あなたの景色
翌朝。
「…………」
石段の下。
いつもの時間。
いつもの姿が、
こちらへ向かってくる。
「…………」
佐伯さん。
「…………」
『話したいことがあります』
昨夜届いた、
最後の言葉。
「…………」
結局。
何のお話なのか、
聞けないまま。
朝を迎えてしまいました。
「…………」
佐伯さんが、
石段を上ってくる。
「おはようございます、水瀬さん」
「おはようございます」
「…………」
いつも通りの、
挨拶。
「…………」
ですが。
今日は、
その先が気になります。
「…………」
「あの、水瀬さん」
「はい」
「俺、今日から三日くらい」
「…………」
「実家に帰ってきます」
「ご実家に……?」
「はい」
「就職決まったこと、まだ直接報告してなくて」
「ちゃんと顔見て、話してこようかなって」
「…………」
そうだったのですね。
胸の奥にあった、
小さな緊張が。
すっと、
ほどけていく。
「…………」
三日。
「…………」
以前なら。
その三日間が、
どこへ続いているのかすら。
私は、
知らなかった。
「…………」
でも。
今は知っている。
佐伯さんが、
どこへ行くのか。
どうして行くのか。
そして。
「…………」
三日後には、
帰ってくることも。
「佐伯さんのご実家は、どちらなのですか?」
「海の近くです」
「海……」
「はい」
「…………」
海。
「実家、民宿やってるんですよ」
「民宿を?」
「はい。今は兄が継いでますけど」
「お兄様がいらっしゃるのですね」
「いますよ。六つ上です」
「…………」
知りませんでした。
佐伯さんに、
お兄様がいることも。
ご実家が、
民宿であることも。
「…………」
また一つ。
私の知らなかった、
佐伯さん。
「…………」
「海……」
「?」
「いえ」
「…………」
どんなところなのでしょう。
佐伯さんが、
育った場所。
「…………」
少しだけ。
見てみたいと、
思いました。
「じゃあ、そろそろ行きます」
「はい」
「…………」
佐伯さんが、
石段を下りていく。
「…………」
「あの、佐伯さん」
「はい?」
「…………」
呼び止めてから、
少し迷う。
「お気をつけて」
「ありがとうございます」
「…………」
佐伯さんが、
笑う。
「着いたら、連絡します」
「…………」
「あ……」
「?」
「はい」
「…………」
着いたら、
連絡。
「じゃあ、行ってきます」
「…………」
行ってきます。
「はい」
「…………」
「行ってらっしゃい」
「…………」
佐伯さんの背中が、
石段の下へ消えていく。
「…………」
三日間。
会えない。
「…………」
なのに。
あの時とは、
少し違う。
「…………」
今度は。
待っていても、
いいのですね。
◇
電車を降りる。
「…………」
潮の匂い。
久しぶりだ。
「…………」
駅を出ると、
見慣れた町並みの向こうに。
海が見える。
「…………」
帰ってきた。
「…………」
スマートフォンを、
取り出す。
『今、着きました』
送信。
「…………」
少し考えて。
海へ、
カメラを向ける。
「…………」
一枚。
『実家の近くの海です』
送信。
「…………」
水瀬さん。
どんな顔して、
見るんだろう。
「…………」
そんなことを考えながら。
俺は、
実家へ向かって歩き出した。
◇
「…………」
ぶるっ。
スマートフォンが、
震える。
「…………」
『今、着きました』
「…………」
着いたのですね。
「…………」
続けて、
もう一つ。
「…………」
写真。
「…………」
青い空と、
その下に広がる海。
『実家の近くの海です』
「…………」
綺麗……。
「…………」
画面いっぱいに、
写真を広げる。
「…………」
ここが。
佐伯さんの、
育った場所。
「…………」
今まで知らなかった景色。
なのに。
少しだけ、
近くなった気がする。
「…………」
『とても綺麗ですね』
送信。
「…………」
少し考えて。
『いつか、見てみたいです』
「…………」
指が、
止まる。
「…………」
これは……。
少し、
大胆では?
「…………」
消そうとした、
その時。
「…………」
送信。
「…………」
あ。
「…………」
また、
やってしまいました。
◇
「ただいま」
玄関を開ける。
「おかえりー!」
「…………」
ぱたぱたと、
小さな足音が二つ。
「みなとー!」
「みなとおじちゃん!」
「おっと」
「…………」
左右から、
二人に抱きつかれる。
「久しぶり」
「おみやげは?」
「あるよ」
「ほんと!?」
「ほんと」
「やったー!」
「…………」
相変わらず、
元気だな。
「湊」
「ん?」
「帰って早々、捕まってんな」
「…………」
奥から、
兄貴が顔を出す。
「ただいま、兄貴」
「おう。おかえり」
「…………」
久しぶりに見る、
兄貴の顔。
「母さんたちは?」
「中。お前が帰ってくるって朝から落ち着かねえよ」
「なんでだよ」
「さあな」
「…………」
兄貴が笑う。
「就職決まったんだって?」
「…………」
「ああ」
「そっか」
「…………」
兄貴が、
俺の肩を軽く叩く。
「おめでとう、湊」
「…………」
「ありがとう」
「…………」
ようやく。
帰ってきたんだと、
実感した。
◇
「湊、おかわりは?」
「いや、もう大丈夫」
「そう?」
「うん」
「…………」
久しぶりに、
家族で囲む夕食。
「…………」
父さんも。
母さんも。
兄貴も、
義姉さんも。
そして、
双子も。
「…………」
みんな揃っている。
「それで?」
「ん?」
「ちゃんと聞いてなかったから」
母さんが、
箸を置く。
「就職のこと」
「…………」
「ああ」
「…………」
俺も、
箸を置いた。
「内定、もらった」
「うん」
「春から、そこで働く」
「…………」
電話では、
もう伝えていた。
「…………」
それでも。
ちゃんと、
顔を見て。
「就活中、いろいろ心配かけたけど」
「…………」
「無事、決まりました」
「…………」
少しだけ、
頭を下げる。
「ありがとうございました」
「…………」
父さんが、
小さく笑った。
「そうか」
「…………」
「よく頑張ったな、湊」
「…………」
たった、
それだけ。
「…………」
なのに。
帰ってきて、
よかったと思った。
◇
夕食のあと。
「湊」
「ん?」
「ちょっと飲むか」
「…………」
兄貴が、
冷蔵庫から缶ビールを二本取り出す。
「珍しいな」
「たまにはいいだろ」
「…………」
一本を、
受け取る。
「外、行くか」
「うん」
「…………」
二人で、
民宿の外へ出る。
「…………」
夜の海から、
波の音が聞こえる。
「乾杯」
「乾杯」
「…………」
缶を、
軽く合わせる。
「…………」
しばらく、
二人で海を見る。
「…………」
「なあ、湊」
「ん?」
「就活、大変だったろ」
「…………」
「まあ」
「何社落ちた?」
「聞く?」
「聞かない」
「じゃあ言わせんなよ」
「ははっ」
「…………」
兄貴が、
ビールを一口飲む。
「俺さ」
「うん」
「就活、しなかっただろ?」
「…………」
「ああ」
「家継ぐって、早々に決めて」
「うん」
「…………」
兄貴は、
少しだけ笑った。
「格好よく言えば、そうなんだけどさ」
「…………」
「面倒だったんだよ」
「え?」
「就活とか。知らない会社入るとか。そういうの全部」
「…………」
「だから俺」
缶を揺らしながら、
兄貴が言う。
「ここ継ぐって決めたのも」
「…………」
「半分くらいは、逃げだったんだよ」
「…………」
兄貴が、
海の方を見る。
「でも」
「…………」
「継いでみたら、案外悪くなかった」
「…………」
「忙しいし」
「客には無茶言われるし」
「親父とは今でも揉めるけど」
「聞こえてたら怒られるぞ」
「聞こえねえよ」
「…………」
兄貴が、
笑う。
「嫁さんと結婚して」
「子どもが生まれて」
「…………」
「気づいたら」
「ここが俺の場所になってた」
「…………」
波の音が、
静かに続く。
「だからさ」
「…………」
「最初から、これがやりたかったわけじゃない」
「…………」
「でも今は」
「俺がここをやっていきたいって思ってる」
「…………」
兄貴が、
缶を傾ける。
「そういうのも、あるんだよ」
「…………」
「たぶんな」
「…………」
少しだけ、
意外だった。
「兄貴は」
「ん?」
「ずっと、ここ継ぎたかったんだと思ってた」
「そんな立派なもんじゃねえよ」
「…………」
兄貴が、
笑う。
「でも、お前は違うだろ」
「…………」
「何社落ちても就活続けて」
「最後はちゃんと、自分で決めた」
「…………」
「俺からしたら」
「そっちの方が、よっぽどすげえよ」
「…………」
「別に、そんな」
「褒めてんだから受け取っとけ」
「…………」
兄貴が、
俺の缶に自分の缶を軽く当てる。
「…………」
自分で、
決めた。
「…………」
その言葉が。
なぜか少しだけ、
胸に残った。
「…………」
兄貴が、
空になった缶を置く。
「で?」
「ん?」
「お前、さっきからスマホ気にしてるけど」
「…………」
「誰か待ってんの?」
「別に」
「その返し、怪しいな」
「…………」
ポケットの中で、
スマートフォンが震える。
「…………」
取り出す。
『とても綺麗ですね』
「…………」
水瀬さん。
「…………」
そして、
もう一通。
『いつか、見てみたいです』
「…………」
「……ふっ」
「…………」
「湊」
「何」
「顔」
「…………」
「分かりやす」
「うるさい」
「ははっ」
「…………」
もう一度、
画面を見る。
いつか、
見てみたい。
「…………」
その言葉が。
思っていたより、
嬉しかった。
「…………」
『いつか、見てみたいです』
もう一度、
読む。
「…………」
指を動かす。
『ぜひ』
「…………」
そこまで打って、
止まる。
「…………」
ぜひ。
「…………」
それだけで、
いいはずなのに。
「…………」
少し考えて。
文字を足す。
『いつか、案内します』
「…………」
送信。
「…………」
「案内?」
「っ」
「…………」
隣を見る。
兄貴が、
こっちの画面を覗こうとしていた。
「見るなよ」
「見てねえよ」
「今見ようとしただろ」
「で、誰?」
「…………」
「友達」
「へえ」
「何だよ」
「いや?」
「…………」
兄貴が、
妙に楽しそうに笑う。
「女?」
「…………」
「兄貴」
「はいはい」
「…………」
スマートフォンが、
また震えた。
『本当ですか?』
「…………」
続けて。
『楽しみにしています』
「…………」
また。
その言葉。
「…………」
楽しみに、
しています。
「…………」
「……俺も」
「ん?」
「何でもない」
「…………」
いつになるかなんて。
まだ、
分からない。
「…………」
それでも。
水瀬さんが、
この景色の中にいるところを。
少しだけ、
想像した。
◇
「…………」
『いつか、案内します』
「…………」
案内。
「…………」
佐伯さんが、
育った町を。
佐伯さんが、
見てきた海を。
「…………」
私に。
「…………ふふっ」
『本当ですか?』
送信。
「…………」
少し考えて。
『楽しみにしています』
「…………」
送信。
「…………」
まだ。
行くと決まったわけでも、
いつなのかも、
分からない。
「…………」
それなのに。
「…………」
いつか。
佐伯さんと、
あの海を。
「…………」
そこまで考えて。
指先で、
頬に触れる。
「…………」
熱い。
「…………」
いけません。
また、
勝手にその先を。
「…………」
描こうとしている。
「…………」
目を閉じる。
青い海。
隣には、
佐伯さん。
「…………」
その先は。
「…………」
やはり、
うまく浮かばなかった。
「…………」
目を開ける。
「…………」
画面には、
佐伯さんから届いた海。
「…………」
妄想なら。
いつだって、
好きなように描けたはずなのに。
「…………」
佐伯さんとの、
その先だけは。
やはり、
思い通りにならない。
「…………」
それでも。
不思議と、
嫌ではなかった。
「…………」
だって。
いつか、
本当に見られるかもしれないから。
「…………」
佐伯さんの隣で。
この海を。
◇
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
知らなかった、
あなたの景色。
「…………」
いつか。
その景色の中に、
私もいられたら。




