照らす、歩む先
◇
水瀬さんの家を出て。
一人、帰り道を歩く。
「…………」
楽しかった。
水瀬さんと。
水瀬さんの家族と。
いつもなら、
メッセージをしている時間に。
同じ食卓で、
話をしていた。
「…………」
また来ていい。
そう言ってもらえたことも。
素直に、嬉しかった。
「…………」
ふと。
朝の境内を、
思い出す。
秋祭りの準備。
だいぶ進んではいたけど。
「…………」
あれ。
本当に、間に合うのかな。
「…………」
夜空を見上げる。
月が、
明るかった。
◇
翌朝。
「おはようございます」
「おはようございます、佐伯さん」
いつもの時間。
いつもの境内。
「…………」
昨日の夜は。
我が家の食卓に、
佐伯さんがいて。
今朝は。
いつものように、
神社にいる。
「…………」
昨日からずっと。
佐伯さんが、
近くにいる気がします。
「今日も、やりますか?」
「はい」
「秋祭りまで、もう少しですから」
「分かりました」
「…………」
佐伯さんが、
袖をまくる。
「じゃあ、始めましょう」
「はい」
「…………」
秋祭りまで、
あと少し。
今日も。
いつもの朝が、
始まりました。
◇
夕方。
大学から戻り。
着替えを済ませると。
私は、
秋祭りの準備を再開しました。
「…………」
朝よりも。
少しだけ、
増えた準備。
「いろは」
「はい」
母と二人。
残っているものを、
一つずつ片付けていく。
「…………」
ですが。
空は、
少しずつ暗くなっていく。
「…………」
本当に。
今日中に、
終わるのでしょうか。
その時。
石段の方から、
足音が聞こえました。
「こんばんは」
「…………!」
顔を上げる。
「佐伯さん?」
「まだ、終わってなさそうだったので」
佐伯さんが、
境内を見回す。
「手伝いに来ました」
「…………」
夕暮れの境内。
終わらない、
秋祭りの準備。
そこへ現れた、
佐伯さん。
「…………」
救世主、登場。
「佐伯さん」
「はい?」
「ですが、今日はもう……」
「分かってます」
佐伯さんが、
空を見る。
「暗くなる前に、ですよね?」
「…………」
先に、
言われてしまいました。
「それに」
佐伯さんが、
腕まくりをする。
「二人でやった方が、早いですし」
「…………」
二人で。
「では……」
「はい」
「少しだけ、お願いいたします」
「任せてください」
「…………」
任せてください……
「…………」
こんな時に。
危うく、
妄想が発動するところでした。
「佐伯さん」
母が、
こちらへやってくる。
「本当にいいの?」
「はい」
「大学の帰りなので」
「まあ……」
母が、
私を見る。
「いろは」
「はい?」
「よかったわね」
「…………」
「準備が、です」
「私は何も言ってないけど?」
「…………」
この母も。
油断なりません。
「では」
私は、
残っている準備を確認する。
「佐伯さんは、こちらをお願いいたします」
「はい」
「私は、向こうを」
「分かりました」
「…………」
そこからは。
二人で、
黙々と。
運んで。
並べて。
また、運んで。
「水瀬さん」
「はい?」
「これ、こっちで合ってます?」
「はい」
「そのままで大丈夫です」
「了解です」
「…………」
朝から何度も、
一緒に準備をしてきたからでしょうか。
以前より。
言葉がなくても、
作業が進む。
「…………」
そして。
「水瀬さん」
「はい?」
佐伯さんが、
辺りを見回す。
「これで、最後じゃないですか?」
「え?」
私も、
境内を見渡す。
「…………」
ない。
残っていたものが、
一つも。
「…………!」
「終わった……」
思わず、
声が漏れる。
「終わりましたね」
「はい」
「…………」
終わった。
本当に。
秋祭りの準備が、
全部。
「佐伯さん」
「はい?」
「ありがとうございました」
頭を下げる。
「佐伯さんが来てくださらなかったら」
「まだ、終わっていなかったと思います」
「そんな」
佐伯さんが、
少し笑う。
「俺は最後のところ、手伝っただけですよ」
「それでも、です」
「…………」
顔を上げると。
佐伯さんは、
境内ではなく。
その向こうを、
見ていました。
「…………?」
私も、
その視線を追う。
夜空。
「…………」
いつの間にか。
そこには、
丸い月が浮かんでいました。
「綺麗ですね」
佐伯さんが、
小さく呟く。
「はい」
「…………」
見慣れているはずの、
月。
なのに。
今日は、
少し違って見える。
「…………」
「あ」
「どうしました?」
「今日……」
もう一度、
月を見る。
「十五夜ですね」
「十五夜?」
「はい」
「…………」
秋祭りの準備に追われて。
すっかり、
忘れていました。
「そうだったんだ」
佐伯さんも、
月を見上げる。
「じゃあ」
「はい?」
「ちょうどよかったですね」
「…………」
ちょうど。
よかった。
その言葉が、
なぜか。
少しだけ、
嬉しい。
「水瀬さん」
「はい?」
「少し」
佐伯さんが、
こちらを見る。
「散歩しませんか?」
「…………」
「月、見ながら」
「散歩……ですか?」
「はい」
佐伯さんが、
石段の方を見る。
「せっかくなので」
「少しだけ」
「…………」
月を見ながら。
佐伯さんと、
二人で。
散歩。
「…………」
それは。
「水瀬さん?」
「!」
「どうしました?」
「い、いえ」
「…………」
危ない。
本日二度目の、
妄想発動案件です。
「では……」
「ご一緒します」
「はい」
「…………」
母に一言伝え。
私たちは、
並んで石段を下り始めました。
「…………」
朝は。
ここで、
お別れする。
でも。
今夜は。
同じ方向へ、
歩いていました。
石段を下り。
神社を出る。
「…………」
夜道を。
佐伯さんと、
並んで歩く。
「…………」
不思議です。
朝も。
何度も、
一緒に歩いたことはあるのに。
夜というだけで。
少しだけ、
違う。
「水瀬さん」
「はい?」
「十五夜って」
佐伯さんが、
月を見上げる。
「毎年、何かするんですか?」
「我が家では、お供えをするくらいです」
「お団子とか?」
「はい」
「…………」
「食べます?」
「え?」
「お団子」
「…………」
「食べます」
「即答ですね」
「十五夜ですので」
「そういう理由なんですか?」
「そういう理由です」
「…………」
佐伯さんが、
笑う。
「…………」
月を見ているはずなのに。
なぜでしょう。
隣の笑顔の方が。
少しだけ、
気になりました。
「水瀬さん」
「はい?」
「今日、来てよかったです」
「…………」
佐伯さんは、
前を向いたまま。
「準備も終わったし」
「十五夜だって、知れたし」
「…………」
「それに」
「…………」
少しだけ。
間が空く。
「水瀬さんと、こうして歩くのも」
「初めてですし」
「…………」
初めて。
「…………」
確かに。
こんなふうに。
神社を離れて。
二人だけで、
歩くのは。
初めて。
「私も」
「はい?」
「佐伯さんが来てくださって」
「よかったです」
「…………」
言ってから。
少しだけ、
恥ずかしくなる。
「準備が、です」
「…………」
「準備が終わって、よかったという意味です」
「分かってますよ」
「…………」
なぜでしょう。
その笑い方。
少しだけ、
分かっていない気がします。
少し歩くと。
住宅の明かりが、
少なくなっていく。
「…………」
聞こえるのは。
二人分の、
足音。
「…………」
佐伯さんが、
立ち止まる。
「ここ」
「はい?」
「月、よく見えますね」
「…………」
顔を上げる。
建物に遮られることなく。
丸い月が、
夜空に浮かんでいる。
「綺麗ですね」
「はい」
「…………」
二人で。
同じ月を、
見上げる。
「…………」
会話は、
ありません。
ですが。
不思議と。
何かを話さなければとは、
思いませんでした。
「…………」
ただ。
隣にいる。
それだけで。
今は、
充分でした。
「水瀬さん」
「はい?」
「来年も」
「…………」
佐伯さんが、
月を見たまま。
「見られるといいですね」
「…………」
来年。
その言葉に。
少しだけ、
胸が動く。
「はい」
私も、
月を見上げる。
「見られると、いいですね」
「…………」
誰と。
とは。
どちらも、
言いませんでした。
「…………」
それでも。
今。
隣にいる人を。
少しだけ、
意識してしまいました。
「そろそろ」
佐伯さんが、
腕時計を見る。
「戻りましょうか」
「はい」
「…………」
来た道を、
二人で戻る。
行きと同じ。
月も。
夜道も。
隣を歩く人も。
何も、
変わっていないはずなのに。
「…………」
なぜでしょう。
帰り道の方が。
少しだけ、
近く感じます。
やがて。
水瀬神社の石段が、
見えてきました。
「…………」
もう。
着いてしまいました。
石段の前で。
二人の足が、
止まる。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ」
「散歩、楽しかったです」
「…………」
「私も」
「楽しかったです」
「…………」
今度は。
準備が、
とは付け足しませんでした。
「じゃあ」
佐伯さんが、
少し笑う。
「また明日」
「はい」
「また明日」
「…………」
佐伯さんが、
歩いていく。
その背中を。
少しだけ、
見送る。
「…………」
また明日。
いつもと、
同じ言葉。
なのに。
今夜は。
少しだけ、
明日が待ち遠しくなりました。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
ただ、
月を見ながら歩いただけ。
それだけなのに。
今夜の月は、
きっと。
ずっと忘れない。




