して。
また、打つ。
『水瀬さんって』
「…………」
そこまで入力して。
指が、止まった。
『水瀬さんって』
何を、
聞くつもりだったんだろう。
推しのこと?
どこが好きなのか。
いつから好きなのか。
「…………」
違う。
知りたいのは。
たぶん、
そこじゃない。
「…………」
入力した文字を、
すべて消す。
代わりに。
『今日は楽しかったですか?』
送信。
少しして。
『はい!』
「…………」
その一文字だけで。
さっきまでの引っかかりが、
ほんの少し。
軽くなった。
◇
『今日は楽しかったですか?』
「…………」
佐伯さんから届いた、
メッセージ。
『はい!』
そう返して。
今日撮った写真を、
もう一度見る。
デザート。
小宮さん。
そして。
私の、推し。
「…………」
いつか。
佐伯さんにも。
私の好きなものを、
お伝えできたら。
「…………」
そう思いながら。
結局。
そのことは、
メッセージには書きませんでした。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
今までは。
推し活に、
何の迷いもなかった。
むしろ。
それだけだった。
でも、今は。
楽しみなのに。
何かが……
引っかかる。




