あと、十八分……
。
「おはようございます」
「おはようございます、佐伯さん」
「…………」
挨拶を交わして。
参拝を済ませる。
「…………」
そして。
「今日は、何やります?」
「…………」
その言葉に。
少しだけ、
笑ってしまう。
「何でしょうか?」
「いえ」
「…………」
昨日までは。
参拝を終えれば、
「また明日」と。
佐伯さんを、
見送っていた。
「…………」
ですが。
今日からは。
「こちらを、お願いいたします」
「はい」
「…………」
また明日。
その前に。
もう少しだけ、
一緒にいられる。
「佐伯さん」
「はい?」
「こちらの紐を、お願いできますか?」
「これですね」
「はい」
「…………」
「これ、ここで合ってます?」
「はい」
「合っております」
「…………」
昨日は。
一つずつ、
説明していたのに。
佐伯さんはもう、
少しずつ覚え始めている。
水瀬神社の、
秋祭りの準備を。
「あちらの箱を、こちらへお願いします」
「これですよね?」
「はい」
「…………」
昨日までなら。
どの箱なのか。
どこにあるのか。
一つずつ、
お伝えしていた。
ですが。
今日はもう。
私が言うより先に、
佐伯さんが動いている。
少しずつ。
この場所に、
馴染んでいくように。
「佐伯さん」
「そちらが終わりましたら、次はこちらを」
「はい」
「…………」
明日も。
明後日も。
こうして、
佐伯さんが来てくださる。
秋祭りまで。
あと少し。
いつもなら。
準備が進めば進むほど、
ほっとするはずなのに。
今年は。
少しだけ、
ゆっくり進んでほしいと。
そう、
思ってしまいました。
◇
それから。
二日。
三日と。
朝の準備は続いた。
「佐伯さん、そちらをお願いします」
「はい」
「それは、倉庫の奥へ」
「分かりました」
「…………」
最初は。
私が一つずつ、
お伝えしていた。
ですが。
今では。
「水瀬さん」
「はい?」
「これ、先に出しておきますね」
「…………」
気づけば。
佐伯さんの方から、
動いてくださることも増えていた。
「だいぶ慣れてきましたね」
「そうですか?」
「はい」
「最初の日とは、全然違います」
「毎朝やってますから」
「…………」
毎朝。
「…………」
その言葉が。
少しだけ、
嬉しい。
「これ、次はあっちですよね?」
「はい」
「…………」
迷わず歩いていく、
その背中。
いつの間にか。
佐伯さんがここにいる景色にも、
慣れ始めていました。
「おはよう」
「?」
「お父様」
「腰は、もうよろしいのですか?」
「ああ」
「まだ無理はできないがな」
「…………」
お父様が、
佐伯さんを見る。
「毎朝、来てくれているそうだな」
「はい」
「勝手に手伝わせてもらってます」
「勝手に、ではないでしょう」
「…………」
お父様が、
小さく笑う。
「助かっている」
「ありがとう」
「いえ」
「…………」
佐伯さんが、
少しだけ照れたように笑う。
「今日は、どこまで進んだ?」
「こちらまでです」
「…………」
お父様が、
準備の様子を見渡す。
「随分進んだな」
「佐伯さんが、手伝ってくださっていますので」
「…………」
なぜでしょう。
そう言うことが。
少しだけ、
嬉しかった。
「…………」
お父様が、
佐伯さんを見る。
その視線は。
初めてお話しした日のものとは、
少しだけ。
違っているように見えました。
「いろは」
「はい?」
「少しいい?」
「…………」
社務所から、
母がやってくる。
そして。
佐伯さんを見る。
「佐伯さん、毎朝来てくださってるでしょう?」
「そうですね」
「何か、お礼をしたいと思ってるんだけど」
「お礼、ですか?」
「ええ」
「今度」
「夕飯にお誘いするのは、どうかしら?」
「…………」
夕飯。
「佐伯さんを、ですか?」
「ええ」
「うちで」
「…………」
うちで。
佐伯さんが。
我が家で。
夕飯。
「どうかしら?」
「…………」
毎朝。
お手伝いいただいている。
お礼としてなら。
何も、
おかしなことではない。
「よろしいのではないでしょうか」
「そう?」
「はい」
「じゃあ、聞いてみましょうか」
「…………」
母が、
佐伯さんの方へ歩いていく。
「い、今ですか?」
「今いるんだもの」
「…………」
それは、
そうなのですが。
「佐伯さん」
「はい?」
「…………」
なぜか。
私まで、
その後を追う。
「いつも朝早くから、ありがとうございます」
「いえ」
「俺が勝手にやってることなので」
「それでも、とても助かってるの」
「それでね」
「今度、よかったら」
「夕飯でも食べていかない?」
「夕飯、ですか?」
「ええ」
「一人暮らしだと、ちゃんとしたものを食べるのも大変でしょう?」
「あ」
「俺、料理するんで」
「まあ」
「じゃあ、なおさら」
「?」
「たまには、人が作ったご飯もいいでしょう?」
「…………」
佐伯さんが。
私を見る。
「…………」
なぜ。
私を見るのでしょう。
「水瀬さんも、いいんですか?」
「え?」
「俺が、お邪魔しても」
「…………」
私に。
聞くのですね。
「もちろんです」
「…………」
少しだけ。
声が、
早くなってしまった。
「ぜひ」
「…………」
ぜひ。
「…………」
そこまで、
付け加える必要はあったのでしょうか。
「じゃあ……」
佐伯さんが、
少し笑う。
「お言葉に甘えて」
「…………!」
佐伯さんが。
我が家で。
夕食。
「…………」
先ほどから。
頭の中で、
同じ言葉ばかりが繰り返されていました。
「それじゃあ」
母が、
満足そうに頷く。
「明日の夜はどうかしら?」
「明日ですか?」
「ええ」
「…………」
佐伯さんが、
少し考える。
「バイトは?」
「明日は入ってないです」
「じゃあ、決まりね」
「…………」
決まり。
「…………」
明日の夜。
佐伯さんが、
我が家に来る。
「…………」
朝ではなく。
夜に。
「…………」
しかも。
神社ではなく。
私たちが暮らしている、
家の中へ。
「…………」
「では、佐伯さん」
「はい?」
「明日は、いつ頃いらっしゃいますか?」
「そうですね……」
少し考えて。
「六時頃でも大丈夫ですか?」
「はい」
「お待ちしております」
「…………」
お待ちしております。
「…………」
いつもなら。
朝。
石段の上で、
佐伯さんを待つ。
「…………」
明日は。
夕方。
家で、
佐伯さんを待つ。
「…………」
同じ、
待つということなのに。
「…………」
なぜでしょう。
今からもう。
少しだけ、
落ち着きません。
◇
大学。
「いろは」
「はい?」
「…………」
結衣が、
じっと私を見る。
「何でしょうか?」
「いや」
「今日も分かりやすいなと思って」
「…………」
また。
「私は、いつも通りです」
「はいはい」
「…………」
結衣は、
まったく信じていない。
「で?」
「今日は何?」
「…………」
「何もございません」
「ほんとに?」
「はい」
「…………」
明日の夜。
佐伯さんが、
我が家で夕食を食べる。
「…………」
「いろは」
「はい?」
「今、ニヤけた」
「ニヤけておりません!」
◇
夜。
「…………」
お風呂を済ませ。
ベッドの上で、
スマートフォンを手に取る。
「…………」
いつもの時間。
『今日はありがとうございました』
「…………」
佐伯さんから。
『こちらこそ』
『準備、だいぶ進みましたね』
『はい』
「…………」
少し迷って。
『明日の夕食』
『楽しみにしております』
「…………」
送信。
「…………!」
楽しみに。
しております。
「…………」
少し。
素直すぎたでしょうか。
「…………」
すぐに。
既読がつく。
『俺も楽しみです』
「…………」
俺も。
「…………」
その二文字を、
何度か読み返す。
『お母様のお料理は、とても美味しいですよ』
送信。
『それは期待してます』
「…………」
少しして。
もう一つ。
『水瀬さんと家で話すのも、初めてですね』
「…………!」
家で。
佐伯さんと。
「…………」
そこまで。
考えておりませんでした。
「…………」
明日は。
佐伯さんが、
神社へ来るのではなく。
「…………」
私たちの家へ、
来る。
「…………」
いつもより。
少しだけ、
近い場所。
「…………」
『そうですね』
『何だか、不思議な感じがします』
送信。
「…………」
『俺もです』
「…………」
また。
同じ。
「…………」
楽しみなのも。
不思議なのも。
「…………」
佐伯さんも、
同じなのですね。
「…………」
それだけで。
明日の夕食が、
さらに楽しみになってしまいました。
「…………」
『そうですね』
「…………」
送ってから。
部屋の中を、
見回す。
「…………」
明日。
この家に、
佐伯さんが来る。
「…………」
いつも。
私が見ている、
景色。
「…………」
佐伯さんが、
まだ知らない。
私の日常。
「…………」
今度は。
私の方が、
佐伯さんに見せる番なのかもしれません。
◇
翌朝。
「おはようございます」
「おはようございます、水瀬さん」
「…………」
いつもの朝。
いつもの挨拶。
「今日も、やりますか」
「はい」
「…………」
いつもと、
同じはずなのに。
「…………」
今夜。
また、
佐伯さんに会える。
「…………」
それだけで。
今日の「また明日」は、
必要ありません。
やがて。
朝の準備を終える。
「それじゃあ、俺はそろそろ」
「はい」
「…………」
いつもなら。
ここで。
「また明日」
「…………」
ですが。
今日は。
「では、また夜に」
「はい」
佐伯さんが、
少し笑う。
「また夜に」
「…………」
初めて交わす、
その言葉。
「…………」
なんだか。
少しだけ、
特別に聞こえました。
◇
夕方。
「…………」
時計を見る。
五時四十分。
「…………」
まだ。
二十分あります。
「いろは」
「はい?」
「さっきから時計ばっかり見てない?」
「…………」
母が、
台所から顔を覗かせる。
「見ておりません」
「そう?」
「はい」
「…………」
五時四十二分。
「…………」
二分しか、
経っておりませんでした。
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
また明日で終わっていた日々。
でも、
今日は特別、
また夜に。
あと、
十八分……




