至近距離、発令中
午後六時。
「…………」
ぴんぽーん。
「…………!」
来た。
「いろはー」
「はい!」
母に呼ばれるより先に。
私は、
玄関へ向かっていました。
「…………」
玄関を開ける。
「こんばんは」
「こんばんは、佐伯さん」
「…………」
見慣れた、
佐伯さん。
ですが。
「…………」
いつもと違う。
私服姿の佐伯さんが。
神社ではなく。
我が家の玄関に、
立っていました。
「今日は、お招きいただいてありがとうございます」
「いえ」
「こちらこそ、来てくださってありがとうございます」
「…………」
来てくださって。
「…………」
なんでしょう。
この会話。
少しだけ、
おかしな気がします。
「どうぞ、お上がりください」
「お邪魔します」
佐伯さんが、
靴を脱ぐ。
「…………」
お邪魔します。
「…………」
その言葉が。
我が家の玄関で、
佐伯さんの口から聞こえる。
「…………」
本当に。
佐伯さんが、
家に来たのですね。
「いろは?」
「!」
「どうしたの?」
「な、何でもございません」
「…………」
危ない。
玄関で、
佐伯さんを眺め続けるところでした。
「こちらです」
「はい」
佐伯さんを、
居間へ案内する。
「こんばんは、佐伯くん」
「こんばんは」
お父様が、
座ったまま頭を下げる。
「腰、大丈夫ですか?」
「ああ」
「おかげさまで、だいぶ良くなったよ」
「それなら、よかったです」
「…………」
神社では。
何度か交わした、
二人の会話。
それが今は。
我が家の居間で、
交わされている。
「佐伯さん」
母が、
台所から顔を出す。
「いらっしゃい」
「今日はありがとうございます」
「こちらこそ」
「毎朝のお礼なんだから、今日は遠慮しないで食べてね」
「はい」
「楽しみにしてました」
「…………」
楽しみに。
「…………」
昨日も聞いた言葉なのに。
目の前で聞くと。
また少しだけ、
嬉しい。
「いろは」
「はい?」
「お皿、お願いできる?」
「はい」
「俺も何か手伝います」
「まあ」
母が、
少し驚いた顔をする。
「お客様なんだから、座ってていいのよ?」
「でも、何もしないのも落ち着かなくて」
「…………」
佐伯さんらしい。
「では」
私は、
食器棚から皿を取り出す。
「佐伯さん」
「はい?」
「こちらを、お願いしてもよろしいですか?」
「はい」
「…………」
朝は。
二人で、
秋祭りの準備。
そして今は。
二人で、
夕食の準備。
「…………」
なんだか。
不思議です。
「いろは」
「はい」
「そろそろ運びましょうか」
母の声に。
出来上がった料理を、
食卓へ運ぶ。
「…………」
並んでいく、
いつもの料理。
いつもの食卓。
「…………」
ですが。
今日は。
そこに一つだけ、
見慣れない席がある。
「佐伯くん、そこに座ってくれ」
「はい」
「…………」
お父様の向かい。
私の、
隣。
「…………」
隣。
「…………」
母。
そこなのですね。
「それじゃあ」
母が、
最後の料理を置く。
「いただきましょうか」
「はい」
「いただきます」
「いただきます」
「…………」
四人で、
手を合わせる。
「…………」
いつもなら。
お父様と。
母と。
私。
三人の食卓。
「…………」
今日は。
隣からも、
「いただきます」が聞こえた。
「…………」
それだけなのに。
いつもの食卓が、
少しだけ違って見えました。
「美味しいです」
一口食べて。
佐伯さんが、
そう言った。
「本当?」
「はい」
「すごく美味しいです」
「よかった」
母が、
嬉しそうに笑う。
「いろはも手伝ってくれたのよ」
「お母様」
「いいじゃない」
「…………」
佐伯さんが、
こちらを見る。
「水瀬さんも?」
「少しだけです」
「どれですか?」
「え?」
「水瀬さんが作ったの」
「…………」
なぜ。
そこを、
知りたがるのでしょう。
「これです」
私は、
一皿を指す。
「こちらの煮物を」
「…………」
佐伯さんが、
すぐに箸を伸ばす。
「…………」
そこから。
先に食べるのですね。
「どうですか?」
「…………」
聞いてから。
しまったと思う。
「美味しいです」
「!」
「味、染みてて」
「…………」
「水瀬さん、料理もできるんですね」
「料理も、とは何でしょうか」
「褒めたつもりなんですけど」
「…………」
では。
褒められたことに、
しておきましょう。
「佐伯くんは、料理をするそうだね」
お父様が、
箸を置く。
「はい」
「一人暮らしを始めてからですけど」
「自炊は大変だろう」
「最初はそうでした」
「でも、今は結構好きです」
「…………」
知っている。
佐伯さんが、
料理を好きなこと。
一人暮らしを始めてから、
作るようになったこと。
「…………」
お父様と母が、
知らない佐伯さん。
私が、
知っている佐伯さん。
「…………」
そのことが。
なぜでしょう。
少しだけ、
嬉しかった。
「佐伯さん」
母が、
佐伯さんを見る。
「はい?」
「大学は、もう四年生なのよね?」
「はい」
「春からは、お仕事?」
「はい」
「…………」
佐伯さんが、
頷く。
「内定もらった会社に、そのまま行く予定です」
「そう」
母が、
柔らかく笑う。
「よかったわね」
「ありがとうございます」
「…………」
内定。
「…………」
初めて会った日。
佐伯さんが、
この神社で願ったこと。
それを。
今はこうして。
我が家の食卓で、
母に話している。
「佐伯くんは、自分で決めたのか?」
「はい」
「色々迷いましたけど」
「そうか」
お父様が、
小さく頷く。
「私は」
「物心ついた頃には、宮司になるものだと思っていたからな」
「…………」
「そうなんですか?」
「ああ」
「この神社って、どれくらい続いてるんですか?」
「…………」
佐伯さんの、
何気ない質問。
「正確には分からないが、かなり古い」
「代々、水瀬家が?」
「ああ」
「…………」
代々。
「…………」
いずれ、
私もきっと。
「…………」
「いろは?」
「!」
母と、
目が合う。
「どうしたの?」
「いえ」
「何でもございません」
「…………」
母は。
それ以上、
何も言いませんでした。
「佐伯くん」
今度は、
お父様が口を開く。
「はい」
「就職先は、こちらなのか?」
「はい」
「県内です」
「そうか」
「…………」
お父様が、
小さく頷く。
「では、春からもこの辺りに?」
「その予定です」
「…………」
春からも。
「…………」
知っていたはずなのに。
その言葉を聞いて。
改めて、
胸の奥が少しだけ軽くなりました。
「佐伯くんのご実家は?」
「岩手の大船渡です」
「大船渡?」
「はい」
「実家が民宿やってて」
「民宿?」
「兄が継いでます」
「そうなのね」
「…………」
知っている。
佐伯さんの、
故郷のこと。
お兄様のこと。
「…………」
少し前まで。
私だけが、
聞いていた話。
それを今。
お父様と母も、
聞いている。
「…………」
佐伯さんのことを。
私の家族が、
少しずつ知っていく。
「…………」
なんだか。
不思議な気持ちでした。
「佐伯くん」
お父様が、
佐伯さんを見る。
「はい」
「民宿なら、佐伯くんも手伝っていたのか?」
「はい」
「実家にいた頃は、結構」
「料理も?」
「少しだけですけど」
「…………」
なるほど。
「だから、料理がお好きなのですね」
「いや」
佐伯さんが、
少し笑う。
「その頃は、手伝わされてるって感じでした」
「…………」
「好きになったのは、一人暮らししてからです」
「そうなのですか?」
「はい」
「自分で作るようになったら、意外と楽しくて」
「…………」
また一つ。
私の知らなかった、
佐伯さん。
「…………」
家族と話しているのに。
私まで、
佐伯さんのことを知っていく。
「でも」
佐伯さんが、
少し懐かしそうに笑う。
「実家にいた頃は」
「料理より、配膳とか掃除の方が多かったです」
「そうなの?」
「はい」
「忙しい時は、何でもやってました」
「…………」
配膳。
掃除。
料理。
「…………」
今朝まで。
神社の準備を、
自然に手伝ってくださっていた佐伯さん。
「…………」
もしかすると。
誰かの仕事を手伝うことに、
慣れているのかもしれません。
「そういえば」
母が、
佐伯さんを見る。
「民宿のお料理って、どんなものを出すの?」
「魚が多いですね」
「やっぱり大船渡だものね」
「はい」
「その日に上がった魚を使ったり」
「季節によって、結構変わります」
「…………」
佐伯さんの口から。
故郷の話が、
次々と出てくる。
「今度」
「…………」
口を開きかけて。
止まる。
「?」
佐伯さんが、
こちらを見る。
「いえ」
「…………」
今度。
行ってみたい。
「…………」
なぜか。
そんな言葉が、
浮かんでいました。
「佐伯くん」
お父様が、
静かに口を開く。
「はい」
「春から働き始めても」
「神社には来るのか?」
「…………」
思わず。
箸が止まる。
「はい」
佐伯さんは、
迷わず答えた。
「今みたいに毎朝は、難しくなると思いますけど」
「…………」
「来たいです」
「…………」
その一言に。
なぜか。
私の方が、
安心していました。
「そうか」
お父様が、
小さく頷く。
「では」
「はい?」
「また何かあったら、お願いできるな」
「…………」
少しだけ、
冗談めいた口調。
佐伯さんも、
笑う。
「はい」
「俺でよければ」
「…………」
初めてお話しした時より。
二人の間にある空気が、
少しだけ。
柔らかくなっていました。
「佐伯さん」
母が、
空いた皿に気づく。
「おかわり、いかが?」
「あ、いただきます」
「たくさん食べてね」
「ありがとうございます」
「…………」
母が、
佐伯さんの茶碗を受け取る。
「お母様」
「なに?」
「私が」
「いいのよ」
「…………」
母が、
楽しそうに台所へ向かう。
「…………」
随分と。
佐伯さんを、
気に入っているようです。
「…………」
なぜでしょう。
少しだけ、
面白くありません。
「佐伯くん」
お父様が、
箸を進めながら口を開く。
「はい」
「秋祭りは、見ていくのか?」
「もちろんです」
「準備だけ手伝って、本番を見ないのも変ですし」
「それもそうだな」
「…………」
秋祭り。
毎年、
当たり前に迎えてきた日。
「水瀬さん」
「はい?」
「当日は、やっぱり忙しいですか?」
「そうですね」
「朝から、ほとんど神社におります」
「…………」
「じゃあ」
佐伯さんが、
少し笑う。
「ちゃんと見てますね」
「え?」
「水瀬さんが働いてるところ」
「…………」
私を。
見に来る。
「…………」
そういう意味では、
ないのでしょうけれど。
「いろは」
「はい?」
母が、
こちらを見る。
「今年は、いつも以上に頑張らないとね」
「もちろんです」
「佐伯さんも見てくださるんだもの」
「お母様」
「なに?」
「余計なことを付け加えないでください」
「余計だった?」
「余計です」
「…………」
母が、
楽しそうに笑う。
「…………」
やはり。
佐伯さんを夕食にお招きしたのは、
間違いだったかもしれません。
「水瀬さん」
「はい?」
「俺は楽しみにしてますよ」
「…………」
訂正。
間違いでは、
なかったかもしれません。
やがて。
食事も、
終わりに近づく。
「ごちそうさまでした」
「たくさん食べてくれてよかったわ」
「本当に美味しかったです」
「またいつでもいらっしゃい」
「お母様」
「いいじゃない」
「…………」
また。
いつでも。
「…………」
佐伯さんが、
我が家に来る。
「…………」
その言葉を。
否定する理由は、
ありませんでした。
「佐伯さん」
「はい?」
「お茶、お持ちしますね」
「あ、ありがとうございます」
「俺も片付けます」
「今日は、お客様なのですから」
「でも」
「大丈夫です」
「…………」
そう言って。
食器を持ち上げると。
佐伯さんも、
隣で皿を重ね始める。
「佐伯さん?」
「これくらいは、やらせてください」
「…………」
朝は。
神社で、
二人並んで準備をして。
夜は。
我が家で、
二人並んで片付けをする。
「…………」
今日一日で。
佐伯さんがいる景色が、
また一つ。
増えました。
「佐伯さん」
「はい?」
「そちらは、私が洗いますので」
「じゃあ、俺が拭きます」
「…………」
結局。
二人で、
台所に並ぶ。
「これ、ここでいいですか?」
「はい」
「こちらです」
「分かりました」
「…………」
いつもの台所。
いつもの食器。
なのに。
隣にいる人だけが、
いつもと違う。
「…………」
ふと。
居間を見る。
お父様と母が、
何か話している。
「…………」
そして。
母と、
目が合った。
「…………」
なぜ。
笑っているのでしょう。
「…………」
片付けを終え。
居間へ戻る。
「佐伯さん」
「はい?」
「どうぞ」
母が、
湯呑みを差し出す。
「ありがとうございます」
「…………」
私も、
佐伯さんの隣に座る。
「…………」
食事は、
もう終わった。
ですが。
佐伯さんは、
まだここにいる。
「…………」
いつもなら。
この時間。
スマートフォンの画面越しに、
お話ししている頃。
「…………」
今日は。
隣にいる。
「…………」
「なんか、不思議ですね」
「え?」
佐伯さんが、
湯呑みを手にしたまま笑う。
「いつもなら」
「今頃、メッセージしてる時間ですよね」
「…………」
同じことを。
考えていた。
「そうですね」
「今日は、必要ないですね」
「…………」
必要ない。
「…………」
少しだけ。
寂しく聞こえる言葉なのに。
今日は。
嬉しく聞こえました。
「…………」
佐伯さんが、
時計を見る。
「そろそろ、帰ります」
「もう?」
母が、
時計を見る。
「はい」
「明日も大学あるので」
「そう」
「今日は、本当にありがとうございました」
佐伯さんが、
頭を下げる。
「ごちそうさまでした」
「こちらこそ」
お父様が、
小さく頷く。
「毎朝、助かっている」
「いえ」
母も、
笑って。
「またいらっしゃい」
「はい」
「…………」
また。
その言葉に。
今度は、
少しだけ期待してしまう。
「では」
佐伯さんが、
立ち上がる。
「玄関まで、お送りします」
「ありがとう」
「…………」
二人で、
玄関へ向かう。
「…………」
ほんの数時間前。
ここで。
佐伯さんを、
迎えた。
「…………」
今度は。
見送る。
「今日は、本当に楽しかったです」
靴を履きながら、
佐伯さんが言う。
「俺」
「水瀬さんの家族と話せて、よかったです」
「…………」
「私も」
「佐伯さんが来てくださって」
「楽しかったです」
「…………」
今度は。
迷わず、
言えました。
「じゃあ」
佐伯さんが、
玄関の扉に手をかける。
「また明日」
「…………」
また明日。
「はい」
「また明日」
「…………」
いつもの言葉。
ですが。
今日は。
少しだけ、
違って聞こえる。
「おやすみなさい、水瀬さん」
「おやすみなさい、佐伯さん」
「…………」
扉が、
静かに閉まる。
「…………」
いつもなら。
ここから、
メッセージが始まる時間。
「…………」
今日はもう。
たくさん、
お話ししました。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
いつもは、
画面の向こう側。
それでも、
充分だったけれど……
すぐ隣にいた今日。
想いが、
大きくなる。




